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【創作長編小説】天風の剣 第151話

第十章 空の窓、そしてそれぞれの朝へ
― 第151話 暴走する心 ―

 まったく、理解不能だった。
 四天王オニキスにとっては。

 なんなんだ……! これは……!

 オニキスは、あふれ出る胸元の血を手で強く押さえつつ、自ら作った空間の中を移動していた。
 キアランによってつけられた傷。危うくあと少しで、急所に到達するところだった。

 人間の血の入った、あんな中途半端な小僧に、このような傷を負わされるとは――!

 オニキスは、苛立ちとともに荒くなる呼吸を、なんとか静めるようにした。それから巨大になった体を、以前のような、人間と同じくらいの大きさへと戻す。そうすることで、傷口の治療に全力を注ぐ。

 私は、四天王を超えた存在だぞ……!

 半人前の力の相手にあっけなく倒される、絶対にそんなことがあってはならない、あるはずがない、とオニキスは思う。
 血はまだ止まらない。オニキスは飛ぶのをやめ、空間を出て横たわることにした。空間の維持を続ける余力もなかった。
 雪の降り積もる針葉樹の森。そこで、強い気配に気づく。

 他の四天王が、この先にいる……?

 四天王シトリンやシルガーとは違うような気がした。初めて出会う波動だった。

 あの私に術をかけた忌々しい四天王のあとに生まれた、赤子か。

 人間の感覚でいえば、かなりの距離があった。治療に全力を注いでいるとはいえ、気配を隠すことは得意だったため、おそらく向こうはこちらに気づいていないだろうとオニキスは思う。

 まあ、気付かれたところで、どうということもあるまい。

 通常は、四天王同士が衝突することはほとんどない。よほど力を試すことが好きな気質のもの、もしくは、四聖よんせいの奪い合いが生じた場合くらいしか、四天王同士が戦い合うことはないはずだった。すでに大きな力を持っているので、戦う必要性がないのである。
 アンバー、パール、シトリン、彼らはこの世界の歴史の中で、例外的な動きを見せた四天王たちなのだった。
 
 早く戦える状態にしなくては――。

 オニキスは、目を閉じた。心を乱す怒りも苛立ちも忘れ、治療に専念しようと思った。

 心を乱す……?

 そう自問したときだった。
 目を閉じ外界からの情報を意識的に遮断しているのに、暗い瞼の向こう、なにかが像を結ぶ。
 それは、人間だった。人間が、こちらを見つめている、オニキスの心の中に、そんな映像が浮かんでいた。

 アマリアという女……!

 アマリアが、まっすぐこちらを見つめている。
 オニキスを拒絶する強い意思。圧倒的な力の差があるのに、決してひるむことのない強い眼差し。
 しかし――、アマリアの瞳の奥にあるのは――、オニキスの知らない感情――。

 哀れみ……?

 言葉にしてみると、まったく違うような気がした。アマリアは、見下すことなく同じ視線で見つめている。

『あなたが、あなたらしくいられる場所へ』

 アマリアの声が聞こえた気がした。オニキスは動揺する。そんなはずはないと思うのに、言葉をかけられたような気がしたのだ。

『オニキス。あなたは、あなたよ』

 イメージが次々とオニキスの前に現れる。あたたかな金色の太陽。美しい歌声。そう。美しい。オニキスは、美しいと、感じていたのだ。
 すべてを包み込むような、琥珀色の瞳――。
 オニキスは、いいようのない感覚に支配されていることに気づく。

 なんなんだ、いったい……!

 鼓動が、いつもより早い。呼吸もふたたび荒くなる。苦しい、オニキスはもがいた。苦しい、なにが、どうして、苦しいのか――。
 胸元を押さえ続けた右手のひらを、確認するように開いてみる。そこには、自分自身の血がこびりついているだけだった。
 空っぽの、右手。

 どうして、手放してしまったのだろう――。

 遠くで、高く鳴く獣の声がした。鹿なのかもしれない。
 あのとき、心が波立ち、耐えられなくなって放り投げた。

 どうして――。

 鹿は、狼かなにかに追われ、逃げだしたに違いない。
 狼は、捕食するために鹿を追う。しなやかに躍動する、鹿の体。狼が追うのは、果たして胃袋を満たすためだけなのだろうか。自分とは異質の生き物に、輝くような命に、魅了されているということは……?
 オニキスは、震えながら自分の心に問いかけた。

 私は今、いったいなにを考えている……?
 
