
【創作長編小説】天風の剣 第135話
第九章 海の王
― 第135話 明日を願う、祈りの朝 ―
いよいよ、今晩だ――。
ルーイは、きゅっと唇を結んだ。
四聖であるルーイ、フレヤ、ニイロ、ユリアナは、純白の羽織に袖を通す。絹で織られたその特別な羽織には、金色の糸で護符のような模様があしらわれていた。
「わあ。すごいや。着てるのがわからないほど薄くて軽いけど、すごく守られてる感じ――」
強い力で守られている、そんな確かな感覚を覚えていた。フレヤ、ユリアナも顔を見合わせ微笑み合っていた。
「感覚が研ぎ澄まされるような感じがする。今すぐ剣を振るってみたい」
ニイロだけが別の感想を述べた。だんだんニイロの言葉を覚えてきたルーイ、
「戦っちゃだめだよ。ここは、静かな気持ちにならなくっちゃ」
笑いながらニイロをたしなめた。
水晶の含まれた岩に囲まれた洞窟内は、芳香に満たされていた。香がたかれているのだ。
上層部の中でも権威がある年老いた僧侶と、魔導師オリヴィアが、厳かな様子でルーイたちの前に立つ。オリヴィアは、いつもの優しく親しみやすい雰囲気と違っていた。
フレヤ、ユリアナが一礼し、ひざまずいた。ルーイとニイロは、ちょっと遅れてフレヤとユリアナの動作をまね、慌てて一礼、ひざまずいた。
僧侶の低くゆっくりとした声が、洞窟内に響き渡る。
「外で何が起ころうと、四聖であられる皆様は、今日一日、決して心を乱されませぬよう――」
そして僧侶は、祈りの言葉を唱えながら、四聖のひとりひとりに、白磁の聖杯から聖水を振りかけた。
魔導師オリヴィアは、順番に皆の手を取り、それぞれの手のひらに指で文字のようなものを描いた。特別な護りのまじないのようだ。
ルーイは、顔を上げてオリヴィアの瞳を見つめた。オリヴィアが、自分の知っているオリヴィアではないように感じられ、不安になったのだ。
ルーイの瞳に映るオリヴィアは、いつもの優しい微笑みをたたえていた。
「百年ごとに起きる天の異変を、私たち人類は幾度となく乗り越えてきました。だから、絶対に大丈夫。今日というこの日を祈りと共に無事に送り、私たちは、新しい明日を迎えることができます」
「オリヴィアさん。みんなは――」
ルーイは思わず尋ねていた。さっきから、キアランの姿もダンの姿も、その他の皆の姿も見ていない。
「外にいます。私も、これから向かいます」
皆で朝食をとってから、なんの物音もしなくなった。皆の気配も感じられない。いつの間にか、なんの挨拶も声かけもなく、皆どこかへ行った。ルーイは、それが不思議で不安だった。
「大丈夫。今日は、ゆっくりしていて。そして、僧侶様のご指示に沿って、祈りを捧げてくださいね」
「ゆっくり……? いいの? 魔の者たちや四天王は――」
その言葉を、今この場で発するだけでもいけないのだといわんばかりに、オリヴィアは首を左右に振った。
オリヴィアは、改めて皆の顔を見渡した。
「僧侶様のおっしゃった通り、心を乱してはいけません。すべて、うまくいきます。だから、ご自身の心と体を整える、今日はそれだけを考えるのです」
そして、にっこりと微笑み、
「では、また明日、会いましょう」
オリヴィアは深みのある葡萄色をした長い髪を揺らし、四聖たちに背を向けた。
背を伸ばし、凛とした姿勢で洞窟内から外へ向かうオリヴィア。四聖たちは一礼し、ただ見送る。
ルーイたちは気付かない。物音がしない、それは外部からの影響を遮断する魔法に違いないことを。
また明日、当たり前のようにそう告げたオリヴィアの声には、特別な感情が込められていたに違いなかった。しかし、今のルーイたちはそこに疑問を感じられない。
それも、きっと魔法やまじないの効果。祈りに専心するために。彼らだけの使命を達成させるために。心が、揺れないように――。
『では、また明日』
