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【創作長編小説】天風の剣 第150話

第十章 空の窓、そしてそれぞれの朝へ
― 第150話 歌が聞こえる ―

 雪は、勢いを増していた。
 容赦なく肌を叩き続ける冷たいつぶてを超え、見つめあう、瞳と瞳。

「キアランさん――!」

「アマリアさん――!」

 二人は、その名を呼び合った。姿を見つめ、声を聞く、どれほどこの瞬間を心待ちにしていただろうか。

「キアラン。少し動きにフェイントをかけつつ、近づくからね」

 板を操る花紺青はなこんじょうが、後ろからキアランに作戦を伝える。キアランは、黙ってうなずいた。
 氷の刃のような風を切り、キアランと花紺青はなこんじょうを乗せた板が飛ぶ。キアランとしては、一刻も早くアマリアを捕らえている巨大なオニキスの右手に接近したかったが、花紺青はなこんじょうの宣言通り、板はオニキスの反応をうかがいつつ、大きなカーブを描きながら進んでいた。

 オニキス……?

 オニキスを見上げ天風の剣を構えながら、キアランは疑問に思う。
 そのときのオニキスの瞳は、まるでキアランを映していないように感じられたのだ。

「なぜだ……、なぜ……」

 オニキスは、信じられない、といった様子で呆然と呟いていた。

 先ほどから、どうもオニキスの様子がおかしい。なにか――、思いがけないことが起こり、混乱しているみたいだ。

 いったいなにがあったのかわからないが、これはチャンスに違いないと、キアランは思う。
 シトリンとみどりと蒼井も、オニキスの変化を感じていたようだった。先ほどまで続いていたオニキスへの攻撃を中断していた。激しく動揺している様子のオニキスに刺激を与えて我に返ることのないよう、静観しているようだった。

 私の一撃に賭けてくれているんだ……!

 熱い気持ちになりながらも、改めて気を引き締める。
 オニキスは、かすかに震えているように見えた。顔をややうつ向かせ、唇を噛みしめている。

 オニキスは、いったい、なにを考えているんだ……?

 オニキスの目には、キアランも花紺青はなこんじょうもシトリンたちも、それから少し離れた場所にいるカナフも、さらには――、自分の手の中にあるアマリアさえ見えていないようだった。

 体の中で、異変が起きているのか……? もしかしたら、高次の存在を取り込んだための、体の異変? それとももしかしたら、心の――?

 体なのか心なのかわからない。しかし、オニキスの中で、なにかが暴走しているのは間違いないようだった。
 花紺青はなこんじょうも、これをチャンスと捉えているようで、板をまっすぐ進めて空を移動していく。
 キアランには、ずっと考えていたことがあった。
 今まで、数々の魔の者と戦ってきた。魔の者への攻撃は、相手が強者であれば強者であるほど、急所への攻撃以外は、ほとんど反応がない。腕を切り飛ばしても、体を突き刺しても、痛みを感じないのか耐性があるのか、多少うめき声を上げ、顔を歪める程度で、平然としている。
 しかし、以前、この空飛ぶ板の元となった、吊り橋での戦いのときのオニキス。シルガーの手助けもあって天風の剣で斬り付けることのできたあのとき、去り際のオニキスの見せた一瞬の表情、すぐに姿を隠してしまったのでほんの一瞬しか見ることはかなわなかったが、あれは、もしかしたら通常の攻撃で受けた反応とは違うものだったのかもしれない――、ただの勘に過ぎないかもしれないが、キアランはそのように考えていた。

 あのとき斬り付けたあの場所、あの付近がオニキスの急所なのではないか。左肩から、胸元にかけて。もしかしたら、心臓にあたるくらいの場所……!

 心臓。キアランは、そこに賭けることにした。

花紺青はなこんじょう! 胸の中央、やや左寄りに、頼む……!」

 キアランは、天風の剣を突き刺すような形に構え直す。
 
 このまま、突っ込んでいく……!

 キアランが風を切った、そのときだった。
 オニキスの金の瞳。キアランを捉えていた。

「キアラン……!」

 オニキスがキアランの名を呟く。
 まずい、キアランは思う。しかし、最初から無謀なことはわかりきっていた。気づかれずに倒す、そんなことができるわけがない。

 ガッ……!

 天風の剣が、オニキスの皮膚を切り裂く。鮮血が、ほとばしる。白い雪が、世界が、赤く染まっていく。

「四天王オニキス! これで、終わりだ……!」

 キアランは奥歯を食いしばり、ありったけの力を込めた。すべての思いを込めて。両親の無念、そして、アマリアを助けること、犠牲になった、高次の存在――。すべての、想いを。

 四天王オニキス……! 私の宿敵――!

