【創作長編小説】天風の剣 第158話
第十章 空の窓、そしてそれぞれの朝へ
― 第158話 目の前のチャンスなら ―
シルガーの眼前に立つ、新しい王。
それは、四天王青藍。
シルガーは、血に染まった青藍の六本の腕を見つめながら、叫んでいた。
「逃げ切れないわけでも、危機的な状況でもなかった。それなのに、自ら主を殺すとは……! やはり貴様は、初めから――!」
青藍が、くっ、と笑う。
「別に、珍しいことではないでしょう。我らの世界では」
確かに、そうだった。従者が自分の主人である四天王を倒し、代わって己が四天王になる、それはよくあることだった。
「なにを驚いていらっしゃるのです……?」
青藍は、顔に笑みを張り付けたまま、平然とシルガーを見つめ返す。
私も、知っている。驚くべきことではない。私も、魔の者だから。しかし――。
なぜ、自分は落ち着かず、なにかの感情に強く揺さぶられているのだろう、シルガーは自分でも不思議に思う。
薄々、感じていたはず。今更、目の当たりにしたところで、どうということもないはず。それなのに、湧きおこるこれは……、怒り……?
四天王が、まだ幼かったから、なのだろうか、シルガーは自分に問いかける。
違う。人間じゃあるまいし、子どもかどうかなど、些細な違いのはず。
雪が、絶えず髪や体に触れ、そして消えていく。動くごとに振り払われても、幾度となく、新しい雪が。
他者の心に触れ、ほんの一端でも、相手の魂というものを感じてきたから。積み上げてきた絆というものを、信じたい、たとえ離れ離れになっても、永遠に会うことはできなくなっても、絆というものは消え去らず存在し続ける、そう願っていたから――。
関係のない連中。たまたま出くわした、ただの敵。同情する必要も、非難する義理もなければ立場にもない。人間ならきっと、「裏切り」というのだろうが、魔の者にとっては普通のこと。それに、彼らの関係性の変化など、私になんの関係もない。
それでも、とシルガーは思う。
感じている今の私の感情。これは、確かに私のものだ。
シルガーは、自分で納得できる明快な答えを見つけたわけではない。しかし、自分の中に、昔の自分とは違う自分がいることを、はっきりと理解していた。
シルガーは青藍に、感じていた疑問をぶつけた。
「……お前の主は、四天王にしては、ずいぶんエネルギーが弱い、そう感じていた。周囲に衝撃波を放ちながら移動しているということを差し引いても、弱い、と。もしかしたら、常になんらかの術を使い続け、従者の中でも強力な力を持つ貴様を従わせているのかもしれない、と思っていたが――」
青藍は、鋭く吊り上がった切れ長の目を、少しだけ大きく見開いた。どうやら、シルガーの憶測が当たっていたようだった。
「お察しの通りです。従者として生まれたとはいえ、自分の仕える主人は、普通自分の意思で決められますからね。また、反逆するのも自由――。私は、レッドスピネル様特有の能力によって引き寄せられ、そして支配され、縛られていたのです」
なぜ、あのタイミングで、とシルガーの頭に疑問がよぎる。
引き寄せられた……? 初めから、四天王の座を狙っていたわけではないのか。それにしても、支配されている状態で、どうやって主を殺すことが――。
シルガーは、ハッとした。
「今、お前が主人を討てたのは、もしかして――」
青藍の顔に、笑みが広がる。背に負う四枚の翼のような、漆黒の笑みが――。
「ええ。あなた様のおかげです。レッドスピネル様が、あなた様を攻撃し続けているおかげで、私を支配する術の力が弱まった。おかげでこの通り、自由と王の座、最高の果実を二つも、一度に手に入れることができたのです」
青藍は、六本の腕すべてを自分の胸元辺りに添え、うやうやしくお辞儀をしてみせた。
私の出現で、風向きが大きく変わった――。
「おや。まさか」
青藍は、珍しいものを見るような目で、シルガーを見つめる。
「責任をお感じですか? いや、まさか」
つまらない冗談ですね、と青藍は自分の言葉に笑う。シルガーは、笑わなかった。
シルガーは、静かに問う。ゆっくりと、噛みしめるように。
「……私が攻撃を放ったとき、主のもとへ、貴様が急降下していったのは、私に四天王を殺されては困ると思ったからだな」
「もちろんですとも。レッドスピネル様があなた様に殺されてしまっては、私が取って代わることができなくなってしまう」
「私との戦いが、全力とは思えずどこかあいまいな、常に余力を残しているような感じがしたのは、主を討つチャンスを、うかがっていたからか」
ふふっ、と少し自嘲気味に青藍は笑い声を立てる。
「私の実力では、あなた様にはかないませんからね。まあ、四天王になるチャンスが目の前にぶら下がっているのなら、誰でも手を伸ばすのではないでしょうか」
青藍は、六本の腕を伸ばす。上部にある腕は天へ、真ん中にある腕は前へ、下部にある腕は大地へ向け、どん欲に伸ばす。
シルガーは呟く。低く、小さな声だった。しかし、確信を持った、強い呟き――。
「……誰でもじゃない」
「え」
シルガーの目に、力強い光が宿る。
「私が知っている従者たちは皆、お前とは違う……! 誇り高く、強い心を持っている……!」
シルガーの声が、雪原を駆ける。
青藍は、眉一つ動かさなかった。
「……なにをおっしゃりたいのか、よくわかりませんが」
そして、次の瞬間。
ドッ……!
轟音。シルガーは自分の視界が、強い光で遮断されるのを感じた。
速い……! そうだった、こいつの武器は、異常なまでの速さ……!
シルガーは、自分が今、吹き飛ばされていることを理解した。強いエネルギー、青藍の放った衝撃波に。
「これが、四天王となった私の衝撃波ですよ。あなた様は、もったいなくも試し打ちされていましたが、やはり試すのは、実際お体で体験して、というのが一番でしょう」
薄れていく意識の中、シルガーは青藍の声を聞いていた。
「正直、今までの私は、四聖など大して興味がありませんでした。四天王になるという大それた夢も持っておりませんでした。でもこうして、運よく四天王とまで昇りつめることができたのです。この際、四聖も私がいただくことにいたしましょう」
そして、笑い声――。
「目の前のチャンスなら、誰でも手を伸ばすのではないでしょうか」
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