【創作長編小説】天風の剣 第161話
第十章 空の窓、そしてそれぞれの朝へ
― 第161話 絶対命令 ―
凄まじい音が鳴り響き、明滅する空。
翠……!
翠と四天王青藍が激突していた。地上のキアランは、どうすることもできない。
ただ空を見上げることしかできないキアランの耳に、翠の怒鳴り声が届く。
「キアラン! 足を止めるな! お前は進め!」
キアランは、ハッとした。
翠が上空で戦っているのは、私を守るためでもあるのだ……!
地上に寄せ付けないよう、翠は空を戦場に選んだのだ、キアランは理解した。
「お前の最善を、選び続けろ……!」
私の、最善――。
それは、四聖たちを守ること。
キアランは、己の拳を固く握りしめ、心の中で叫んだ。
シトリンたちも、きっと加勢に来る……! すまない、翠……!
キアランは、後ろ髪を引かれる思いで前を向き、駆け出した。
どさっ、どさっ。
背後で鈍い音が聞こえる。
まさか――。
キアランは後ろを振り返る。
「キアラン。構うな。逃げ――」
息をのむ。キアランは駆け出した。守護軍の結界のほうではなく、音のしたほう、声のしたほうへ。
「翠っ!」
音を立て、空から落ちてきたふたつの物。それは、一目でわかった。
翠の、上半身と下半身だった。繋がっていなければならないそのふたつは、無残に切り離されていた。
翠……!
まさか、と思う。
翠の急所は、きっとそこではないはず、キアランは祈るような気持ちで考えを巡らす。
きっと、シルガーのときのように、大丈夫なはず……! それに、翠の右腕や頭の一部は、他の魔の者の体の一部分だった。きっと、今回も元通り、繋がるはず――!
翠は、動かない。純白の大地が、赤く染まっていく。
キアランは手を伸ばす。
早く、早く翠を元通りに――!
なにかが、音もなく舞い降りる。
キアランの目の前に、行く手を遮るように降り立つ者。それは、四枚の漆黒の翼を持つ、六本の腕を持つ魔の者――。
四天王!
四天王――青藍――は、キアランを好奇の眼差しで見つめる。
「これはこれは、珍しい。あなたが裏切りの四天王のご子息――、ですね?」
「貴様――」
キアランは素早く天風の剣を抜き、構える。
青藍は、細く鋭い目を、糸のように細くし、微笑む。
「それもまた珍しい。とても大きく、そしてとても風変わりなエネルギーですね」
青藍は、興味深そうに天風の剣を見つめる。あきらかにキアランというより、天風の剣に関心がある様子だった。
「四天王青藍、この私が、いただくことにいたしましょう」
青藍が、一本の腕をキアランのほうへ伸ばす。
キアランは、すぐさま体の重心を落とし、今にも青藍に向かって駆け出すような素振りを見せる。
しかし、キアランの思考は、電光石火の素早さで、あらゆる可能性を探っていた。
やつは、とんでもなく速い、と翠は言っていた。そして実際、ものすごい速度で戦っているようだった。私の動きでは、きっと敵わない。それなら――。
一か八か、駆け出すふりをして、天風の剣を渾身の力で投げつけることも考えた。しかし、投げた天風の剣を、四天王パールのときのように、逆に取られてしまう可能性のほうが高いと思えた。
「あまりの恐怖で、動けなくなってしまったのですか……?」
青藍が、笑いながら近づいてくる。
どうしたら――。
青藍の低い声が、響き渡る。
「あなたは四天王の血より、人間の血のほうが勝っているのですかね?」
幸いながら、キアランに向け衝撃波を放つ気配はなかった。天風の剣を、無傷の状態で手に入れようとするためなのだろう。
キアランを受け入れるかのように、青藍は六本の腕を広げる。
「大丈夫ですよ。人間とは、そういうもの。恥じることはありません。私は、あなたを軽蔑したりはしませんから――」
これが、唯一の勝機だ、キアランは思った。
あきらかに、青藍はキアランを侮っている。そこが、唯一の勝機に繋がる点だ、とキアランは感じていた。
あと、一歩。あと一歩近づいてきた、そのとき――。
まるで、追い詰められたウサギのようだった。息をつめ、ただ相手を見つめ、爆発的な瞬発力を隠し続け、一瞬に託す――。
「楽に、殺してあげましょう」
今だ……!
