【創作長編小説】悪辣の魔法使い 第36話
第36話 雪白山
深い緑。日は傾き始め、通常の旅人なら、そろそろねぐらとなるような場所を探し始めるか、または日暮れまでに山を抜けようと足を速めるかのどちらかだっただろう。
しかし、彼らは通常の旅人ではなかった。
「ここで広げよう」
魔法使いレイオルは、饅頭の箱の包みを開けるよう皆に指示した。
「えっ、全箱開けるの!?」
小鬼のレイが思わず聞き返す。
「ああ。それから、魔法で饅頭の匂いを広める。術のかけられた饅頭の匂いに、饅頭子は誘われて出てくるに違いない」
饅頭子とは、饅頭怪物の子孫のことである。レイオルの手は、すでに饅頭の箱を開け始めていた。
レイ、魔法使いのケイトとライリイ、剣士アルーン、青年の姿に変身中の鬼のダルデマ、元精霊のルミもレイオルにならって開封する。日没近くの山の中、皆一心不乱に饅頭の包みをといているのは、異様な光景である。
レイオルが、立ち上がる。そして呪文を叫んだ。
「怪物を魅了したる饅頭の香り、風に乗り、山の奥、滝の裏までくまなく広がれ、饅頭子のもとへ今届けられん――!」
異変は、速攻で訪れた。
えっ。
レイは息をのむ。
空に、影。翼を持った怪物。それは、饅頭怪物の子孫と思えた。ただ、予想外だったのは――。
「群れじゃん……!」
五頭の怪物が、目の前に飛来した。女将の話の通り、鷹の頭と翼、獅子のような胴体の四つ足の怪物だった。
「五つ子ちゃんか」
まさか五頭もいるとは思わず、レイオルもライリイも笑みを浮かべる。さらにレイオルの見立てでは、怪物たちはまだ子どもとのことだった。そういわれてみれば、大きさも馬より一回り大きいくらいで、村人が逃げ惑うほど「巨大」といった感じではなかった。それに、体に比べて頭が大きく、かわいらしい顔つきをしている。
「さあ。みんな。遠慮せずお食べ」
心配するまでのことはなく、饅頭子たちに、遠慮はなかった。レイオルが言い終える前に、饅頭子たちは饅頭に食らいついていた。
「こっちの子は『苺味』が好きみたいだな」
「こっちは定番の味が好きらしい」
「この子は両方交互に食べたい派か」
嬉しそうに目を細めつつ、喧嘩もせず仲良く饅頭を平らげる様子の怪物たちに、見ている皆の口元もほころぶ。
あっという間に完食した。
「よし。お前たち。今日からお前たちの名は、左から、イチ、ニ、サン、シ、ゴだ」
えっ、名づけ、やっぱり雑……。
レイオルが怪物たちに、雑な命名をする。レイは怪物たちにほんのりと同情したが、怪物たちのほうは饅頭をもらった上に名前まで付けてもらったのが嬉しいのか、
クエーッ。
と口々に感謝の意を表していた。本当に感謝の意だったかどうかはわからないが、とりあえずそのように聞こえた。
「お前たち。私たちを雪白山のふもとまで連れて行ってくれ」
一頭一頭に手をかざし、レイオルはイチからゴまで、そのように命じた。
饅頭子たちはうなずく。
そこで、ダルデマが提案した。
「饅頭子は五頭。俺たちは七名。俺は風を率いて飛べる。俺がルミを運ぼう」
「なるほど。助かる。では、ダルデマ。ルミを頼んだぞ」
「心得た」
ルミを軽々と抱え、ダルデマが人差し指を天に掲げた。
「風よ……! 我らのもとへ集い、我らを雪白山のふもとまで、運んでくれ……!」
ざ、ざ、ざ、音を立て、たちまち強い風が吹き荒れる。そしてあっという間に、ダルデマとルミは竜巻に包まれた。
「皆、先に行くぞ!」
ダルデマの声だけを残し、竜巻が空へ昇る。皆空を仰ぎ、ダルデマとルミを見送った。その間ライリイだけが、なにか作業をしているようだった。
「饅頭の箱たちよ、最終目的地、ゴミ捨て場に向かうがよい」
ライリイの魔法のようだった。饅頭の箱や包みが、すっくと立ち上がり、一列に並んで移動し始めていた。ゴミ捨て場に、自分たちから行くスタイルにさせたようだ。
「わあ。人に見つかったら、びっくりされちゃうねえ」
レイが目を丸くし感想を述べると、レイオルがライリイに、
「律儀だな」
と言葉をかける。
えっ、そこでも「律儀」!? 俺、ライリイさんと一緒の「律儀」……! つまり、俺、すごいってことだよね……!?
