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【創作長編小説】天風の剣 第163話
第十章 空の窓、そしてそれぞれの朝へ
― 第163話 厚い雲の向こうの太陽 ―
「オリヴィアさん、テオドル……! みんな……!」
キアランが叫び、シトリンはさらに速度を上げる。
ふたたび、轟音と共に光。四天王青藍は、進行方向に向け、焼き払うように攻撃を放っていた。
それは、オリヴィアたち、守護軍のいるであろう場所――。
くそっ、早く、早く、皆を助けねば――!
焦るキアラン。それは、キアランを抱えて飛ぶ、シトリンも同じだった。
「当たれーっ!」
シトリンが青藍に向け、衝撃波を撃つ。続けざまに、二発。しかし、いずれも、青藍の素早い動きにかわされていた。
キアランは、そのとき、花紺青の言葉を思い出していた。
『自分の感情に操られてしまってはだめだよ』
やつが、素早いだけじゃない。シトリンの気持ちが、攻撃の命中の精度を下げているんだ。
シトリンは人間ではない。魔の者である。しかも、四天王だ。しかし――。
『私たちが、人間や高次の存在みたいだ、って』
花紺青は人間について話していたが、シトリンも人間のような感じかた、考えかたに変化している、キアランも確かにそう感じていた。大切な存在である翠を傷つけられたことで、シトリンはあきらかに感情的になっているようだった。
「シトリン」
キアランは、シトリンに声をかける。
「人間の、おまじない、試してみないか?」
「人間の、おまじない?」
きょとんとし、聞き返すシトリン。
「息を、すうーっと深く吸い込み、そしてゆっくり吐き出す。攻撃は、それからだ」
「ふうん?」
なんのことかよくわからない、といった様子のシトリンだったが、「おまじない」という言葉の響きを面白い、と感じたようだった。
「やってみるね。人間ごっこ、面白そう」
シトリンが、すうーっ、と息を吸い込み、ゆっくり吐き出す。そして――。
「これは――、翠のぶんっ」
シトリンが衝撃波を放つ。
光が、雪を、風を超えていく。空を切り開くように、すべてを蹴散らすように――。
ドン……!
飛び続けていた青藍の体が、大きく右側に傾く。ついに、命中したのだ。
炎と煙に包まれ、青藍が落下していく――。
「やった!」
シトリンとキアランは、同時に叫んでいた。
「人間ごっこ、すごいっ」
雪煙が上がるのが見えた。青藍が、深く雪の積もった氷の大地に激突したのだ。
「とどめを刺さなくっちゃ!」
青藍の落下した場所へ、シトリンが急降下する。
「あっ……!」
地上に降りたシトリンとキアランは、絶句した。
「これは……」
白い雪と氷の大地の中、あきらかに不自然な物体がある。
それは、青く、大きな卵のようなもの。青藍の姿はどこにもない。
どくん、どくん。
卵のような物体の中から、心臓の鼓動のような音がする。
強い圧迫感と、どす黒く渦巻く闇のようなエネルギーを、キアランは感じていた。
「シトリン、これはもしかして――」
「うん……。たぶん、さっきの四天王だと思う」
「これが、四天王青藍――」
シトリンは、青い卵に向け衝撃波を放つ。大きな爆発音がして、卵が炎に包まれる。しかし――、炎が消え、煙が上がるが、卵には傷一つ、汚れ一つついていなかった。
卵の中の鼓動は、一定のリズムを刻み続けている。
「こんな防御、回復の方法があるんだ――」
呆然と、シトリンが呟く。
「防御? 回復?」
「うん。たぶん。強力な殻を作り、その中で、ある程度回復するまで眠り続けるってことじゃないかな」
キアランは、天風の剣で卵を斬りつけてみた。硬い金属にぶつかったような手ごたえがしただけで、卵はびくともしない。
「天風の剣でも、傷一つつかない――」
もしかしたら、という思いで試してみたが、やはり物理的な衝撃も効果がないようだった。
こちらからの攻撃は無効だが、卵の中からの攻撃の兆候も見られなかった。
ある程度回復するまでこの状態――、ということは、しばらくやつの攻撃はないということか。
キアランは、シトリンのほうへ向き直る。
「シトリン! 守護軍から逆に攻撃されてしまうかもしれないが――。オリヴィアさんたちのところへ連れてってくれないか?」
「もちろん!」
青藍をなんとか倒したい気持ちもあったが、皆の状態も、一刻も早く知りたいと思った。
私は、アマリアさんたちと違って、治療もなにもできない。でも、皆の無事を確かめたい――!
