母の弁当箱
小学校、中学校までは、給食だった。
飢えた時代だったので、給食が余ることなどなかった。
クラスの誰かが休み、おかずが余ってしまうと、決まってじゃんけんをしてクラスの者で取り合いになった。
嫌いなおかずもあったが、食べ残すことなどなかった。
日々異なるメニューが、昼の給食をとても待ち遠しく楽しみの時間へとなっていた。
殆どのおかずは美味しかったと思う。
大学4年生の時、卒業した中学校を訪れることがあった。
校舎もかつて通った時と変わることなく、給食も同様に続いていた。
膜がはる脱脂粉乳の牛乳ではなく、ビンに入った牛乳になっていたが、懐かしく美味しくいただいた。
しかし、昼の給食時間が終わると、生徒が食べるおかずはもちろん、パンの食べかけがたくさん残り、牛乳といえばほとんど蓋も開いていない状態だった。
中学生の食べ盛りなのに、何を食っているんだろう。
残った残骸をみながら思った。
飽食の時代か。
時間を巻き戻す。
自分が高校生になると、中学校のように給食はなかったので、母親が作った弁当を持っていくようになった。
昼時間。
級友達はタッパーに入れた二段重ねの弁当もあれば、色鮮やかな弁当をいつもカラフラなナフキンに包んで持ってきていた。
見るだけで羨ましかった。
カバンから新聞紙に包んである弁当箱を取り出し、机の上に置く。
シミのついたいつも同じ日の新聞紙を広げ、アルミの弁当箱の蓋を開く。
「ふっ」
こちらもいつものように、焼いた鮭か、焼いた明太子のどちらかに、定番の卵焼きが入っていた。
相変わらず変わらないおかずと、すき間の開いたごはんに、ため息がでた。
当番が用意したやかんを持ってきて、ひっくり返した弁当箱の蓋にお茶を入れる。
大急ぎで口の中にかけこみ、弁当箱の蓋の角からお茶を飲み、そそくさと教室から出ていった。
中学の時、あれだけ待ち遠おしかった昼食時間は、過去のものとなっていた。
たまに、弁当が作れなかったと、いくらかのお金を貰った時の方が、はるかに嬉しかった気がする。
朝、起きていた時は、弁当はいつも既に出来上がっていた。
直ぐに蓋をするとご飯がくさるとかで、家を出る直前に蓋をし、新聞紙に包みカバンの中に入れていた。
ある朝、平生気にも留めていない横に置いてある、母親の弁当箱の中身を見た。母親も仕事をしている。
箱の大きさはこちらの半分も満たない中には、いつも、こちらの弁当箱に入っている鮭も明太子も見当たらない。
おかずといえば、ごはんに申し訳程度のふりかけがかけられ、卵焼きと少しの佃煮が添えてあるだけだった。
愕然とした。
初めて気づいた。
次の日も、次の日も同じだった。
今でも、焼いた鮭や明太子をみると、美味しいと思ったことがないので、好きではない。
しかし、決まって横に並べてあった母親の弁当箱を思い出す。
母は鮭も明太子も、特に焼いてあるものは大好物だった。