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【創作長編小説】星の見える町、化け物添えて 第17話

第17話 いかリング、そして第一印象というもの

 食べることに関して、幽玄と白玉しらたまは有能だった。
 白玉は言葉を話せないこともあって黙々と食べ進めていたが、対して幽玄は騒がしかった。
 ゆかりを鏡家屋敷に無事送り届けたあと、幽玄と白玉はアパートに戻り、かくして人間の青年一名と使役鬼しえきおにと呼ばれるもの二体で、遅めの夕食となった。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                             

「うまい! 私は長い歳月生きながらえてきたが、これは初めて食った……! いったい、これはなんという一品なのだ!?」

 幽玄は、丸く穴の開いた茶色の料理を指しながら、そのように叫んでいた。 

「いかリング」

 それは、いかのフライ、すなわち「いかリング」だった。
 幽玄が、驚きか感動か、さらにすっとんきょうな声を上げる。

「イカリング……! 怒りの現在進行形か!?」

「幽玄……。お前学校行ってないだろうに、なんでそんな中学英語のダジャレみたいな知識があるんだ……」

 呆れながらも、怒りではなく海の生物のイカを揚げたものだ、と勇一は幽玄に教えてやった。

「承知した……! 我が体と魂に、この感動を刻もうぞ……!」

 冷めきって油っぽい総菜に、なんと熱のこもった感想――。

 幽玄は、いかリング初体験だったらしい。えびフライや唐揚げは食べたことがあって好物だが、鏡家は野菜中心の和食が多く、フライなどはなかなか食卓に上らないし、いまだかつて「いかリング」などというものには出会ったことがない、味わい深く、異界への入り口を思わせる外観がまた興味深い、などと、幽玄は絶賛し続ける。対する勇一は、なんとも冷ややかな口調になってしまっていた。

 異界への入り口。レンコンやドーナツに対しても同じ感想を持っているのだろうか。

 勇一のげんなりした表情もおかまいなしに、にこにことした様子でプラスチックトレーの上の食品を平らげていく、幽玄と白玉。

 まったく……。俺にとって人生の岐路、非常事態だというのに……。

 勇一は、サンドイッチを頬張った。ぱさぱさとした食感のパン生地にちょっと顔をしかめ、無造作にアルコールで喉奥へ流し込む。

 非常事態……。明日から、どのようにしていけばよいのだろう――。

 指先に伝わるのは、アルミのビール缶の、無機質で冷たい感触。

 明日は……? あさっては……? その先は……?
 
 一気に飲み干しテーブルに置く。缶の底がテーブルに当たる音が、予測より大きく耳に届く。今この瞬間でさえ、確かなものはなにもない。

 ん。

 視線を上げれば、幽玄と視線がかち合った。
 幽玄は、勇一を見ていた。幽玄は箸を置き、姿勢を正している。

「人間には、『食』という豊かな文化がある。生命維持に必要な食事というものに、栄養摂取の作業だけではなく、そこにしきたりや礼節を作り、味や風味という工夫を施し、季節や時間というものさえ見事に取り入れ、楽しみや、関わる人との関係構築の重要な手段にまで昇華させている」

 突然なにを言う。このいかリング男は。

 すわった目で、幽玄を見返す。つい先ほどまでいかリングに夢中だったくせに、なにを言いたいか、よくわからない。

「今こうしてうまい料理をいただいているが、私と白玉に、実を言うと食物からエネルギーを取る必要性はない。まあ、食べたらエネルギーになるが、食べないからといって衰弱するわけではない」

 どういうことなのだろう、と幽玄の言葉に首を傾げる。

「ん? お前ら喜んで食ってたけど……。つまり、別に食わなくっても平気、ってことか……?」

「さよう」

 幽玄は、微笑んでうなずく。

「しかし、力になるのは確かだ。食べ物の命、栄養、そして、出してくれた人の心が。我らのために、人に対するように心を配り、このような贈り物をくれる――、それは、非常に得難い宝、私たちの中で大きな力になる」

 白玉も食べるのをやめ、見つめる。そして、幽玄も白玉も、頭を下げた。深く、ゆっくりと。

「だから、ありがとう。勇一。心から、感謝する――」

 人に対するように心を配り――。

 幽玄の瞳は、まっすぐ勇一を見つめ続ける。澄んだ銀色の奥に、確固たる炎の輝き。思いの深さが、感謝の念が――、幽玄の心の痛みと共に伝わってくる。
 幽玄も白玉も、勇一に向き合っていた。心を開き、まっすぐに――。 
 
