【創作長編小説】天風の剣 第142話
第九章 海の王
― 第142話 私に、託してくれた ―
雪空のかなたに消えゆく、唯一無二の特別な剣。それはアステールという名の、魂を宿し、世界に安定をもたらすという、希望の剣。天風の剣――。
「アステールッ!」
キアランは叫んだ。空の窓を永遠に閉ざすという大切な道具を見失う焦りからではなく、アステールという大切な友を守りたい一心で。
「キアラン! ひとまず、アステールのほうへ行くよっ」
花紺青は叫ぶ。そして、キアランの返事を待たずに、キアランと自分が乗った板を、天風の剣の飛んで行ったほうへ向かわせ、急降下していた。
よく見れば、空、森の中、あちこちに金色の光が見えた。
たくさんの金色の光……! 高次の存在たちだ! でも、どの光も、アステールの落下に間に合いそうもない――!
シュッ……!
キアランの斜め前、森の梢ギリギリを、銀色の風が飛んでいく。
銀の――。シルガー!?
今まで、どこにいたかわからなかったシルガー。なにがあったか気になるが、とりあえず、アステールのほうへ飛んでいることがわかり、キアランは胸をなでおろす。
シルガー! あのときのように、アステールを受け止めてくれ……!
木々を揺らし、あっという間に飛んで行ったシルガー。きっと、アステールの落下に間に合うはずだ、キアランは祈るような気持ちで見送る。
「よかった! シルガー、アステールが飛ばされたの、わかったんだね」
花紺青も安堵の声を上げていた。
「でも、シルガー、ずいぶん気配が弱弱しいな……。この辺りにいないのかと思ったくらい」
「え」
どくん、キアランの鼓動が、不穏な音を刻む。
「白銀と黒羽の気配も、だいぶ薄かったし。皆、大怪我をしてるんだろうか」
大怪我……!?
「花紺青、白銀と黒羽もこの辺りにいるのか!?」
「うん。感じる。でも、かなり気配が弱くなってる」
皆、大怪我を――。
パールの攻撃で重傷を負ったに違いない――、キアランは彼らの無事を切に願う。
「おや。あれは、シルガー? もう目覚めたの……? 驚いた。ずいぶん、早いね」
巨大な影がキアランを覆い、そして声がした。パールが、キアランの上空を飛行している。
パールは風を生みながら、天風の剣を持っていないキアランを通り越し、自分が投げたアステールのほうへ向かっていく。
いや……。アステールを追っているんじゃない、シルガーに狙いを定めているんだ……!
シルガーを追うパール。地上に、不気味な長い影を落としつつ。
風が吹く。気付けば、キアランたちのすぐ脇を、シトリンが追い抜いて行く。さらに振り返れば、翠と蒼井。シトリンに続こうとしているようだ。シトリンたちも、パールを追っているのだ。
シルガー……!
キアランは、汗ばんだ拳を握りしめる。天風の剣を、握っていたはずの右手の拳。不安な心と同様に、心もとなくなってしまった右手――。
私は、四天王の息子でありながら、天風の剣がなければ満足に戦うこともできない。花紺青の力がなければ、空を駆けることもできない……!
力が欲しい、改めてそう願った。
『皆で力を合わせることです。多くの力を集め、協力しあって立ち向かう。それが魔の者にはない人間の強みです。私たちは三人ですが、いずれ仲間と合流できるはずです。焦ってはいけません。そして、無理をしてもいけません。自分が犠牲になることを考えてはいけません。生きることを優先し、時を待ちましょう』
ふと、アマリアの声がキアランの脳裏に蘇る。
そうだ……。私は、人間でもあるんだ……。それなのに、気持ちばかりが先走って、いつも単独行動をしてしまっている。血の力で、あのときよりは確かに強くなっているが、忘れてはいけない。魔の者と戦うためには、絶対に、誰かの力が必要なんだ――。
雪が視界を阻み、強く冷たく頬を打つ。
背後の翠と蒼井は速度を上げ続け、ついに彼らもキアランと花紺青を追い抜く。
キアランは、ハッとした。
あのとき、アマリアさんは、協力し合うのが魔の者にはない人間の強み、そう言っていた。でも、どうだ……? ずっと、シトリンたちも花紺青も、アンバーたちもシルガーも、皆、力を合わせている――!
