【創作長編小説】天風の剣 第143話
第九章 海の王
― 第143話 藍色の夢の世界へ ―
長い銀の髪が、厚い雲を割って差し込む光を受け、透けるように輝く。
どさっ、そんな音が、時を止めたような純白の森に響き渡る。梢に積もった雪が、地面に落ちたのだろう。
シルガーは、目の前に立つ四天王パールを、じっと見据える。
手にした、天風の剣を構えようとせずに。
「立っているのもやっと、そんなふうに見えるなあ」
パールは、金のまつ毛に縁どられた目を細めた。
「今、僕の考えていることがわかる?」
パールは、かすかに首を傾け尋ねる。金色に輝く髪が、滑らかな肩から滑り落ちる。
「……貴様の考えることは、食うことだけだろう」
「当たり! すごいね。僕のこと、よくわかっているね」
パールは、大げさに目を大きく見開いた。
「貴様は、四枚の翼と口しかないようだな」
まったく、無意味な会話だ、シルガーは思う。
「小さなレディたちが来る前に、すっかり君を食べてしまおうか。それとも、さっきみたいにちょっとだけ味わって、あとで少しずつ食べようか、そう考えてたんだ」
「結論は出たのか」
「君を少しだけ食べ、弱らないよう世話をして、なるべく早く復活してもらって、また食べて、そうやってずっとずうっと一緒にいる、そういうのもいいかなって思う」
パールは、手のひらを上に向けた。雪が、手のひらに落ちて、そして消えてゆく。
「……僕はこの通り、強いから。きっと、そのうち世界中のものを食べつくしてしまうと思うんだ。だから、気に入ったものは残しておく、そういうことも考えなきゃなって」
ふたたび雲が空を覆う。手のひらに消えた雪を埋め合わせるように、雪が次々と地上に降りてくる。
「貴様にも、未来を考える頭はあったのか」
「もちろん、あるよ。だって、時は流れていくんだから」
君たちと出会う前、出会ったあとでは全然違うよ、パールは、笑う。それは、心からの笑みのようだった。
「自分の生きる糧以外、なにもない未来。それが、貴様の望みか」
「望みなんて、ないよ。望む前に、手に入れるから」
「……貴様には、従者がいないようだな」
「うん。とっくに全部食べてしまったよ。あとから来ても、食べるし」
「そうか」
なるほど、そうだろうな、シルガーは思う。
「自分以外の存在は、必要ないのか」
シルガーは、心に思い浮かべていた。自分に笑顔を向けた、四天王や魔の者、人間たち、高次の存在。それから、天風の剣。そして、動物たちも。動物たちとも、心を交し合えることをシルガーは知った。そして――、人間と四天王の間に生まれた、唯一の青年を。
「僕は、ずっとひとり。でも、食べたものたちの記憶や、僕自身の記憶が増えていく。それに、夢。退屈はしないよ。僕の経験してないことも、みんなの記憶があるから、僕はたくさん経験してることになってる。僕は、ひとりであって、いつもひとりじゃない、『みんな』なんだ」
「……思い込みで生きているんだな」
「僕がそう思えば、そうなんだよ。だって、僕の心は僕だけのものだから」
僕の世界は僕だけだけど、みんな一緒でもあるんだ。でも、とパールは呟く。
「君みたいな友だちは、欲しいかな」
だって、食べたら、もう続きがないから、パールは少しだけ残念そうに述べた。
「閉じられた本のように、食べちゃったものの物語は、そこで完結してしまうから」
ふう、とパールはため息をつく。
「はかないね」
「……自分で殺しておいて、その言いぐさはなんだ」
「でも、そんなはかなさを、僕は愛おしいと思ってる。すべての物語を、大切に思う」
物語か、シルガーは呟く。
ひとりひとりが、歩んできた道のり。そして、歩むはずだった道のり。ひとつひとつ、険しい道を戦いあがきながら綴られ続けていた物語。それを、そのすべてを、自分が生きるためだけに、破壊し、消費し続ける。そして、これからも、きっと、やつは――。
シルガーの瞳に映る、四枚の漆黒の翼。魔の者の、王者の印。
なんのための、王なのか――。いったい、それは、なんの、王――。
「……私の続きを、知りたいと思うのか」
「うん。君も、僕の続きが気になるよね?」
互いのこの先が気になる、ときに体験を共にし、刺激と影響を与え合う、それって友だちだよね、パールは嬉しそうに微笑む。
「……私には、望みがある」
銀の瞳は、月のような静けさをたたえていた。今、この瞬間は。
「あ! わかるよ! 四天王になること、だよね?」
パールは、得意げに声を弾ませてそう言ったあと、少し眉根を寄せ、表情を曇らせた。
「でも、それは困るなあ。だって、四天王はあまりおいしくないから」
シルガーは、パールを見つめながら、首を静かに振った。
「違う」
「えっ。違う? まさか! だって、ずっと君は僕を――」
強い風が吹く。雪が舞い上がる。
木々が、震えた。
降る雪と、舞い上がる雪、その両方で視界が遮られる。しかし、その風を押しのけて進む、銀の風。シルガーは、勢いよく駆け出していた。天風の剣を、力強く握りしめながら。
通常の自然現象で、魔の者、ましてや四天王の能力が左右されることはない。
シルガーは、すべての魔力を注いだ。立っているのがやっと、それは本当のことだった。だから、パールとの会話に応じていた。
天風の剣は、きっとパールを破壊できる。
高次の存在のエネルギーを防御の壁として利用していたパール。きっと、高次の存在の防御は、魔の者に対するエネルギーに特化したものなのではないかとシルガーは考えていた。
高次の存在の作る壁は、人間や、絶対にあり得ない同胞である高次の存在からの攻撃は、想定していないはず。
そして、確かに天風の剣は、今のパールに刺さっていた。
やはり、人間や高次の存在の攻撃は、やつに届く――!
