【創作長編小説】天風の剣 第155話
第十章 空の窓、そしてそれぞれの朝へ
― 第155話 黒裂丸と白銀 ―
押し寄せる、ひりひりとするような強い圧迫感。
キアランも、感じていた。激しい戦いの波動を。
「翠、あれは――」
キアランは、自分を抱えて飛んでくれている翠に大声で尋ねていた。もしかしたら、人とは違い魔の者である翠たちは、どんな状況下でも問いかけを正確に理解できるのかもしれない。しかし、吹雪の空の中を移動しているため、キアランの声は自然と大きくなる。
「四天王たち。おそらく、新しい四天王たちとシルガーたちだろう」
気を遣ったのかキアランに合わせ、翠も大声で答える。ただ、加減を知らないので、新しい必殺技でも試しているのかと思わせるような、とんでもなく大きな音量になっていたが。
「……もっと声は小さくていい」
耳元近くのあまりの大声に、ちょっと調子を崩したのか、キアランは頭を振る。
「そうか。わかった。気を付ける」
翠は、早速キアランの要望に応え、囁き声で返事をした。
え。今、なんて言った……?
風が通り過ぎる。
今度は囁きの度が過ぎて、すっかり風に打ち消されていた。キアランは勘で翠の返事を探りあて、かろうじて受け取る。ウイスパーボイス半端ない。
「気を付けなくても。普通で、大丈夫だ」
「わかった。気を付けない」
翠は、キアランに対し、気を付けない方針を打ち立てた。
気を付けないのか。それはそれで、なんなのだが――。
さして重要でもない思いが一瞬よぎる。キアランは、もう一度頭を振って気を取り直し、今自分が気にすべき問題に向き直る。
「翠。私たちも――」
キアランは、戦いのさなかに身を投じよう考えていた。シルガーに加勢し、危険な新四天王一派を撃ち滅ぼそうと――。
翠は振り返り、自分の主であるシトリンの指示を仰ぐ。キアランというより、あくまで自分の主のシトリンの命令に従うつもりなのだ。
翠のおかげで空を移動できているキアラン、翠同様シトリンの言葉を待つしかなかった。
シトリンは、シルガーたちの戦いの空気を感じながらも、明るい声で答える。
「シルガーたちに任せようー。オニキスがどう出るかわからないし、私たちは、四聖のみんなの、すぐそばに行くよー」
決して警戒を忘れたわけではないが、シトリンの言葉に、キアランはハッとした。
オニキス……!
シトリンたちとノースストルム峡谷内で戦ったというオニキス。負傷しているとはいえ、いつまた現れるかわからない。強い守りの結界も、絶対に破られないという保証はない。
オニキスの襲撃を考えれば、ここはシルガーたちに任せ、私たちは、四聖の守りに徹するべきか……。
「シルガーたちなら、大丈夫だよ。だから、行こっ」
シトリンは、にっこり笑う。シルガー、新四天王、従者たち、それぞれの戦いのエネルギーの質や強さを、少し離れた場所からでも、シトリンにはある程度わかっているようだった。
「あ。でも。ちょっと――」
シトリンの表情が、少し険しくなる。
「な、なんだ? シルガーたちに、なにか――」
その場に止まる、シトリンと翠。
「……気になるやつは、いるな。それに――」
気になるやつ……?
シトリンのはちみつ色に輝く豊かな髪が、ごうごうと吹き荒れる雪風に、大きく揺れる。
「シルガー側の数が三に、新四天王側が合計四体、か……。ちょっと、手放しで安心ってわけじゃないかな――」
シトリンは、うつむき静かに目を閉じる。より自身の感覚を研ぎ澄まそうとしているようだった。
「それに、白銀と、黒羽。ちょっと、心配かな――」
シトリンは、きっ、と、顔を上げた。
「翠。キアランおにーちゃんを、四聖のみんなのもとへ連れてって。私と花紺青おにーちゃんは、シルガーたちのほうへ行ってみる」
シトリンの言葉を聞き、キアランは安堵していた。オニキスのことは非常に気になるが、それよりも今は、目の前にある戦いをなんとかしたかった。
ただ通り過ぎただけで、みんなに大きなダメージを与えたという新四天王たち。決して油断はできない……!