レイの中で「律儀」の株が上がっていた。
「さあ。皆、饅頭子たちの背に乗るんだ。私たちも、ダルデマたちに続くぞ……!」
レイオルがイチの背に乗り、レイたちもそれぞれ饅頭子の背に乗った。
「では、雪白山のふもとへ――!」
くえー。
たっ、たっ、たっ。逞しい四肢が、山を駆ける。
「飛ぶんじゃないんかーい!」
アルーンがツッコミを入れる。
「皆。空路を行ってくれ」
レイオルの指示でようやく、饅頭子たちは空に飛び立った。
休憩や睡眠、食事などのために何度か地上に降り立つ。
食事のあと、レイは木立の向こうのアルーンとケイトの会話を耳にした。
「ケイト……。後悔は、ないのか? このままだと、早ければ明日、雪白山に着くらしい」
「後悔? なぜ?」
「やがて滅亡に向かう運命だったとしても――。少しでも長い時間、自分らしい時間、のんびりとした時間を過ごしたいと思わないか?」
アルーンの最後の質問だった。
「その――。大切な人、誰か――、あと、そう――、家族とか友だちとかと過ごすとか――」
なぜかアルーンの、言葉が途切れがちな問いかけ。つまりは、降りるなら今、そうアルーンは伝えたいようだった。
ケイトは肩をすくめた。
「そっちのほうが、絶対後悔する。私はできることを、きちんとやっていきたいの」
そうか、とアルーンはうなずいた。
「アルーン。あなたは? あなたはどうなの?」
「俺は――」
木漏れ日が、躍る。
「皆に出会えたこと。ケイトに出会えたこと。すごくよかったって思ってる」
レイは、その場をそっと離れた。ケイトとアルーンがなにを話していたか、どんな時間が流れていたのかわからない。ただ、
これは、ケイトとアルーン、ふたりの時間なんだ。
そう思った。そして、ふたりの時間が、木漏れ日のようにあたたかく輝くものであるように、と願っていた。
翌日の昼頃のことだった。
「あれが雪白山……!」
その名の通り、山の上半分が雪に覆われている山だった。年間を通じてそうらしい。
「皆、待っていたぞ……!」
雪白山のふもとに降り立つと、ダルデマとルミが駆け寄ってきた。人目につかない山だからか、ダルデマは鬼の姿に戻っていた。
互いの無事を祝い長距離の移動をひとしきりねぎらいあったあと、イチの背を降りたレイオルは、饅頭子たちを一頭一頭撫で、それから一頭一頭に手をかざした。
「饅頭子たち。ご苦労だった。あとは自分たちの暮らす山へ帰っていいぞ」
ああ。饅頭子たち、帰しちゃうんだ――。
レイオルの言葉に、この旅は片道だけなのだと気付かされる。
「ありがとう。お前たちのこれからが、少しでも長く続くよう、頑張るからな」
飛び立つ饅頭子たちに、レイオルは声をかけ、手を振った。
片道の旅。ついに、目的地へ着いてしまった――。
レイは、皆の顔を見渡した。レイオルも、アルーンも、ルミも、ケイトも、ダルデマも、ライリイも、皆微笑んでいた。悲壮感は、まったくなかった。
覚悟はできていた。今が破滅の瀬戸際だったとしても、未来へ繋がる入り口だったとしても、悔いはない、そんな笑みに見えた。
「今のうち、皆に言っておこう」
レイオルが、ゆっくりと告げる。
「ありがとう。私の旅に、付き合ってくれて」
「なにを。俺の旅でもあるんだ」
とアルーンが返し、
「私を連れ出してくれて、本当にありがとう……!」
ルミが首を左右に振りながら、逆に礼を述べ、
「私は、ただ黙って終末を受け入れるつもりなんてないから……!」
と自分の腰に手をあてたケイトが言い放ち、
「俺の意思だからな。お前に付き合ったつもりはないぞ?」
とダルデマが言い切り、
「見届けたいからな。この目で。今が、これからが、どうなるかを」
とライリイが笑った。
レイは――、
俺が、レイオルに言いたいこと。それは――。
「ありがとう! 思い出、いっぱい……! 俺は、小鬼で一番の幸せ者だと思う……!」
ふかふかのお布団、おいしい豆、洋服も、靴も帽子も、ぜんぶが、ありがとう……!
手を大きく広げ大きな円を描くようにし、いっぱいの感謝の気持ちを表現する。
レイオルは、ちょっと面食らったような顔をしたが、
「そうか。それならよかった」
とうなずいた。
「私は、いよいよ人間を卒業する」
え……。レイオル……?
レイオルは、謎の宣言をしてから、ルミに微笑みかけた。
「さあ。ルミ。竪琴を、響かせてくれ」
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