 キアランは、力を込め続けた。そのままの勢いで、天風の剣は、オニキスの体の内部へと――。
 唐突に、歌が聴こえた。

 歌……?

 美しく、あたたかい旋律。その場にそぐわない、とても穏やかな歌――。
 キアランの目に、強烈な光が迫る。おそらく、オニキスの衝撃波。耳をつんざくような轟音。そんな中、誰かがキアランを掴んでいた。そして、激痛。

 私は、花紺青はなこんじょうは――!

 なにもわからない。ただ、自分が落下している、それだけはわかった。

「ぐがああああ……!」
 
 奇妙な絶叫が聞こえた。それが、激痛により自分で上げた声なのか誰かの声なのか、それとも、自分の心の中の叫びなのか、それすらキアランにはわからない。

 声を、出せたのだろうか。私の喉は、まだあるのだろうか……?

 天風の剣は、と思う。手の感覚も、わからない。
 たぶん、オニキスの衝撃波で、天風の剣まで消滅はしないだろうと思った。

 天風の剣は、アステールは……。人間、魔の者、高次の存在で力を合わせた、特別な剣だから――。

 もしかしたら、オニキスの攻撃で自分の体は砕け散ってしまったのではないか、キアランの意識から、体の感覚が消えていた。

 花紺青はなこんじょう、ごめん。アステール、ごめん。

 シトリンは、生きていて欲しいと願った。きっと、四天王である彼女なら、皆と力を合わせて天風の剣を掲げ、自分の代わりに空の窓を閉ざしてくれるだろう、キアランは、思った――。
 ふと、さっきの歌声は、なんだったんだろうとキアランは思い出す。
 
 聴こえたのは、気のせいだったのだろうか。でも、アマリアさんの声だったような気がする。
 
 アマリアさん、その名を思い浮かべたとき、キアランの心に熱いものが込み上げてくる。

 アマリアさん。ごめん――。

 落ちていく感覚も、もうわからない。ただ、アマリアの微笑みが、心に浮かんでいた。



 あたたかかった。心地よい、あたたかさだった。

 ルーイとアマリアさんに、治癒の魔法をかけてもらってたっけ。

 ふと思い出す、あの日。
 それから、バームスに乗らなくていいって言ってたのに、二人に叱られ、渋々バームスの背に乗ったっけなあ、ぼんやりと、そんなことも思い出す。
 そこまで考えてから、ハッとし、キアランは飛び起きた。

 生きてる……!

 キアランは、自分がまだ生きていることを知る。

「よかった、キアラン! 気が付いた……!」

 声のするほうに顔を向けると、花紺青はなこんじょうが笑っていた。

花紺青はなこんじょう、無事だったか……!」

 歓喜のあまり叫んだキアランだったが、さらなる驚きが待っていた。

「アマリアさん……!」

 目の前に、アマリアがいたのだ。アマリアが手をかざし、キアランを治療していたのだった。

「いったい、これは……!」

 夢なのか、それともここは天国で、自分を含め皆死んでしまっているのではないか、そんなことを思ったが、体中を走る激痛、手に触れていた雪、体に染みいるような冷たさで、これは現実であると確信する。
 さらに、自分の腰のところには天風の剣、アステールもちゃんとあった。

「皆無事で、本当によかったです」

「カナフさん!」

 カナフの笑顔もあった。
 
「オニキス、オニキスは、どうなって……!」

「また、姿を消しちゃった」

 木にもたれかかりながら、シトリンが、答えていた。
 よく見れば、シトリンとみどりと蒼井もすぐ近くにいた。

「オニキスの急所は、キアランさんの仮定通り、人の心臓に相当する場所だと思います」

「アマリアさん!」

 キアランは、驚く。なぜ、アマリアがオニキスの急所を――、と。
 アマリアは、今までの経緯を説明した。アマリアが意識を失っている間のこと、黒い獅子のこと――。
 アマリアが一通り話し終えると、今度はシトリンが、自分の手の届く木の枝に積もった雪をすうー、とすくいとり、小さな雪玉を作りながら話を始めた。

「オニキスは、深い傷を負ったと思うよー。でも、今夜の空が開くときには、無理をしてでも、また姿を現すと思うけどね」

「そうか」

 なるほど、そうだろうとキアランは思う。どの程度の傷を負わせたかわからないが、オニキスが黙っているわけがない。

「でも、そんなことよりー」

 シトリンは、綺麗に丸めた雪玉を地面に置く。

「二人の再会っ! キアラン、アマリアおねーさん、ほんとにおめでとー!」

 ぱちぱち、とシトリンは手を叩く。拍手ついでにちゃっかりと、手についた雪を払っているようでもあった。

「なんなら、私たち、席を外す? そうしたほうがいい? 二人っきりに、なっちゃう?」

 にこにこと、シトリン。みどりと蒼井もバッチバッチと盛大な音を立て両手を叩く。シトリンの拍手を真似ているようだ。
 思わず赤面するキアランとアマリア。

「そ、それより――、どうやって、私や、その、アマリアさんは助かったのだろう……?」
 
 ちょっと言葉を詰まらせつつ、キアランは尋ねる。その問いには、花紺青はなこんじょうが答えていた。

「あの瞬間、カナフおにーさんが、強い守りの術で包んでくれたんだ。それから、シトリンやみどりや蒼井もオニキスを攻撃してて、オニキスの集中力をそいでくれてた。放つ衝撃波の強さは、念や思いの強さも関係するからね」

