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【創作長編小説】星の見える町、化け物添えて 第31話
第31話 土星の環、真の相棒
「今日は明るすぎず暗すぎず、天体観測にとてもよい日です。惑星だけじゃなく、きっと星雲も見えますよ」
ペンション「星の宿」の本館脇には、ドーム状の天井の、小さな天文台があった。
でっかい天体望遠鏡……! 本格的だなあ……!
勇一の想像よりも大きな天体望遠鏡が、据えられていた。
「色々オーナーさんにお話を伺うのは、明日改めてにしましょう」
というゆかりの提案で、星の宿の通常宿泊プランである「天体観測会」に、参加することになったのだ。
オーナーと話し合うにはまず今晩、傘を含めた自分たちそれぞれの詳しい情報交換や意見交換を重ねてから、ということだった。
もっとも、オーナーは不思議なことがわかるし見えるけど……、ゆかりちゃんたちと違って普通の人みたいだしなあ。
詳しい話を打ち明けるのは、ある程度信頼関係を築いてから、という意識も勇一にはあった。有無を言わさず巻き込まれた形の勇一としては、やはり話を進めるのには通常の手順を踏んで欲しい、ある程度時間をかけるべき、という気持ちが大いにある。
それにしても。ゆかりちゃん――。
小学生とは思えない、と思う。常に凛とした雰囲気で、喜怒哀楽もあまり表に出ない。小学生のころの自分だとしたら、望遠鏡で星を見ようと提示されたら、わくわくして楽しみではしゃいでしまう、気分によってはめんどくさいからパスしたいなどと文句を言うとか、なんらかの感情をはっきり表に出したに違いない。
両親を失ってしまっていること、そしてさらに、その悲し過ぎる現実のために鏡家の当主になってしまったという背景が、この子の子どもらしさを奪っているのかもしれない。
ゆかりのまっすぐな背中が、寂しさを感じさせないようなしっかりとした立ち姿が、かえって不憫な気がした。しかし、勇一は思い直す。
いや。生まれつき大きな力を持つゆかりちゃん。もともとの気質もあるだろうし、俺みたいな出会ったばかりのただの凡人が、勝手に推し量るもんじゃないのかも。
なにも知らない立場で、憐れむのは失礼な気がした。相手が子どもであっても。
ましてや、のほほんと子ども時代を過ごしてきた自分。そんな自分と比べるのはお門違いだろうと思った。
「陽花おばちゃん、本当に無事でよかった……!」
ひのの傍に寄り、ひのをまっすぐ見上げつつ、ゆかりが声を掛けていた。
「うん……! 幽玄ちゃんも紫月ちゃんも、それからゆかりちゃんもお父さんも、みんな無事でほっとしたよう!」
ひのは少し屈んで笑顔でゆかりに返し、ゆかりと手を繋いだ。
ひのとゆかりは、手を繋いだまま本館脇の天文台に向かっていた。
夕食後のあたたかさそのままに夜気は優しく、星々は輝く。
「今の季節によく見える代表的な星座は――」
オーナーがよどみなく魅力的な星座の話や、惑星や星雲星団について語って聞かせてくれた。星空に対し、たまに見上げるくらいで、さぼど興味や知識がなかった勇一だったが、神秘的でロマンを感じさせる壮大な宇宙の話は、興味深く感じられた。オーナーの穏やかな語り口調も心地よかった。
ひの、ゆかり、ひのの父の護はもちろんのこと、人ではない存在の幽玄と紫月、白玉までも揃って傾聴していた。「星の宿」の天文台にこの人数は少々定員オーバー気味だったので、幽玄と紫月と白玉は、ぷかぷか空中に浮かんでいたが。
「それでは、どうぞ。ゆかり様から、望遠鏡を覗いてご覧ください」
皆の顔に、自然と笑顔がこぼれる。
宇宙、かあ。
勇一は、なんとなく胸ポケットに手をやる。ポケットの中には護りの隕石。
この隕石。それから、傘。宇宙から、来たんだもんなあ――。
「勇一」
幽玄が、勇一を呼ぶ。見上げれば、宙に浮かぶ幽玄の手には、傘があった。
あ。カバン。案内された部屋に置いたままだった。
幽玄が、カバンから傘を持ってきていたようだった。
「傘を」
幽玄に促され、勇一は傘を受け取る。
ゆかりのあと、ひの、護が望遠鏡から空を見た。望遠鏡の順番は、勇一、紫月、幽玄、白玉――白玉にも見せてあげようとは皆の総意――が残っている。
「土星の環が、はっきり見えますよね。ちなみに、次の三月と五月、土星の環が見えなくなる『環の消失』と呼ばれる現象が起こります。土星の環が、三月には地球に対して真横を向く位置になること、それから五月には太陽に対して真横を向く位置になること、そういった理由で地球から環が見えなくなるのです――」
今、勇一は望遠鏡から土星を見ていた。はっきりと、環を持った惑星が見える。今まで教科書やテレビなどで見た、土星の姿そのもの――。
あ。
傘が、そして胸ポケットの隕石が、光る。実際に光ったかどうかはわからないが、そんな気がした。
あたたかい……!
傘も、隕石も、熱を帯びている。
同時に、足元から床や望遠鏡、見える景色すべてが、消えていた。
床の消失……!?
環の消失ならぬ、場の消失。勇一は、真っ暗な空間の中にいた。
ここは……? 銀硝空間でもないような……?
オーナーも、幽玄も、ゆかりも……、誰もいなくなっていた。自分一人、真っ暗な空間にいた。
どうして……? 真っ暗だ……!