 心がざわざわと落ち着かず、胸が苦しいのは、傷のせいなのだろうか。奇妙なことを考えているのは、高次の存在を取り込んだからなのだろうか。
 昔、自分を四天王にするために協力し、従者となったあの魔の者。志願して従者となってくれた赤目。そして、自分の手の中にいたアマリア。

 皆、手に入れたはずなのに、離れていった――。

 オニキスは、自分の胸を強く手で押さえていた。血はすでに止まっていた。それでも、強く押さえ続けた。
 心は、オニキスを責め立て続ける。なにかを促すように。しかし、なにを促しているのか、オニキス自身にもわからない。
 オニキスは、自分の心の激しい動きに戸惑いながらも、顔を上げた。
 
 いや……。あれは、まだ手に入れられないわけではない――。

 オニキスは、もう理由を考えることを止めた。熱を帯び、出口を求め暴れ続ける心の源泉がなんなのか、突き止めることを放棄した。
 ただ、欲しいと思った。
 落ち着いて考えれば、簡単なことだった。

 欲しければ、もう一度手に入れればいいのだ――。

 オニキスは、笑う。そうだ、手に入れよう、決意する。
 なぜ欲しいと思うのか――、自問するのを、意図的に避けた。

 アマリア。私はきっと、あの女を自分の手で殺したいから手に入れたいだけなのだ。

 赤目は、惜しい逸材だったから執着しているのだ、あの裏切り者の従者は、アマリア同様自分の手で始末したかったから心に残っているだけなのだ、オニキスはそう結論付けることにした。
 オニキスは、気付かない。気付こうともしない。それは、自分の心を、守るため。心の扉を、固く閉ざした。
 黒い獅子は、オニキスの深い心の奥、閉ざされた厚い扉の向こうにいた。
 オニキスは欲し、そして同時に恐れていた。
 扉の向こうの獅子が、勝手に外へ飛び出し、自分を支配してしまうことに。
 アマリアのぬくもりを欲しているのは、自分なのか、心の奥の獅子なのか。オニキスは探ろうともしない。



白銀しろがね黒羽くろは

 空を飛んで移動していたシルガーだったが、突然動きを止めた。

「シルガー様。なんでしょうか」

 シルガーの両脇を飛んでいた白銀しろがね黒羽くろはも、その場に止まる。

「お前たちは、もう自由だと言ったはずだが……?」

 白銀しろがね黒羽くろはは、揃って首を横に振る。

「私たちは、シルガー様の従者です」

「……アンバーの遺言は?」

白銀しろがね黒羽くろは。本当に、ご苦労でした。あなたがたは、もう自由です――』

 アンバーは最期にそう告げていた。シルガーに仕える必要もないはずだった。

「お前たちが四聖よんせいを殺して力をつけ、私を含めた四天王の誰かに取って代わる、それでもいいと思うが?」

 白銀しろがね黒羽くろは、それぞれの瞳は揺るがなかった。

「私たちは、誇り高い従者です。そんなことを考えたことは、ただの一度たりともございません」

 白銀しろがねが、胸を張る。小柄な老人の姿をしているが、そのときの白銀しろがねの姿は、吹きすさぶ雪空の中、大きく堂々と輝いて見えた。

「そして、私たちが仕えるのはシルガー様。あなた様しかございません」

 黒羽くろはが、はっきりと告げ、微笑みを浮かべた。

「アンバー様も、きっと私たちの決断、喜んでいらっしゃると思います」

 悲しみと強さ、未来を見つめる黒羽くろはの瞳は、とても美しく澄んでいた。

「……確認できて、よかった」

 シルガーは、ほっとしたような笑顔になる。

「もし、お前たち、またはお前たちのどちらかが、四聖よんせいを狙って移動しているのだとしたら、少し困ったな、そう思っていたのだ」

 白銀しろがね黒羽くろはは、シルガー様の動きに従っているだけです、と口を揃えて叫んでいた。

「私は、お前たちと戦いたくはないからな。決して」

 白銀しろがね黒羽くろはは、顔を見合わせ、それから、みるみる明るい笑顔になった。

「ついてくるのが、お嫌ではないのですね」

「私たちふたりがついていっても、大丈夫なのですね」

 シルガーは、肩をすくめ、笑う。

「四天王になりたての私のもとにつきたいなんて、お前たちは、ずいぶんと酔狂な従者だな。ただし、お前たちはふたりでセットだからな。ついてきたいなら、ふたりで来るがいい」

「はっ。どこまでも、お供いたします――」

 本当に酔狂だな、シルガーは思う。
 どうせだったら、もっと、まともな四天王につけばいいのに、と。

「……まともな四天王。とりあえず見当たらないが」

 きっと、シトリンが聞いたら、めいっぱい頬を膨らませて怒るに違いない、とシルガーは思う。
 
 四天王――。

 そのとき、シルガーも感知していた。
 新たな四天王が、すでにこの地に訪れていることを――。

◆小説家になろう様、pixiv様、アルファポリス様、ツギクル様掲載作品◆

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