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【創作長編小説】星の見える町、化け物添えて 第13話

第13話 現実世界も、まだ青空

 とりあえず、脅威は去った。
 銀硝空間ぎんしょうくうかんに浮かぶ、白玉しらたま。 
 その上に、勇一と幽玄が並んで座っていた。

「幽玄は、大丈夫なのか……?」

 勇一は、幽玄を気遣ってみたが、見上げる幽玄の透き通るような肌には傷一つなく、銀色の瞳も艶やかな銀の髪も、美しい光をたたえている。大けがをしたという確たる痕跡は、どこにも見当たらない。

「私はもう大丈夫だ。勇一、お前は大丈夫なのか?」

 勇一は、笑顔のまま答えを返せないでいた。あまり、大丈夫じゃなかった。肉体的には幸いにして無傷だが、仕事の面、精神面が。

 ま、まあ仕事の面は、それはなんとかなるとして。

 転勤早々の失態ではあるが、取引先のほうからの急な日時変更だったし、真摯に謝罪すれば大きな問題にはならないのではないかと思えた。さして、問題ではない。きりきりと苛むような、今現在の勇一の胃の痛みを除き。

「大丈夫といえば、白玉! だいぶ疲れてしまったみたいだけど――、大丈夫かな」

 ふと口からこぼれた勇一の言葉。幽玄の表情が、より柔和なものとなる。

「……勇一は、誠に優しい男だな」

「え」

 白玉のおかげで命を救われたと思っていた勇一。そんな白玉を心配するのは、当たり前のことだと思っていた。優しい、優しくないを超えた、ごく当たり前のこと――。
 幽玄が、ぽつりと告白した。

「白玉は、私と同じものだ」

「えっ」

 様々な枠で区切られた、不思議な空間、銀硝空間。必死で逃げて戦っていたから気付かなかったが、そこは抜けるような青空だった。

「白玉は、紫月しづき様が創った『使役鬼しえきおに』なのだ。私と同じ、『使役鬼』だ」

 白玉と、幽玄が、同じ……!

 人の姿の幽玄と、毛玉怪物の白玉。見た目からは同じとは思えなかった。しかし、どちらも特殊な力で創られた非現実的な存在。同じ「使役鬼」というものだと言われてみれば、納得のような気もした。

「私は、紫月様のお屋敷で、ずっと働いてきた」

 そういえば、幽玄は紫月さんのご先祖様が創った、そう紫月さんは話してたっけ。

 紫月の話を思い出している勇一の横で、幽玄は静かに言葉を続けた。

「様々な術師たちがいらっしゃった。中には、私をただの道具のように使うかたもおられた。創られたこの身、この命、いつなくなってもおかしくなかった。むしろ、私などないほうが自然だからな。それでもなんとか命は繋がり、今に至る」

 幽玄の瞳は、なにを映しているのだろうか。ただ、遠くを見つめていた。

「紫月様は、私を大切に扱ってくださる。私は、紫月様にお仕えすることを幸せに思う」

 遠くだった眼差しが、勇一のほうへと向けられる。急だったので、勇一は少々どぎまぎした。

「お優しい心根の紫月様。あのお屋敷にお生まれになった術師である紫月様が、私のような存在にも情けをかけてくださるのは、まあ当然といえば当然だが」

 幽玄は、微笑む。まっすぐ、勇一を見据えて。

「勇一は、私に出会って間もない。強引に押し付けられたお役目。それなのに」
 
 本当にそうだよ、と勇一は思う。強引が過ぎる、無茶苦茶だ、と幽玄に対しての怒りもある。しかし、勇一は幽玄の言葉の続きを待った。続く胃の痛みも、構わず。

「人とは違う、生き物とも違う。人によって創られた『使役鬼』の白玉と私。そんな私たちに、勇一は情けをかけてくれるのだな――」

 幽玄――。
 
 喜びと哀しみを写し取った、魂からの、微笑み。果たしてそんなものがあるのかどうかわからない。ただ、幽玄の笑顔は、銀硝空間の青の色に負けないくらいに鮮烈で、でも今にも空色に溶けて消えてしまいそうなくらいはかなげで――。
 なにか、幽玄に言葉をかけなければ、と勇一は思った。
 おそらく、自分を助けようと駆けつけてくれた幽玄。傷がないように見えるとはいっても、昨日今日の話、きっと無理を押してきたのではないかと思う。
 自分でも想像するより、低い声で少し詰まりながらも勇一は話していた。

「幽玄も、白玉も、心がある。だから、違うとは、思えない」

 幽玄の銀の瞳が心なしか大きくなる。勇一の言葉を、意外に思ったようだった。

「幽玄だって、自分と俺が違う存在なのに、俺のことを心配して駆けつけてくれた。一緒だよ」

 なるべくごく自然に、当たり前のようにと、密かに心がけながら言ってみる。実際は、少々たどたどしかった。言葉を発してから、自分の不器用さに内心頭を抱えた。
 幽玄からの答えが返ってくるひとときの間、勇一は、貴様と私を同列に語るな、などととんでもない言葉がくるのではないかと危惧した。今までの幽玄の傍若無人な言動から鑑みて。

