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人間関係について、一緒に考えませんか?


タイトルに使わせていただいた絵

タイトルの絵を探しているときに、この絵が目に飛び込んできました。(カエルだけに)
個人的に右にかかってる黄色いタオルが独特の雰囲気を醸し出していて、とても素敵だなと思い使わせていただきました。

人間関係に悩む

さて、学生さんなどは、友達や先生はたまた家族、さまざまな人間関係の中で、暮らしていることと思います。
周りとの関係がうまくいかなかったときなどには、気分が落ち込んでしまうことがありませんか?
自分が学生生活を送っていた時など、特にそれが顕著で、人に冷たくされると、かなり落ち込むタイプの人間でした。決していじめとかではないのだけれども、仲の良い友人が話しかけてこなくなると、どうしても落ちこんだりしていました。別に何か喧嘩したなどの理由がなくとも、ほかに気が合う友達ができた、流行ってるゲームの話をする仲間などができたなど、些細なことで話をしているグループが変わってしまう。
それが自分には少し苦痛でした。

友人に彼女ができてから交友関係が途絶えかけている話

高校時代仲良くしてくれていた友人がおり、コミニケーションが苦手な自分とも仲良くしてくれました。彼のおかげで高校生活を何とか乗り切れた部分もあるくらい自分にとって大切な存在です。
卒業後も音楽フェスに一緒に行くなど、交友関係があったのですが、ある時「彼女ができた」と伝えられました。それからというもの、会うときはいつも彼女の話ばかりするようになり、徐々に会う頻度が少なくなっていきました。そして今ではほとんど連絡も取り合わなくなってしまいました。
その友人の恋愛は応援しているのですが、やはり高校時代のように遊んだりすることがなくなってしまい、、変わってしまった友人、いや、前進している友人を見ていると、なんだか置いてきぼり感を食らってしまい、複雑な心境になります。
ただ、自分は今、高校時代同じ部活に所属していた友達とちょっとした交友関係ができていて、自分だって変わっていることは間違いないのですけれども。
ここで少し伝えたいことがあります。
今の人間関係がつらいという人がいたら次の事を伝えたいのですが、人間関係は、時間と場所が変われば絶対に変化します
 逆に今の人間関係が心地よいという方は、その人間関係は、思っているよりすぐ終わってしまうものかもしれないと頭に入れておき、今をかみしめよう!って気持ちが大事だと思います。

家族との関係

友達との関係ばかりに目を向けていると、忘れてしまいがちなのが家族との関係です。自分にとっては、一緒にいる時間が長すぎるせいか、良い関係性を築こうといったことを忘れてしまいがちな存在です。「毒親」とか言うワードが叫ばれるご時世ですが、自分の親は至って「普通の親」でした。多分。
。自分のことを育ててくれたことに、本当に感謝しています。もちろん、何度も立場の違いによる衝突のようなものはありましたが、いまの自分にとってはかけがえのない存在となっていて、頼りにしています。
「隣人を愛せよ」そう誰かが言ったように身近な人とは仲良くしたいものですよね

自分の変化

この段落の文章、少し抽象的な話になってしまって読みにくいかもしれないのですが、割と重要かもしれません。お伝えしたいことがうまく伝わらなかったらこちらのミスです。すいません。

「自分は最大の他人だ」なんて言葉を聞いたことがあります。
自分を他人を見るような目で見ることができたらどれだけれ楽だろうか。ということたまに思います。
周りと比べるかどうかで行動ってかなり変わりますよね
幼かったころは、おそらく絶対評価しかなかった気がします。
何をするにも自分が一番。みたいな。
しかし、成長するにつれて、相対評価というものを知りました。
あの子は自分より足が速いらしいぞ、かっこいい。みたいな感じです。
そして学生時代には、相対評価の波にもまれて生きてきました。
もちろん、偏差値や評定でそれを突き付けられますよね。
そして最近また、絶対評価で、自分の行動を決めるようになりました。
一人の時間が長くなり、周りの影響を受けにくくなったので、(自分と比べる相手が少なくなるので)結果として絶対評価をする機会が増えています。

ふと、絶対評価と相対評価を同時に組み合わせる(うまく使い分ける)ことはできないか ということを思いつきました。
例えば、これから何をするかを決めるときに、
自分にとって心地よい絶対評価と相対評価の割合を見つけたいと思うようになってきました。
簡単に例を挙げると、競技で自分の方がライバルよりも上だった場合は、すごい、ライバルに勝てた。と喜ぶ。
逆に、自分が、ライバルに負けてしまったときは、自分は頑張った。などと、とりあえず、自分をほめてみるようにする。といった具合です。
都合のいい解釈をしているだけのではないか?自分でも少しそう思います。
これもまだ完璧な例とは言えないと思うのですが、何か感じ取っていただけたでしょうか?

おまけ、宗教の勧誘の人に話しかけられた経験

これは中学生の頃の話ですが、塾の帰りに駅前のバス停で座っていたところ、宗教の勧誘をしている方に話しかけられました。正直、少し怖かったです。
自分の親は「宗教は戦争のもとになっている」みたいなことを言う宗教に否定的な考え方をする親でした。だからどうしても、宗教に対しては否定的な気持ちが強かったです。ですが、宗教の人が熱心に話しかけるその誠意を感じてか、少しだけ宗教に対するイメージが変わりました。
ちなみに自分は宗教に入る気はありません。
一応お墓はあるのので、多分仏教徒なのかな?くらいの意識はありますが。

また、あるときyoutubeで、次のようなことを言っている方がいました。「宗教に入ると、話をする友達ができるかもしれない。」
そう聞いて、今まで抱えていた宗教に対する疑問のようなものが、自分の中で、ストン、と腑に落ちた感じがしました。

記事のまとめ、+a

 自分は、もともとあった人間関係がなくなってしまうことが少し苦痛でした。
人間関係がうまくいっているときは、いつまでもその関係が続くとは限らないことを頭に入れて、幸福をかみしめて過ごすのが良いと思います。
 人間関係がうまくいかない時には、時間がたち環境が変わるのを待つか、思い切って自分の生活する環境を思い切って変えてみるのがいいと思います。
いずれ人間関係は変わります。
 相対評価と絶対評価をうまく意識することで、(自分はまだあまりうまくできるようになっていない)悩みを解消する助けになると思います。

+a
この記事を書きながらいろいろ考えを巡らしたのですが、
あまり深く考えすぎず、カエルのようにある程度周りの温度変化に無頓着になれた方が、笑って楽しく生きていくためにはいいのかもしれないなと思いました。
ゲコゲコ(笑)



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