パールという世界全体にとっての脅威。その出現で、魔の者の歴史も常識も、大きな変化を遂げていた。
キアランは気付かないが、同時に、高次の存在たちの歴史にも大きな変化が広がっている。
百年に一度の空の窓が開く。しかし、今回は今までとは違う時の流れ、変容が起きていた。
変わりゆく運命。その動きは、パールの誕生以前、天風の剣が出現した瞬間から始まっていた――。
手を伸ばす。
少し、目測を誤りそうになる。めまいというやつか、ひとり呟く。それでも、掴んだ。地面に到達する前に。
ほとんど勢いのまま、木に激突する。少し、血を吐いた。でも、掴んだものは、しっかりと守っていた。
まあ、上出来か。
腕の中で守り抜いたもの。それは天風の剣。シルガーは、肩で息をしながら、天風の剣に微笑みかける。
口の中に残った血を、飲み込む。
一滴も、無駄にはできない。
血。シルガーは、白銀と黒羽からの血を、その身に取り込んでいた。
あのとき。シルガーが川のほとりで目覚めると、白銀と黒羽が自分を覗き込んでいた。
「……空の窓は、どうなった……?」
シルガーは、尋ねた。内臓の一部欠損から考えると、意識が戻りこうして話せるのは、ある程度時間が経っているに違いない、そう考えたのだ。
「今宵、これからです」
「今宵……? あれからあまり時間が経っていないのか?」
シルガーは、身を起こした。そして、自分の寝ている、雪の積もった地面に目をやる。
「私は――、落下したと思うのだが」
血が大量に染み込んだ様子もなく、雪の上には激しい衝突の痕跡もなかった。
「はい。地面にぶつかる寸前に、我々がなんとかシルガー殿を受け止めました」
「そうだったのか。ありがとう。助かった――」
それにしても、回復が早すぎる、シルガーは疑問に思う。
白銀のしわがれた声のところどころに、苦し気な息が混ざっていた。横でうなずき微笑む黒羽も、ひどく青白い顔で、どこかはかなげだった。
白銀も、黒羽も、ずいぶんとエネルギーの波動が弱まっている。
まさか、とシルガーはハッとする。
「まさか、白銀、黒羽――。私に――」
「はい。差し出がましいと思いましたが、あなた様には、我らの血を飲んでいただきました」
シルガーは驚き絶句した。白銀と黒羽の衰弱した様子を見ると、かなりの量だったと推測できる。
「どうして、そこまで――」
黒羽の美しい朱色だった唇の色が、くすんでいた。しかし、黒羽の唇は、かすかに震えながらも、はっきりとした口調で言葉を紡ぐ。
「あなた様こそが、次の四天王です。パールを討って四天王となるべきは、あなた様だと信じています」
雪が音もなく積もっていく。白の景色は、世界が止まっているように見せかける。しかし、積もる深さが時を教えてくれる。瓶の底にたまっていく砂時計の砂のように。
「白銀……。黒羽……」
白銀と黒羽は、うなずく。弱弱しくなってしまったエネルギーをまといつつ、力強い眼差しが、揺るがぬ決意と信念を物語っていた。
私に、託してくれた――。
シルガーは、立ち上がる。天風の剣を、手に。
「やあ。ずいぶん回復が早いんだね。お薬でも、飲んだ?」
音もなく、降り立つ。
シルガーの目の前には、人の姿、人の大きさに変身したパール。
厚い雲間から、気まぐれな光が差す。絶え間なかった雪が、今では、ふわりと舞うように降っている。
でもきっとそれは、ほんのわずかな時間。またすぐに勢いを取り戻し、降り続けるだろう。
「元気?」
四枚の漆黒の翼を背負った青年は、束の間の陽光に金の髪を輝かせ、天使のような微笑みを浮かべた。
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