「ありがとう、シトリン。それじゃあ、私たちは一足早く――」
シトリンに声をかけるキアランだったが、
「シトリン様。かしこまりました」
翠がそう答えながら、あっという間に空を移動し始めた。シトリンと花紺青の姿が遠ざかる。
「シトリンも花紺青も、どうか気を付けて――!」
キアランは、声を張り上げていた。
シルガー、白銀、黒羽――。どうか、無事でいてくれ――。
キアランは、シトリンと花紺青へと向けた声に、祈りを託す。
「シトリン様! 四聖とキアランの身は、この翠にお任せを――!」
翠は、先ほどと同じく空を揺るがすくらいの大音量で叫んでいた。
キアランは、またしても頭を振る羽目になる。
「気を付けない」
翠は「普通に」呟く。
一貫して翠は、キアランに「気を付けない」。
翠は、飛ぶ進路を大きく変え、あえてシルガーたちのいる方角から離れてノースストルム峡谷に入っていく。
空が、大地が、明滅し続けていた。雪に包まれた森のあちこちから、炎も上がっている。
「白銀っ。爺さんのくせに、実にちょこまかと――」
「黒裂丸とやら。攻撃の威力だけでは戦いに勝てぬぞ!」
黒裂丸の放つ弾丸のような攻撃が、白銀の硬化した手のひらに弾かれる。
「くそ。すばしこい爺だ……!」
黒裂丸の腕から勢いよく放たれる黒い弾丸。白銀は、手のひらで弾きながら、あるときは間合いの中、そしてあるときは離れた木々の間、黒裂丸の頭上へと忙しく動き回る。
「うっ……!」
黒裂丸は、うめき声を上げ弾き飛んでいた。いつの間にか深く間合いに入り込んだ白銀が、胸の中心を蹴り上げたのだ。
雪を舞い上げ、倒れた黒裂丸を見つめつつ、白銀は――、舌打ちしていた。
浅い――。寸前で、飛び避けている――。
攻撃が当たり、一見すると、飛ばされたように見える黒裂丸。しかし実際は、白銀が与えたダメージはほんのわずかに過ぎない。
「まったく、活きのいい爺だ」
立ち上がる黒裂丸。
そのとき白銀の心をよぎっていたのは、おそらく黒裂丸が想像もしないような考えだった。
わしが、やつの急所を破壊するのは困難――。
白銀は、早くもそう判断していた。
攻撃をかわしつづけることはできる。しかし、力で相手を討つことは難しい。わしが勝てる勝算は、ないに等しい。
誰よりも賢明で誰よりも鋭い白銀は、冷静に力の差を感じていた。長い戦いの生活の中で培われてきた、勘、といってもよかった。
「白銀。お前のような爺に出会えて、嬉しいぞ」
黒裂丸は、気付いていない。白銀の静かな諦念を。
あくまで対等な力である、そう感じているようだった。
「楽しもうぞ。白銀……! これから、これからだ……!」
「若いとは、やはりうらやましいものだな」
白銀は、ため息をつく。どこまでも続く戦いと信じる様子の黒裂丸。どこまで持ちこたえられるかと考える白銀。
白銀には、自分の限界が見えていた。
「……若者の期待は、なるべく裏切りたくはないからな」
白銀は息を大きく吸い込み、身構える。
「楽しもう。黒裂丸。互いの命の果てるまで」
白銀は、大地を蹴り、次なる攻撃へと突き進む。
それはどういうわけか――、敵である黒裂丸のため、そんなふうにも見えるものだった。
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