停電ではない。停電ではこんなに真っ暗になるとは思えない。
音もなく静まり返っており、まるで――、宇宙空間のようだった。
これは、一体……!?
不思議と、恐怖心や不安感はなかった。傘と隕石のあたたかさが、勇一をしっかりと繋ぎ止めてくれている気がした。
『我は、ここから来た』
傘の声が、響いてきた。
『長く旅をしてきた。そのころから、意識があったかどうか、我にもわからぬが――』
傘――。
勇一は、宇宙を漂っていた。なにもない。でも、周りにはすべてがある。そして、向かうべき場所がある――。それは、青い、豊かなただひとつの星。
ああ、きれいだ。
勇一は、地球を見ていた。
地球から、土星を見ていたはずなのに、今、なぜか宇宙から地球を見ている。そう思った。
輝く星。ここに、俺のすべてがあるんだ――。
勇一と傘と隕石は、地球を目指していた。
『懐かしい、とても。そして嬉しい。今、我には、懐かしむべきところと、帰るべきところがある』
静かに響く、傘の声。
ぐんぐん、地球が近付く。勇一たちが、近付いているのかもしれない。見えている丸い輪郭が、平面になり、やがて雲を抜ける――。
「――『環の消失』は、肉眼では見えませんが、春の夜、空を見上げ思い出していただければと思います」
ハッとした。オーナーのゆったりとした声が耳に届いていた。
あれ……。
皆、変わらぬ様子でそこにいた。
「勇一。次、私が見るわ」
後ろには、紫月が笑顔で立っている。
まったくなにごとも起きていないようだった。
勇一に起きた異変は、勇一だけが感じていたものだったようだ。
傘と、隕石は、ほんのりとあたたかかった。
いや、違う。俺だけじゃなくて、傘と隕石も、さっきまで同じ宇宙にいたんだ。
幻でも夢でもない、はっきりと、そう信じられた。
「勇一」
観測会は和やかなまま終わり、天文台を出て部屋に戻ろうとしていたときだった。幽玄が、勇一の隣にいた。
「幽玄、俺、さっき――」
幽玄は微笑んでいた。
「傘から、聞いた。勇一と、宇宙を感じた、と」
「え」
幽玄は、いつの間にか傘と会話をしていたらしい。幽玄と傘も、脳内通信が可能なんだ、と勇一は理解した。
そうか。やっぱり傘も一緒に宇宙を感じていたんだ。
納得する様子の勇一を知ってか知らずか、幽玄が、言葉を続ける。
「傘が、言ってた。このために、白月村に来たのだ、と」
「え――」
足が、止まる。木の扉を押せば、「人」の空間だが、そこはまだ星空の下だ。
傘の声が、響いてくる。
『勇一と、もっと深く繋がる必要があった。勇一が、強く我の力を欲した。だから、繋がる術を模索した』
人に創られた幽玄に頼りきらず、人である自分が、戦えるようにならなくちゃいけないんだ。
ファミレスでの、強い決意。それが、傘を動かしていた。
「傘は、まさか、刀鍛冶の子孫が星を見ることに関係しているとは思わなかったようだ。ただ、直感的に、自分を創ってくれた者の子孫に会うことが必要、そう感じたらしい」
幽玄が、傘の言葉を継ぐ。
「俺と、傘の繋がりを強める……。さっきの、不思議な体験が……?」
口に出してみたが、勇一の心の中奥深くは、理解していたような気がする。
傘と隕石と自分で、宇宙を感じること、それが繋がりになる、と。
幽玄は、微笑んでうなずいた。
「傘に、従い、同時に支配せよ。これから勇一は、私以上の傘の使い手となる」
「従う……? 支配……」
ちょっと嫌だな、と思った。強くなるのは嬉しいが、従うとか、支配とか、そういう感じはなんだか歓迎できない、と思う。
勇一の微妙な表情の変化を見て取ったのか、幽玄が銀の髪をかき上げ空を見上げてから――少しふっくらとした三日月が、銀の瞳に映る――、もう一度勇一を見つめた。
「言葉を変えよう。傘と勇一は共鳴し、互いに力を高め合える、真の相棒となるだろう」
「真の相棒……」
それはいいな、と思った。実際ちゃんと戦えるのかどうか、不安はあるけれど。
木の扉に触れたとき。傘の声がした。
『幽玄と勇一も、真の相棒だろう』
扉を開けるのが、一瞬遅れる。
「どうだろうな」
幽玄が笑う。
相棒……。傘には、そう見えるのだろうか……?
土星の環が消える。しかしそれは見る位置の関係。実際に消えることはない。位置の関係で、見えるものが変わる。
俺からのまなざしと傘からのまなざし、どちらが正しいのだろう。
相棒とは、とても思えない。自分が非力で凡人過ぎて。でも――。
でも、と思う。
見える位置で景色が変わってしまうなら、乗っかってしまおうか。
はったりでも、いい、と思った。胸を張ってみようと思った。幽玄のさっきの笑みは、勇一のはったりの誘い水に違いなかった。
乗ってやろうじゃないか。幽玄。
「どうだろうね」
勇一は、堂々と笑って見せた。
「まあ。これからだな」
ニッと笑う幽玄。
勇一も負けじと笑い返す。
「見てろよ、幽玄」
「ああ。楽しみにしてる」
笑い合う。どちらからともなく、腕を伸ばし、互いの拳を軽く合わせていた。
きっと、大丈夫だ。俺には、相棒がいる――!
前を見る。自然と、背筋が伸びる。
勇一君、幽玄ちゃん、遅いよ、どうしたの、ひのの明るい声が飛んできた。
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