キアランの金の瞳が、鋭く輝く。
切り裂く光。キアランの筋肉が、躍動した。
ドッ……。
鈍い音。あたたかな血が、たちまち外へとあふれ出す。
天風の剣は、六本の腕をかいくぐり、見事青藍の胸元を深く突いていた。
「むっ……!」
青藍の腕すべてが、キアランを掴もうとする。キアランは素早く身をかがめながら青藍の腹を蹴り、その勢いで天風の剣を引き抜く。大量の血が、青藍の胸元から噴き出す。
青藍の腕が、キアランをふたたび掴もうとしたそのとき、青藍の動きが不自然に止まる。
「死にぞこないの雑魚が……!」
翠の上半身が、青藍の足首を掴んでいたのだ。
翠は、ニヤリ、と笑った。
「……実は私には、他の魔の者にはない必殺の技がある」
「なに……?」
青藍は、翠に視線を落とす。しっかりと足にしがみつく翠が、なにか変化しつつあることに気づいたのだ。
キアランの肌にも、びりびりとしたものが伝わってきた。翠の闘気、魔の者の戦いのエネルギーが、高まり、ひとつのところに集約され凝縮していく――。
「私は、自身の身体を爆発させ、掴んだ相手もろとも吹き飛ばすことができるのだ。まあもっとも、生涯で一度きり、最大にして最期の攻撃なのだがな」
翠……! なんだって……!?
だめだ、とキアランは思った。
翠は、自分の命を犠牲にして、四天王を倒そうとしている――!
「翠! だめだ! 相手もろとも、なんて技は……!」
剣が大きく弧を描く。雪空に、血が、肉が、飛ぶ。
天風の剣が、青藍の右側の上部の腕を斬り飛ばしたのだ。
「キアラン、早く私と四天王から離れろ! できるだけ、遠くへ!」
翠が叫ぶ。
「間に合いますまい! あなたの一撃必殺が出る前に、確実に仕留めますからね!」
青藍が、キアランに向け衝撃波を放つ。
しまった、避け……。
至近距離からの青藍の衝撃波を、キアランが避けきれるか、と体勢を整えようとしたときだった。
思いがけず、キアランの体は風を感じていた。
風。キアランは、いつの間にかキアランの体は急上昇し、そして気付くと空中にいた。
キアランは驚きつつ、叫ぶ。
「シトリン!」
「間に合った!」
衝撃波が襲い来る一瞬前、シトリンがキアランを抱え、空へと運んでいたのだ。
シトリンは、きっ、と翠のほうを睨み、小さな体をめいっぱい使うようにして、叫ぶ。
「翠っ! それやっちゃだめっ! 翠の必殺技は、私が生きてるうちは使っちゃだめっ! 死んじゃだめ、絶対命令なんだからっ」
「シトリン様――、絶対命令――」
翠はシトリンを見上げつつ、シトリンの言葉をなぞるように呟いていたようだった。
ふう、と青藍がため息をつく。
「私としたことが、間違えましたね。胸だけでなく腕を切られ、つい冷静さを失いました。先に始末すべきは、こちらでしたね――」
冷ややかな、青藍の視線の先には、しがみつき続ける、翠。
まずい、キアランが叫ぼうとしたときだった。
ドッ……。
青藍の衝撃波が、足元へ放たれる。
「翠―っ!」
キアランが、翠の名を叫ぶ。
雪や氷が砕け散り、煙が上がる。
翠は――。
キアランは、震える心で地上を見つめた。
雪風が、吹き荒れる。立ち込める煙が、あっという間に薄れていく。
そこには青藍の姿しか、なかった。
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