【創作長編小説】天風の剣 第128話
第九章 海の王
― 第128話 深い眠りに囚われて ―
薄暗い森に、音もなく降り積もる粉雪。
もうじき、森は眠りにつく。
「シトリンッ」
フェリックスの背から降りるやいなや、キアランはシトリンのいる洞窟内へと急いで駆けこんだ。
「いない……!」
キアランは、愕然とした。洞窟の中は、なんの気配もなく静まり返っていた。シトリンも翠も蒼井もいないようだった。
シトリンがいなければ、アマリアさんの居場所の手がかりが――。
さっ、と血の気が引き、目の前が真っ暗になるようだった。
シルガーがここまで案内したのだから、シトリンが近くにいないはずはなかった。しかし、アマリアを一刻も早く救出したいと焦るキアランは、そこまで考えが回らない。
「どーしたのー? キアラン。私たち、後ろにいたのに」
洞窟の入り口から、のんびりした幼い声。
「シトリン……!」
キアランは振り返り、思わず声を弾ませた。
「私たちも、いるぞ」
洞窟内に響くような低音の、翠の声。
シトリン……! 翠……!
安堵するキアラン。翠の隣には、蒼井もいた。
蒼井……!
笑顔のキアランが声をかけようと思ったそのとき、蒼井の口から意外な言葉が出ていた。
「温泉に、入っていたのだ」
少し上気した顔の、蒼井。
温泉……!
ほかほかと、いまだ湯気に包まれたような、つやつや肌のシトリン、翠、蒼井の姿があった。
温泉―……。
「すぐ近くに、いい温泉があってな。ほら、この通り、おかげで傷の治りが早い」
翠は、少し胸元をはだけさせ、隆々とした胸筋を見せつけた。
温泉に、入るんだ……。こいつらも……。
暗闇でもよく見えるキアランは、つやつやの胸筋をぼんやりと瞳に映す。
「あっ、もちろん、一緒じゃないよ、ともだちでも、やっぱ、レディとメンズは別々に入らなくちゃあ」
訊いてもいないのに説明するシトリン。ふふっ、と笑ってウインクまでしていた。
「温泉、案内してやろうか? 今は、熊が一頭、浸かり始めたようだったが。ん? どうした。キアラン。腰がくだけてるぞ」
誰も攻撃してないのに、なぜ急に座り込んでいるんだ、と蒼井はキアランに尋ねる。
その後ろで、シルガーと花紺青が苦笑していた。
「えっ。アマリアおねーちゃんが……!」
詳しい話を聞き、シトリンは驚き真剣な表情になる。
洞窟内に、張り詰めた空気が漂う。
「これは、シトリン、お前が作った『武器となるもの』だろう?」
シルガーが、アマリアの持っていた魔法の杖を見せる。
シトリンの顔が、ぱっと明るく輝いた。
「うんっ! そーだよ! 持ち去られなくて、本当によかった……!」
シトリンは、シルガーから魔法の杖を受け取る。
魔法の杖は、シトリンに抱かれると、たちまちその姿を消した。
「シトリン……?」
シトリンの体内にしまわれた様子の魔法の杖。キアランは、シトリンの言葉を不安と共に待つ。
シトリンは、にっこりと笑った。
「これで、アマリアおねーちゃんを探せるよ!」
「えっ!?」
「四天王オニキスは、気配を消すのがうまいから、遠くから探すのは無理。でも、アマリアおねーちゃんのほうは、これで探せると思う」
「本当か!」
「うんっ。アマリアおねーちゃんは、四聖じゃないけど、四聖を守護する者だし。それに、アマリアおねーちゃんがずっと持ってた魔法の杖、これがおねーちゃんの波動を記憶してる。だから、きっと大丈夫!」
「シトリン……! ありがとう……!」
張り詰めた糸が切れたように、キアランはその場に座り込む。先ほどの温泉話で不本意にもいったん糸は切れていたが。
「キアラン。安心するのは早いよ。まだ見つけてもいないし」
座り込んだ状態のキアランとは反対に、シトリンがすっくと立った。
「行くよ! みんな……!」
ばっ、とシトリンの四枚の翼が広がる。
「シトリン、怪我は――」
キアランは、シトリンの体を案じた。長い髪を揺らして振り返り、ニッと笑うシトリン。
「アマリアおねーちゃんのピンチに、黙っていられるわけないじゃない!」
シトリン……!
