現実と向き合うことの辛さ
Boa noite.
こんばんは、こちらは20:23です。
少し更新の日が空いてしまいましたが、いかがお過ごしでしょうか。
私は毎日、まるで障害児者支援隊員の如く、現地スタッフと共にフルで勤務しています。
この1週間色々な感情に振り回され、心身共に疲弊していたようで、
今朝、モザンビークに来て初めて、起き上がることができませんでした。
昨晩から涙が止まらず、ほぼ1日ベッドの上で過ごしました。
往復1時間弱かかる通勤に、毎日子供達と走り回ったり、
介助で子供を抱っこすることも多く、全身筋肉痛です。
身体的疲労で自炊する気力もほぼなく、食事はスープばかり。
夜も熟睡出来ずなかなか身体の疲れが取れない毎日です。
その上、私は昔から新しい環境に馴染むのに人よりも時間がかかります。
今もそうです。
2週間経ちますが、同期隊員達のように職場の同僚と仕事以外の場で時間を過ごすこともありませんし、現地の友達もいません。
アパートに住んでいるのは私一人、左右の家は空き家、気の休まる相手もいなければ、話し相手さえいません。
少しずつ勉強していても、ポルトガル語は一向に出来るようにならないし、なるような気もしないし、そんな自分が嫌になります。
自分の努力が足りないと言われたら、
それまでかもしれませんが。
仕事に関して、最初はマンパワーでも仕方ない、と思っていました。
自分が出来ることをまずやろう、見様見真似で一生懸命やってるつもりです。
でも、そうするとその間現地スタッフはみんな休憩して楽しそうに仲間内で話してます。もちろん私は入れません。私がやってることに興味も持ってくれません。
これは本末転倒なのでは、と疑問に感じています。
ましてや、理学療法士として、食事介助こうしたほうがいいと伝えても、その時は聞いてくれますが、その次の食事時には元通りです。
現地の人からしたら、ただの日本から来た若いボランティアの女の子なだけであって、理学療法士として築いてきたキャリアも、何も意味ありません。
言葉もまだ拙い中で、私が伝えることに説得力なんてあるわけもなく、悔しい思いばかりしています。
プライドも持っていたところで意味がないけど、
病院で勤務してる同期達は、PTらしい(といったら安直な表現だけど)活動をしていて正直羨ましいと思ってしまいます。
配属先に同職のスタッフがおらず、相談相手も居ないし、私の話に耳を傾けてくれる人もいません。
今のところ配属先にもまだ私の居場所はありません。
それでも、どれだけ孤独を感じても、
施設にいる子供達には毎日パワーをもらってます。
子供達の笑顔を見るだけで救われることが沢山あります。
だからこそ、私も子供達にとってそんな存在になりたいと思っています。
青年海外協力隊の2次試験(面接)で試験官の方にこう言われたことをよく覚えています。
「あなたが思うよりも、現地で子供に対する扱いは残酷です。目の前で暴力を振るわれることも多々あるでしょう。その時に、あなたはショックを受けるかもしれない。それでも大丈夫ですか?」
突然の言葉に私は驚きました。
事前に児童虐待について調べて居たので、その時は
「目の前の現実に向き合って、受け止めたい。自分が出来る範囲で暴力を減らしたい。」
そんな風に答えたような気がします。正直自信はありませんでした。
それが今目の前で、現実で起こっています。
私からしたら障害あるなしに関わらず皆天使のように可愛い子供達。
それなのに、何か悪いことをしたり、大人の思う通りに動かないや泣き止まない時、
大声で怒鳴ったり、突き飛ばしたり、平手打ちをしたり、木の棒で叩いたり、
日常茶飯事で起こっています。当たり前のようにほぼ皆同じような扱いです。
それを笑って見てる人たちもいます。
正直怖くて仕方ありません。
目を逸らしたくて、逃げてしまったことも多々あります。
でも本当にそれで良いのか、と自問自答する毎日です。
暴力や恐怖心で支配することは決して正義ではありません。
ましてや自分よりも弱い存在に対して力で捻じ伏せるようなこと絶対にあってはいけません。
だけど、そう思ってるのはここでは私一人なのかもしれないと思うと、
逃げることしか今の私には出来ませんでした。
自分に一体何が出来るのか、何も出来ないかも、と自信がなくなりました。
人の心を動かすことはそう簡単なことではありません。
それは最初からわかっていたこと。
でも、子供達を守れない、何も出来ないことに向き合う辛さ。
本当に心が痛いです。
子供達と遊んでる時に引っ掻かれたり、抓ったりして私の腕は傷だらけですが、
それで私が怒っても子供達はヘラヘラと笑って誤魔化します。
暴力=怒られてるという認識だからかもしれません。
それでも私は、子供が子供を叩いた時はダメだと叱ります。
子供達に暴力はダメだと言葉で伝え続けます。
良いことをしたらありがとうと抱きしめます。
出来る範囲で同じ時間を過ごし、彼らのことを沢山知る努力をします。
まず私が出来ることはこんなことしかないからです。
私が側に居られる子供達には、暴力で支配されることが当たり前になって育って欲しくない。
そんな子供達を一人でも減らしたい、今の私の目標です。
こんなことを感じながら子供達のことを考えながら毎日過ごしていたらいつの間にか自分の心が擦り減ってることにさえ気付かず、今日みたいなことになりました。
昨日担当調整員さんの送別会で久しぶりに先輩隊員や同期隊員に会えて、
すごく嬉しかった反面、色んな話を聞いて、自分より活き活きとしてる人を目の前にして一気に自己肯定感が下がってしまったのもあると思います。(自分自身の問題です)(みなさん素晴らしく優しい方々です)
それに加えて、帰り道、絡まれた人にお金を求められ、断ったら逆ギレされて色々言われたこと(現地の人たちが守ってくれました)や、帰る頃には真っ暗になってしまい、一人で外を歩いてる時に変な人に絡まれたこと、シャワーの水圧が弱くお湯も出ない日が多いことや停電が頻繁に起こることも正直キツかったです。
辛いのはみんな一緒、そう思いましたが、
それでもどうして私はこんなことで悩んでいるんだろう、どうしてみんなみたいに出来ないんだろう、と自己嫌悪でいっぱいになりました。
誰かに自分の気持ちを吐き出せないこと、私にとってはなかなかしんどいことだと改めて気付きました。
こうして感じたことを文字に起こすことも大事だと思います。
あと、後任の担当調整員さんに昨日こう言われました。
「今感じたことを何処かに記しておくと良いよ。時間が経つと受け入れられるようになってしまうことも沢山出てくるけど、どうしても受け入れられないこともある。その時に振り返って、時間が経っても受け入れられないこと、それが自分が取り組みたい課題なんだと思うよ。」
今現時点で時間が経っても、受け入れられないというよりも
受け入れたくないことが沢山あります。
現地に適応して現地の人と同じように生活することはもちろん大事だけれど、
人として許容してはいけないところ、私は絶対に曲げたくないです。
これが現状の私の気持ちです。
今日改めて感じたこと、忘れないようにしよう。
あとはもう少し素直に人を頼れるようになりたい!
そんな感じ!
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