【創作長編小説】天風の剣 第136話
第九章 海の王
― 第136話 攻撃の手ごたえ ―
恐ろしいまでの風の音、そして風圧。
息をするのも、やっとだった。
アマリアは、凄まじい速度で飛行する四天王オニキスに抱えられていた。
すぐ傍には、四天王パールが飛んでいる。パールからの攻撃は、今のところない。それは力の差の余裕からなのか、それとも――。
破壊せず、そのままの状態で食べようとしているのかもしれない。
ぞっとした。そしてそれ以上に悔しかった。四天王パールは、両親や親族の仇。そして、四天王オニキスはキアランの両親の仇。倒すべき強大な二つの敵の前に、どうすることもできない自分。あふれる涙をこらえられない。
アマリアは、そんな自分自身を心の中で叱りつけた。
自分の感情に気を取られている場合じゃない……! 今、私にできることを考えなければ――!
アマリアは、冷静さを取り戻そうと努力した。
なんとか、深く息を吸い込む。苦しい体勢の中、なんとか深呼吸をして、気持ちを落ち着かせた。
まず、風の激しい音から聴力を閉ざすことを試みた。今関係のない外界の刺激から、意識を遮断するのだ。
心を整え、自分の意識を向けるべき方向にだけ、感覚を研ぎ澄ませる。
強引に抱えられたアマリアの左頬は、オニキスの右胸に押し付けられている。
ドクン、ドクン。
逞しい胸筋の奥から、オニキスの鼓動が聞こえる。
様々な形状、それぞれ一定の法則があるのかもしれないが変身する肉体、さらに個体によっては組織の再生も可能という魔の者。人間の体と同じ構造とは到底思えない。この鼓動が、人間の心臓の鼓動にあたるものかどうかもわからない。
アマリアは、オニキスの体深く、意識を集中することにした。まるで、注意深く診察する医者のように。
魔の者、しかも四天王について、人間に過ぎない私が探る。そんなこと、できるわけがない。
しかし、とアマリアは思う。
術とはいえ、オニキスの力のわずかひとかけら、獅子がアマリアの心の中にいた。そして、その獅子に手で触れた。
獅子は、オニキスの様々なエネルギーの中のほんの小さな一端に過ぎないとしても、紛れもなくオニキスのエネルギーを表すもののひとつ――。
ドクン、ドクン。
アマリアは瞳を閉じ、獅子に触れたときに感じたエネルギーを、はっきりと思い浮かべた。
アマリアは、静寂の中にいた。
暗闇。一人、暗闇の中に裸足で立つ。実際は、オニキスの腕の中、空を飛んでいるのだけれど。
暗闇に、ひとつの像が浮かぶ。こちらを見つめる、獅子の金の瞳。アマリアは、手を伸ばす。そして、獅子を抱きしめる。左頬を、左耳を、獅子の胸につける。その奥から、鼓動が聞こえる――。
アマリアは、ハッと息を飲んだ。
これだ……! オニキスの体を流れる、エネルギー……!
アマリアは、はっきりとオニキスのエネルギーを感じ取っていた。オニキスのエネルギーが、集まっては全身に流れていく。それは血液のように、鼓動に乗って。
集まり、流れる。それは、要。もしかして、これが――。
導き出される、一つの答え。
四天王オニキスの、急所――!
ドッ……!
それは、唐突だった。信じられない、ありえないものが突然アマリアの目の前に出現した。
手。血まみれの、腕。
え……。なんで、腕……。
アマリアは、激しく動揺した。自分の顔すれすれに、腕がつき出されている。
「がああああっ……!」
オニキスの、叫び声。オニキスの口からも、血があふれ出ていた。
え? なにが、どうなって……!?
アマリアの視界が、血に染まる。アマリアは目を見張り、急いで思考を巡らす。アマリアの鼓動が、早鐘を打つ。頭の中で自分が見た光景と、情報の処理が追い付かない。
ザッ……!