きっと、まだ完全には回復していないはずだった。しかし、シトリンはアマリアのために立ち上がる――。
「シトリン。本当に、ありがとう――」
「お礼は、おねーちゃんを無事助け出してから言って」
「ああ――! ありがとう――! 本当に――!」
何度でも、何回でも礼を言いたい気分だった。アマリアが無事戻ったら――、シトリンの喜ぶことをなんでもしてあげたい、そうキアランは思う。
今まで黙っていた翠が、力強く一歩踏み出す。
「卑劣な四天王オニキスめ。温泉の効能、見せてくれよう」
と、ほんのり温泉の香りを残しつつ、シトリンの後に続く翠。
「切り傷、血流改善、疲労回復。四天王オニキス、驚くがいい」
代表的効能を呟きつつ、翠の後に続く蒼井。
シトリンたちは、雪の降りしきる冷たい空へと飛び立っていった。
「シトリンの後を追うぞ。キアラン」
キアラン、シルガー、花紺青は、シルガーの作る白の空間の中、シトリンの後を追う。
水音が、聞こえる。さらさらと、流れる音。
ふと、違う響きが耳に届く。それは、声。
「アマリアおねーちゃん。アマリアおねーちゃん」
かわいらしい声が、小さな手のひらが、揺り起こそうとしていた。
重いまぶたが、ゆっくりと開く。
「シトリン……、ちゃん……?」
とても心配そうなシトリンの顔が、目の前にあった。
「ここは――」
アマリアは、上半身を起こし、周りを見渡す。アマリアは、小川のほとりの、大きな花びらの上にいた。
奇妙な風景だった。水晶のような山が見え、空は柔らかな菫色をしていた。
シトリンが、尋ねる前に知りたい答えを口にする。
「ここは、アマリアおねーちゃんの深い意識の中だよ」
「深い……、意識……?」
「うん。夢みたいな感じかな」
夢、と聞いて納得がいった。この淡い景色は、現実の世界ではない。夢の中だからこそ、余計「夢」という言葉がすんなり受け入れられた。
それよりも、アマリアには、なんとなく、不思議に思えることがあった。どういうわけか、話しかけてくれるシトリンが、自分の中で生まれたものではないような、自分の外側から来た、現実味を帯びた別の存在のように思えていたのだ。
「……シトリンちゃんは、夢の中に入れるの? それとも、私がシトリンちゃんの夢を見ているだけ?」
「うん。夢の中に入れるんだ。前に、ルーイおにーちゃんの夢にも入ったよ」
「そうなんだ――」
シトリンは、アマリアの手を取る。夢であるはずなのに、しっかりとしたぬくもりが、感じられた。
「アマリアおねーちゃん。早く、起きて」
「え」
シトリンは、真剣な表情をしていた。
「アマリアおねーちゃん。眠らされているんだよ。四天王オニキスに」
「えっ」
どういうことなのだろう――。
そのとき初めてアマリアは、自分の記憶が曖昧であることに気付く。
そういえば、どうして私は眠っているの……? 私、兄さんを助けに行こうとして、それから――。
水音が大きく響く。バームスを走らせていたとき、目の前をよぎった黒い影。それは、なんだったのか、そして、それからどうなったのか――。
「アマリアおねーちゃんが、深く眠っているから、私たち、おねーちゃんを探せないの」
「え?」
シトリンは、アマリアの手のひらを、小さな手でぎゅっと握った。
「今、探してるの。アマリアおねーちゃんを。みんなで。でも、探せないの。おねーちゃんの波動が、深く眠っているから隠されているの――」
私は――。
「アマリアおねーちゃんは、四天王オニキスに連れ去られちゃったの! お願い! 起きて……! 離れていても、場所がわからなくても、心は通じ合える。だから、夢には入れるの。でも、おねーちゃんがどこにいるかが見つけられない……!」
オニキスに、捕えられたのだ……!
「アマリアおねーちゃん、起きて……!」
アマリアは、深い眠りに囚われていた。
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