 俺は、ひとりじゃない。恐ろしい危険の渦の中であっても。

 視線を、逸らす。わざと。そして、ええと、などとごまかすように呟いてから買い物袋をごそごそさせ、缶ビール二本を取り出した。

「アルコールも、飲めるのか? お前ら」

 幽玄と白玉の前に、一本ずつ置いてみる。

「ああ。もちろん」

 笑ってみる。明るく笑えるかどうか、ちょっと心配したが、案外大丈夫のようだった。

「よろしく。幽玄。白玉。これからたぶん、たくさん世話になる。というわけで、今更だけど――乾杯」

 勇一も、新しく缶ビールを掲げた。

「乾杯」

 缶を開ける軽快な音を響かせつつ、幽玄が応じる。
 そして、これは意外だったのだが――、毛玉怪物の白玉の体から、にょきっと手のような棒のようなものが二本伸び、いい音を立てて缶を開け、そして器用に掲げていた。乾杯、と言わんばかりに。

 おお。白玉も、自分で開けられるんだ。

 ちょっとした感動だった。丸いふわふわなだけじゃなかった。
 それからは、飲んで、食べた。さっきまで味がよくわからなかったが、乾杯をしたあとは嘘のように楽しめた。幽玄は日本酒はないのかなどと言い始め、棚にしまっておいたとっておきを出す羽目になる。白玉は甘めのチューハイやカクテルが好みのようだった。
 
「ゆかり様が――。ああ、そうだ。ゆかり様がお名前を明かされたので、これからはゆかり様と伝えさせてもらう。ゆかり様が、勇一の気持ちが決まり次第、それなりの手筈を整えるとのこと。これが、ゆかり様の連絡先だ」

 幽玄がメモを渡す。ゆかりの携帯番号が書かれていた。

「この番号にかけても、私に言ってもいい。その場合は、すぐ私からゆかり様のもとへ向かい、お伝えする」

「幽玄」

 勇一の心は決まっていた。アルコールのせいなのだろうか、先ほどまであった迷いは、不思議なほどない。鏡面のように、心の嵐は凪いでいた。
 静かに、はっきりと告げる。

「俺。会社は長期休暇ということにしたい。そして、ここを離れる」

 幽玄は、心得たとばかり顔を輝かせる。

「承知した」

 幽玄の姿が消えた。宣言通り、すぐにゆかりのもとへと向かったのだろう。

「あっ、白玉!?」

 ふと気付けば、白玉の毛並みが、桃色になっていた。そのうえ、うつらうつらと、揺れている。
 ほろ酔いらしい。



 いつの間に寝たのか、朝になっていた。
 いつもの時間に目が覚める。
 勇一はちゃんと布団の中におり、胸の上には白玉。白玉は、まだ寝ているようだった。

 あ……。会社……。とりあえず今日は、普通に出社していいのかな……。

 白玉を脇にそっと置き、体を起こそうとした。
 そのときだった。ピンポーンと、自らの高音を誇っているがごとく、玄関のチャイムが鳴った。

 え!? こんな朝早く、誰か来た……?

 時計に目をやれば、まだ七時にもなっていなかった。来訪するには早すぎる時間。もしかしたらいたずらかもしれないが、自分に用がある人を待たせては悪いと思い、テキトウに上着を羽織って玄関に向かう。
 扉を開けるやいなや、はつらつとした声が飛び込んできた。

「おはようございます! よい朝です! さあ、出かけましょう!」

 え……?

 見知らぬ若い女性の笑顔。突然すぎる、謎の呼びかけ。
 勇一の混乱をものともせず、女性は続けた。
 
「よろしくお願いします! 勇一さん!」

 え……!? ど、どゆこと……!?

 敵か、味方か、それともまったく関係もない人物か。ただドアノブに手を掛けたまま固まる勇一のもとへ、容赦なく降り注ぐ朝の陽ざし。
 輝く、緩やかにカールした、明るい茶色の髪。人懐っこい笑顔、吸い込まれるような大きな瞳――。

 ええと……?

 言葉が出てこない。テキトウな上着が、テキトウ過ぎて後悔する。寝ぐせもあるし、顔すら洗ってない。

 ああ、せめて、歯磨き……!

 赤面し、声を出すのがためらわれた。ただでさえ起き抜けで状況を理解しきれてないというのに、余計な思いが湧き起こるせいで、どちら様、という正当な問いすら出てこない。
 
 俺、普段はもうちょっと、ましなんです……。

 第一印象最悪になってしまった、勇一はただただ残念に思う。
 小鳥のさえずりが、天からの祝福の歌のように――そこに意味があるのかないのかわからないまま――届けられていた。

◆小説家になろう様掲載作品◆


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