守護軍のほうへ近づけば近づくほど、雪嵐はひどくなっていた。
心配していた、守護軍からシトリンへの攻撃はなかった。それがかえってキアランを不安にさせた。
大勢が、命を落としたり、深刻な怪我をしてしまったりしているのではないか――。
「キアランーッ!」
風の合間に聞こえてきた、キアランを呼ぶ声。それは――、
「オリヴィアさんっ……!」
オリヴィアだった。
「オリヴィアさん! 無事で……、本当によかった――!」
倒れている守護軍の人々も見えた。治癒の魔法を唱える声が、あちこちから聞こえてくる。オリヴィアたちのいるこの場所から、結界が張られているようで、見えない壁で吹雪が遮断されているようだった。
キアランは、近づいてくる人物の気配に振り返る。思わず、キアランの顔が明るく輝く。
「テオドル!」
テオドルだった。
「キアラン……! よく無事で……! よかった――」
「テオドルも、本当に無事でよかった……!」
キアランとテオドルは笑顔で抱擁し、互いの背を叩き合った。
「四天王の攻撃で、皆どうなったのかと――」
「オリヴィア様の魔法、『偽魂の法』のおかげで、なんとか死者を出さずに済んだんだ」
「『偽魂の法』とは……?」
強烈な四天王青藍の攻撃。どうやって、皆の命が助かったのか、キアランは疑問に思う。
「人に見立てた簡単な雪の塊をいくつも作って、そのひとつひとつにオリヴィア様が魔法をかけた。いわば、身代わり人形みたいなものなんだそうだ。我々は、そこから離れたところにいたんだ。魔法攻撃も、雪の塊から出ているように見せかけられるとのことだった。そのおかげで、直撃は免れた」
オリヴィアに代わって、テオドルが説明した。
「でもやはり、強烈かつ広範囲になってしまった四天王の攻撃――。防御の魔法でも防ぎきることはできず、負傷者は大勢出てしまいました――」
オリヴィアが、悲しそうに目を伏せる。テオドルがそんなオリヴィアを励ますように、オリヴィアのおかげで皆救われたのだ、とまっすぐな感謝の気持ちを伝えていた。キアランもオリヴィアを励ます。あの状態で皆が生きているのは、奇跡的だ、オリヴィアの高度な魔法のおかげだ、と。
キアランは、改めてオリヴィアに向き直る。オリヴィアに、どうしても伝えておきたいことがあった。
「オリヴィアさん。ライネが、あなたのことをとても案じておりました。あなたの無事を知ったら、ライネがどんなに喜ぶことか――」
「ライネが――! キアラン、ライネは――、無事ですか? 大丈夫ですか?」
オリヴィアは、なにかを感じていたのかもしれない。キアランの口からライネの名が出ると、一瞬花が咲いたように微笑みを浮かべたが、すぐに不安そうな、今にも泣き出しそうな表情に変わっていた。
「ライネは、大丈夫です。強い戦士ですから」
あえて、キアランはライネが負傷していることを伏せた。オリヴィアは、安心したように深いため息をついた。
オリヴィアは、改めてキアランの無事に喜びの言葉を述べ、ライネのことを伝えてくれたことを深く感謝した。それからオリヴィアは、キアランとテオドルの元を離れ、負傷者の治療に急ぐ。
キアランはそこでようやく、大切なことに気づく。
シトリンが、いない。
ここに着いたとき、シトリンは一緒にいたはずだった。それが、いつの間にか姿を消していた。
テオドルや僧兵たちに気を遣ったのか――。
翠のところへ戻ったのかもしれない、キアランは思う。
四天王青藍は死んだわけではなく、すぐそこに存在する。他の従者たちも、こちらに向かってきている。そして、いずれ四天王オニキスも――。
気を抜けない状況にまったく変わりはないが、オリヴィアとテオドルの元気な声を聞き、笑顔を見て、キアランの心は束の間の安らぎを感じていた。
皆、生きている。とりあえず、今は――!
今を、喜ぼう、キアランは見えない壁の向こう、厚い雲の向こうの太陽を見つめる。
「これは……。青藍か」
赤朽葉が、青い卵の前に立つ。赤朽葉の嗅覚は、卵の出現、そして卵が何者であるかを、正確に掴んでいた。
卵が揺れる。
にゅっ、と腕が一本現れる。外側の衝撃からは非常に堅固な殻だが、内側から出るさまは、まるで膨らませた風船の中から出てくるように見え、柔らかで伸縮自由なもののように思えた。
すぐに青藍の頭、そして続く上半身も現れた。
「赤朽葉――。いいところに、来た――」
赤朽葉を見つめ、青藍が笑った。
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