「あの瞬間、誰かが私の体を掴んだ気がしたのだが――」

「ああ。それは僕。強く引っ張った。キアランを引っ張ることで、アステールを引き抜いて、そして板から落っこちて、おかげでオニキスの衝撃波の直撃も防げた。ただ――、」

 花紺青はなこんじょうはうつむき、悲しそうな顔をした。

「板は、消えてなくなっちゃった」

「そうか――」

 幾度となくキアランと花紺青はなこんじょうを助け、支え続けてくれていた吊り橋の板。花紺青はなこんじょうが、友だちのように感じていた板――。

「……すまなかった」

 花紺青はなこんじょうは、首を左右に振った。

「今までずっと一緒にいたけど――。ほんとなら、あの吊り橋での戦いのときに、消えてたはずなんだ。だから、あの板は予定より長く生きられたんだよ。板が生きるって、ちょっと変かもしれないけど」

 変じゃない、キアランは心の底から思った。板は、確かに生きていたのだ。

「それから、あの歌。あれは、アマリアさんだったんだよ」

「やはり、気のせいじゃなかったのか……!」

「あの歌にも、助けられたんだ。僕たち。そして、アマリアさんも歌うことで助かった」

 歌うことで……?

 花紺青はなこんじょうの説明に、アマリアがうなずく。

「あれは、魔法だったのか……?」

 アマリアの、術の一つかとキアランは思った。しかし、アマリアは静かに首を振った。

「愛と癒し、喜びの歌なんです。私の住む村で、古くから、よく歌われている歌です」

「愛と癒しと喜びの歌……?」

 あのとき、アマリアの目には、夢で会っていた黒い獅子が見えていたのだという。

「……どうしてかは、わかりません。なぜ、自分が歌を、あの歌を口ずさんだのかも。ただ――」

 歌ったとき、黒い獅子が、背を向けたのだという。まるで、満たされたかのように。自らの誇りを思い出し、夕日に向かって歩き出したように見えたのだという。
 夕日に照らされ、黒いたてがみが、金色に見えたのだという――。

「そして、オニキスは、叫びました。それから、私を放り投げたのです」

 あのときの絶叫は、オニキスの声だったのか、キアランはそこで初めてわかる。

「放り投げた……?」

「ええ。オニキスの心の中で、なにが起こっているのか、私にはわかりません」

 もしかしたら、アマリアは付け足す。

「オニキス自身も、わからないのかもしれません」

 満たされた、黒い獅子。さらに混乱し、アマリアを手放したオニキス。
 
「あの夕日を背景にした獅子の映像は、私の想像、幻想に過ぎないのかもしれません。ただ、あの歌が、オニキスになんらかの変化を及ぼした、それは確かなことなのだろうと思います」

 満たされた、獅子――。

 不思議な思いで、キアランはアマリアの話に耳を傾けた。それは、希望に繋がる大きな変化のような気がしていた。
 気が付けば、シトリンはさらに小さな二個目の雪玉を作り上げ、一個目の雪玉の上に乗せていた。とても小さな雪だるまが完成した。

「キアラン。大丈夫そ? もし体がだいじょぶだったら、四聖よんせいのみんなのほうへ私たちも行こっかー。実はさっき、シルガーや白銀しろがね黒羽くろはがここに来てて、キアランが気が付く前に、先に向こうへ飛んで行っちゃったんだよねー」

「アマリアさん……。本当に、よかった……」

 キアランは、シトリンの話の途中で、アマリアを抱きしめていた。
 顔を見合わせ、笑顔になるシトリンと花紺青はなこんじょう、そしてカナフ。
 そのときみどりと蒼井は、というと――。みどりと蒼井それぞれが上の雪玉と下の雪玉を一個ずつ作り、新たな雪だるまを共同制作、そして、シトリンの作った小さな雪だるまの横に、並べていた。
 仲良く並んだ雪だるま。両方の雪だるまの頭が、そっと、傾く。それは、抱きしめ合うキアランとアマリアを優しく見つめ、互いの肩に頭を寄せ、寄り添い合っているようにも見えた。

◆小説家になろう様、pixiv様、アルファポリス様、ツギクル様掲載作品◆

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