もしかしたら、とシルガーは思う。
魔の者の発する攻撃のエネルギーは、純粋な破壊のためのエネルギー。しかし、人間や高次の存在の攻撃は、性質が異なるのかもしれない。まあ、高次の存在の場合、そもそも攻撃すらあり得ないのだが。
一瞬の動きのために、エネルギーを集めた。このあと、動けなくなっても構わない、そう強く覚悟した。一撃でパールを討つ、ただそのことだけを思って。
逃げることなど頭にない今のシルガーには、一撃に賭けるしか術はなかった。
四天王になるなど、どうでもいい。ただ、私は――。
白い雪が飛ぶ。天風の剣が、風を斬り裂き、舞う雪を斬り、大きく弧を描く。
ドッ……。
金属のきらめき。鈍い音。
「あれ。なんでかな――」
呆然と呟く、パール。
鮮血が、世界を染める。雪の上、遠くに見えるのは、自分の左足首。
パールの急所、足首が、パールの体から切り離されていた。
パールの上半身は、崩れ落ちるように倒れ、足首を斬り払った姿勢のシルガーの背に、どう、と、もたれかかった。
「ついに、やったんだね。シルガー」
パールはかすれ声で囁く。
「君は、強いよ。おめでとう。君は、もう、四天王だね」
「……ああ」
シルガーの背に、光が降り注ぐ。パールが、金色に発光していた。
「シルガー。君の望みって、なんだったの……?」
光が、シルガーを包む。シルガーは斬った瞬間の姿勢を留め、もたれかかるパールをそのままにしていた。
「変わらぬ笑顔を、変わってゆく笑顔を、見続けることだ」
「へえ……? そうなんだ。君も、それで笑顔になれるの?」
「……まあな。退屈しない」
シルガーの体も、呼応するように光を放ち始めた。
「……ひとつ、いや、ふたつ聞いておきたい」
シルガーは、姿勢を保ったままパールに尋ねる。
「なあに? 僕には時間が、あまり、ないと、思うんだけど」
吐息が混じり、途切れ途切れにパールは答える。
「なぜ、私と同じ大きさで現れた? 巨大な姿だったら、一撃で仕留めるのは難しいはずだった」
くすり、とパールは笑う。
「じっくり味わいたい、それもあったけど、君と、同じ目線、で、話したかったからね」
「もうひとつ。なぜ、避けなかった? 攻撃だって、できただろう。お前なら」
「……ああ。それは、たぶん、君の動きに、見とれてしまったんだ。それと、君の気迫に、心が、震えた」
「……そうか」
「うん。凄まじかったよ。とても、興味深かった」
パールは、あくびをした。大きな、あくび。
「……じゃあね。そろそろ、僕は、帰るよ。夢の、中へ」
周りは、一面白の世界。
パールはきっと、そのとき、深い海を思い浮かべていたに違いない。自分が生まれた、深い藍色の、海の底の世界を。
「おやすみ」
パールは、シルガーの背から滑り落ちる。美しい金の髪が遅れて続き、雪が、舞う。
「……おやすみ」
シルガーの足元には、固く目を閉じた、長い尾と四本の足を持つ、巨大なクジラのような姿の怪物。もう二度と、目を覚ますことはない。
「色々形が変わったが、これが高次の存在を取り込む前、元々の姿か――」
シルガーは、パールの左足首を拾い、パールの左足に当たる部分に置いた。
「永遠の、眠りを」
ふたたび、雲間から光が差す。
「実感としては、あまり、変わらないな」
日の光が、漆黒の四枚の翼を照らす。それは、今、シルガーの背にあった。
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