ごく普通の挨拶。当たり前の挨拶。それは、昨日までの話。今の彼らにとっては、特別な、大切な、悲痛な願いを込めた、重みを持つ言葉。今のルーイたちは、気付かないけれど――。
オリヴィアは、美しい背に優しさをたたえつつ、ただまっすぐ前だけを見つめていた。
結界の中には、医師や負傷した者、高度な守りの魔法を使える者、それから、上層部の者たちだけが四聖の護衛として残った。
テオドルをはじめ、戦闘に参加できる者は全員、結界の近く、ノースストルム峡谷内で襲撃に備えている。
アマリアさん――。
キアランと花紺青、ダン、ライネ、ソフィアは、最前線となるノースストルム峡谷の外に出る。一刻も早くアマリアを助けるため、皆を守るため、志願してその位置に着く。
カナフは、ノースストルム峡谷付近にいるとのことだった。あれから姿を見せていないが、すぐ近くのどこかで、見守り続けてくれているようだ。
遠くの空は、よく晴れていた。身の引き締まるような寒さだが、いつもと変わらぬ穏やかな朝の空気が流れる――。
「四天王パールだ!」
空を見つめ続けていたダンとライネが、同時に叫んでいた。四天王パールがこちらのほうへ向かってきている気配に、いち早く気が付いたのだ。
「いよいよ、やつが……!」
キアランは、愛馬フェリックスを走らせる。花紺青、ダン、ライネ、ソフィアも続く。
「キアラン」
森へ入ってすぐ、キアランに対し、呼びかける者がいる。
梢の合間を飛ぶように見える、白い影と、黒い影。
「白銀! 黒羽!」
白銀と黒羽だった。
白銀のしわがれた声が、森の静寂を破る。
「キアラン。四天王パールと、四天王オニキスがこちらに向かってきている」
「なんだって! オニキス――!」
キアランは、フェリックスの速度を上げた。
気が付けば、黒く長い髪をなびかせ、黒羽がキアランの隣を飛んで並走していた。
「アマリアが、目覚めた」
黒羽の艶やかな唇が、待ちに待った朗報を告げる。
「アマリアさんが、目を覚ましたのか……!」
黒羽と白銀は、うなずいた。
「四天王シトリンとその従者たち、それからシルガーはまっすぐそちらに向かっている。我らは、お前たちに伝えるよう頼まれた」
黒羽と白銀は、キアランに伝言を言い終えると、空に向かって急上昇していた。
「我らも、先に行く。我が主、アンバー様の仇を討つ」
あっという間に、白銀と黒羽の姿は空に消えた。
アマリアさん――! 私も今、助けに行く……!
「花紺青!」
キアランは、板を操りキアランの斜め後ろを飛び続けていた花紺青に呼びかける。
「わかってるよ、キアラン。空を行くんだね」
キアランは、フェリックスから花紺青の板に飛び移る。フェリックスは、背から主人の重さを感じられなくなっても、大地を蹴り、ダンの愛馬バディの横に並んで走り続ける。
「ダン、私は空を行く! ダンも、ライネもソフィアも、どうか気を付けて……!」
「キアラン、気を付けて……!」
それぞれの無事を祈り合い、決意を込め強い瞳でうなずき合う。
キアランは、気付いていた。この森は、昨日までと違って魔の者の気配が色濃くなっている。
今宵空の窓が開くということで、魔の者の力が高まっているのだ。
非常に守りの強い聖地ノースストルム峡谷、そしてその峡谷内の奥深く、魔導師たちの結界内にいる四聖、その気配は極限まで抑えられているはずだった。
それでも、嗅ぎ付けられる魔の者。それは、非常に数こそ少ないが、探索の能力に長け、四天王に迫るくらいの強さを持つであろう魔の者。シルガーに匹敵する、またはそれより上位の魔の力の持ち主たち。
キアランと花紺青は、四天王たちが躍動する空へ向かい、ダンとライネとソフィアは、不穏な空気をはらむ森を突き進んでいった――。
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