現れたとき同様、腕が突然消えた。
そして、アマリアは自分の体が急降下していることに気付く。オニキスと共に。
落下しながら、オニキスの肩越しからアマリアは目撃した。
パールが、笑っている。笑いながら、手にしたものを口にしている。
「四天王って、こういう味なんだね」
四天王パールの右腕が、四天王オニキスの背からオニキスの左胸を突き破り、その肉を――おそらくは肺に相当する器官の一部を――、食らっていた。
「パールッ! オニキスッ!」
怒声がアマリアの耳に入る。
これはきっと――、シルガーさんの声――。
アマリアの心と体は、恐怖と混乱、そして落ちていく衝撃に耐えきれず――、そして、気を失った。
「私がアマリアおねーちゃんを助けるっ!」
シルガーにそう告げるやいなや、シトリンは落下するオニキスとアマリアを追って急降下していた。翠と蒼井もシトリンに続く。
「おや。シルガー。君はすぐ、僕の前に現れるね」
パールは、鮮血にまみれたまま、にっこりと笑みを浮かべる。
「君と一緒に来た今の女の子の四天王といい、この前燃やしちゃった四天王といい、君はずいぶんと四天王と仲がいいんだね。もしかして、今僕が食事にしてる四天王とも、友だち?」
この前燃やしちゃった、というパールの一言で、シルガーの銀の髪がざわざわと逆立つ。銀の瞳が、強い光を帯びる。
低い声で、シルガーは呟く。ふつふつと湧き上がる怒りをこらえるように。
「……お前はまったく、手当たり次第だな」
ふふ、とパールは笑い声を立てた。
「ちょっと意外で残念だったんだけど、四天王は他と比べると味が落ちるね。普通の魔の者は、ぐんと味わいが豊かでおいしいんだけど。それは、自分と同じエネルギーだからかな。同じもの同士は、新しく得るものがないってことなのかもしれないね。それとも、争いを避けるため? よくわかんないけど、ひとつ、勉強になった」
「知るかっ!」
たわごとを、と思った。
シルガーは、勢いよく右腕を振り下ろした。
ゴウッ……!
シルガーは、衝撃波を放つ。パールの急所、足首目がけ、力強く――。
「貴様も、終わりだ……!」
シルガーは、一撃に渾身の力を込めていた。パールに向けまっすぐに伸ばした指先が、かすかに震える。
貴様は、様々なエネルギーを食らい過ぎた。だから、異常な強さとは裏腹に、もろく弱くなってしまったんだ――。
『さあ。今度は、あなたが、四天王になる番です』
シルガーはそのとき、アンバーの声を思い出していた。
四天王アンバー……。私もようやく、あなたと同じ座に――。
衝撃波によって起きた爆風が、風に流れていく。
「なに……!?」
シルガーは絶句した。
パールは、変わらぬ姿で宙に浮かんでいた。
「シルガー。君にも教えておいてあげるね。僕は君と会えない間に、勉強と練習、鍛錬をしたんだ。だから、君が一撃で僕を吹き飛ばす、それはたぶんもう不可能なんじゃないかなあ?」
パールは、少し首を傾け、美しく微笑む。
「四天王になれなくて、がっかりした?」
シルガーの銀の長い髪が、風に大きく揺れる。
「……いや。ただ私の考え違いだったらしい。そんなに簡単になれるものではない」
オニキス、やつのことは知らない、シルガーは心の中で呟く。
「貴様やオニキスはともかく、アンバーと同じ場所に立つ、それが簡単なこととは私も思っていない……!」
シトリンも、そうシルガーは思う。
翠や蒼井、シトリンさえもその気になればいつでも簡単に倒せる、そう考えていた。
一直線にアマリアを救出に向かったシトリン、翠、蒼井。
シトリンの、純粋な、まっすぐな瞳――。
そんな簡単なことじゃない。シトリン、私はあなたも倒せそうにないな。
シルガーは、ふっ、と笑った。あきらめと自嘲の入った笑い。しかし、それはどこか嬉しそうにも見えるものだった。
「君も、僕に食べられるといいよ」
パールは、囁く。まるで、誘惑するように。
「そうすれば、君も四天王だ。僕の中で、ね」
ザッ……!
シルガーは、炎の剣を手にし、パールの足首目がけ、斬りつけていた。
想像とは違う、音がした。
なに……!?
炎の剣は、大きく弾かれていた。
硬い……! やはり、炎の剣でも通用しないのか――!
パールの体には、傷一つつかなかった。
シルガーは、手ごたえがないことを判断すると同時に、風のように素早くパールの間合いから逃れる。
シルガーにはわかっていた。反撃を受けず間合いをとれたのは、パールより素早く動けたのではなく、パールがシルガーの動きを、ただ見ていただけだったからだ、ということを。
「君の動き、無駄がなく美しいから、楽しいよ。前言撤回。すぐに食べちゃうのは、やっぱりもったいない」
パールは、瞳をきらきらと輝かせ、明るく声を弾ませた。
「僕も、君の友だちになれる? おなかがすいて、僕が君を食べたくなるまで」
そんな友情が、世の中のどこにあるんだ。
少し湿気を含んだ風が吹き抜ける。いつの間にか灰色の雲が広がっていた。
口にするまでもないどうでもいい返答を思い浮かべつつ、シルガーは、先ほどの衝撃波と炎の剣、二つの攻撃の手ごたえについて考えていた。
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