「ありがとう。勇一」

 今度は、勇一が目を丸くする番だった。

 こいつ……。無駄に美形なんだよな……。

 そんな輝く顔を、見せなくてもいい、と思った。造作の美、もさることながら、男女を問わず魅了してしまうような、引力。たぶん、自覚はない。そもそも、人間ではないから。
 憎まれ口の返事のほうが、楽だよ、と思った。
 勇一は、ちょっと乱暴に視線を外す。

 このままでは、うっかり全面協力してしまうではないか。

「お、おう」

 余計な感想を持ってしまったがために、変な返事をしてしまった。
 そのあと、戻る道すがら、必要と思われる情報交換をした。
 これから向かわなければならない、取引先のこと。取引先の場所。それから、架夜子たちのこと。

「あの架夜子っていうやつ、しばらくは襲ってこないだろうか」

 懸念を、尋ねてみる。大丈夫、そんなお守りのような言葉が欲しかった。

「あの術師、架夜子っていうのか」

 えっ、知らないのか!?

 幽玄は、架夜子の名を知らなかった。
 お守りが欲しかったのに、逆に不安をもたらされてしまった。

「ええと……。架夜子の化身は、『よる』というそうだ。もしかして、それも知らない?」

「ああ。あの三きょうだいのことは、実は、紫月様もよく知らない」

「敵のことなのに?」

「ああ。彼らが動きを見せたのは、ごく最近のこと――」

 敵の情報が、少ないのか……!

 向こうは、こちら側の情報をある程度掴んでいる。しかも、それがどの程度かわからない――。

『じゃ、ばいばい。立て直してくるねっ』

 架夜子の去り際の言葉、そして恐ろしい姿を思い出す。口の中が渇き、手のひらに汗がにじむ。

 幽玄や白玉の心配の前に、俺の命そのものが――。

 冷水を浴びせられたようだった。ふたたび体に走る震え。

 俺は、とんでもない船に乗ってしまった――。

 今更、引き返せない。敵に、顔も知られてしまった。
 足元が、崩れるような気がした。
 しかし、足元、と思ったとき、心が現実に戻る。

 あたたかい。

 足が、手が、あたたかかった。白玉の、体温だ。生き物じゃないのに、白玉には確かなぬくもりがあった。
 実際の体の感覚が、勇一に現実を思い出させていた。

 そうだ。船じゃなくて、俺が乗ってるのは、白玉。白玉だった。

 暗闇のような恐怖の中、急に光が差し込んだような気がした。落ち着け、と思った。

 そうだ。俺は、生きている。

 今、生きている。あんなに恐ろしい目にあったのに、俺はまだ生きている――。そこに、気付かされた。

 もしかして、今、生きているということは、これからも生きていられる、なんて希望もあるのでは――。

 非力な自分も、あれほどの危機を超え、今命を繋いでいる。それは、紛れもない事実だった。

 事実からの延長上の希望は、現実的な希望にあたるのだろうか……?

 楽観的な無謀さなのか、確率的に可能な現実なのか。とりとめもなく考えているうちに、震えが収まってきた。
 枠を、抜けた。幽玄が気を遣ったのか、建物の陰、人目のないような場所に降り立つ。 

「あ。ちゃんと、取引先の建物――」

 どこかの建物の横道と思ったら、そこは、ちゃんと取引先のビルの陰だった。 
 白玉は、また小さな姿になって勇一の肩の辺りに漂っていた。

「有能だろう? ちゃんとお前の話していた取引先とやらに、連れてきたぞ」

 誇らしげな幽玄。白玉と幽玄の秘密裏の連携プレーで、無事到着したようだった。
 幽玄は、声を張り上げた。

「頑張れ。会社員」

 幽玄の、無駄に美しい微笑み付きで。勇一の肩の上では、無駄に応援している気配を醸し出す、白玉。

『私も影ながら、傘ながら応援しているぞ。勇一』

 カバンの中から、傘の応援。ダジャレ込み。
 勇一は、ため息をつく。深く。脱力した感じで。

 皆の、無責任な、声援――。

 勇一は呆れながらも、笑いがこみ上げてきた。

 現実。この笑えてくる、現実。

 なんだろう、この面々は、と思った。勇一の、謎の応援団。美しい青年の姿をした者と、毛玉と、傘。
 笑えるなら、やれる気がした。まったく、根拠がないが。それでも、笑えた。
 勇一は、きっ、と顔を上げ、胸を張った。

「お、おう。任せとけ。頭を下げるのは、得意なんだ」

 風が吹く。
 見上げれば、現実世界も、まだ青空だった。

 きっと、笑えるなら、大丈夫――。

 勇一は、堂々と遅刻した。

◆小説家になろう様掲載作品◆

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