父の日
ええんやで、別にこんな日を作ってもらわんでも。
母の日に対しての父の日。
母の日が「金」なら、父の日はあえて「桂馬」あたりか。
母の日が「大関」なら、父の日はどうにか「小結」か。
なんか仕方なく、取ってつけたように作ってもろうた日に思えて仕方ない。
母の日に比べ、なんか二番煎じに思えるのはひがみか。
子供の頃、母の日にカーネーションを買うお金はなく、一枚のハガキに赤い色のカーネーションの絵を書いて母親に贈った記憶はある。
生きている母には赤いカーネーション、
亡くなった母には白いカーネーションを
が、父の日に何かした記憶はまったくない。
こちらが社会人となり、いっぱしの給料を貰うようになると、珍しいビールや高い酒を買って家族で実家を訪れた。弟家族もいつもやって来る。
「はい、これ父の日のプレゼント」
「おう、獺祭か。美味い酒や、飲むか」
「うん」
が、よくよく考えるとそのほとんどは自分達が飲んでいた。
父の日とは、普通飲めない酒を、皆で飲むためのだしとなっていたような気がする。
当の父もうすうす感じてはいただろう。
ある時
「父の日やいうて、おまえ、酒しか買ってこんな、弟はちゃんと親父は何が欲しいか、まず、聞いてくるでえ」
「ほう、じゃあ来年からは、ちゃんと聞いてからくるけど、何か欲しい物あるんか」
「いや、特にはない」
「そやろ、じゃあ酒でええんとちゃうか。皆がこうやって飲めるんやから」
「そやなあ、なんか母の日とはちょっと違うような気がするが、皆が飲めるしな、ええか」
「別にその年になったら、欲しい物もあらへんやろ、こうやって、子供達家族の皆が集まって、飯を食えるだけでええんとちゃう?」
「まあ、そやなあ。しかし、それをお前が言うか」
そこへ、父の妹から電話が鳴る。
「おう、久しぶりやな。今、父の日やいうて、子供や孫がやって来て、11人で飯を食っているところや。お前のところはどうや・・・そうか、ま、元気でやれや、じゃあ」
しばらく話をして電話を切る。
「あいつのところは、子供が三人おるけど、誰も家には来なくて、夫婦二人で飯を食っていると、えらい、こっちを羨ましがっていたわ」
「まあ、家族それぞれ色々あるしなあ」
「親父、来年は、鹿児島のいい焼酎持ってくるから、寿司もええけど蟹が食いたいなあ」
「あのな、食いたいもんあるなら酒だけじゃなく、それを買ってこんかい」
「そりゃそうだわ、こうやって皆がそろって飯食える機会やからなあ、我々も父の日に感謝せなあかんなあ」
「そうだろ。じゃあ、北海道のタラバ蟹か毛蟹か、どっちがええねん?父の日やから父がそのくらいどーんと買ってやるわい」
「来年は蟹かあ、父の日、ええなあ」
「それほどでも、ないでえ。
安いもんや」
それから
父の日、
蟹を食べることは、とうとうこなかった。