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【創作長編小説】天風の剣 第159話
第十章 空の窓、そしてそれぞれの朝へ
― 第159話 敗北と、希望と ―
風を切る。
急降下するシトリンの頬を、かすめてなにかが飛んで行った。
「ふん。邪魔くさい」
シトリンは、動じることなく飛行を続ける。
ほどなく背後から爆発音が聞こえる。シトリンの頬をかすめた物体は、白銀によって弾かれた、黒裂丸の弾丸のような攻撃だった。
「花紺青おにーちゃん、私は黒羽おねーちゃんのほうへ行く! 花紺青おにーちゃんは、白銀おじーちゃんのほうをお願い!」
「わかった! 任せてっ!」
白い木々の合間を縫って雪原に近づいたシトリンが、手を離す。シトリンから離れた花紺青は、地上に飛び降りた。そして、そのまま白銀たちの戦っているほうへと勢いよく駆け出して行く。
「黒羽おねーちゃん……!」
シトリンが、黒羽と赤朽葉のほうへ向かおうとしたときだった。
え。これは――。
シトリンは、動きを止めた。
ぴりぴりと、肌に感じる、変化の波動。
シトリンは、大きなエネルギーの変容が起きたことを知る。
「新しい、四天王――」
強い、と思った。とても強い波動を感じる。もともと、特別に力のある従者が、四天王の座を奪い取ったのだ、瞬時に悟る。
「シルガー……!」
シトリンは思い出す。アンバーのほうへ向かわず、オニキスと戦ったときのことを。
二つの選択。アンバーと再会することは、叶わなかった――。
そして今、黒羽とシルガー。
シトリンは、ぎゅっ、と下唇を噛んだ。
私は――。
一瞬の迷いも許されない状況だと思った。黒羽とシルガー、どちらに加勢するか、迷っている時間はないと思った。
シトリンは、きっ、と前を見つめる。
「黒羽おねーちゃんのほうへ行く!」
黒羽のほうへ、行こうと決めた。
だって今、花紺青おにーちゃんに約束したから!
どちらも失いたくない、シトリンは切に思う。
絶対、大丈夫。シルガーには、死んだら殺すって言っておいたし……!
うんうん、釘を刺しておいたから、シルガーは大丈夫、シトリンはわけのわからない勝手な納得をしていた。
ジグザグに木々の間を飛行する。つむじ風のようなシトリンの通ったあとは、枝が揺れ、幹が揺れ、雪の塊が落下していく。
シトリンは、黒羽と赤朽葉の戦場に、たどり着く。
「黒羽おねーちゃん!」
シトリンは息をのみ、大きな瞳をさらに大きく見開いた。
純白の大地に、広がる赤い血。
黒羽が、倒れていた。
「シトリン、さま――」
黒羽は、生きていた。背から、大量の出血をしているようだった。
戦っていたと思われる、赤朽葉の姿はなかった。
起き上がろうとした、黒羽。しかし、ふたたび倒れそうになり、シトリンが小さな手で黒羽を支える。
「黒羽おねーちゃん、大丈夫っ?」
黒羽の背にある、コウモリのような翼はついていた。しかし、傷だらけで、背からはぎとられそうになったのか、右片方の翼の付け根部分から血が流れ続けている。
黒羽は、苦しそうな息で、話し始めた。
「四天王が……、殺され、代わったことを知り、私が戦っていた赤朽葉という従者の男は、私を殺そうとする手をゆるめ、走り去っていってしまいました――」
「走り去った……?」
「はい。おそらく、四聖のもとへ――」
赤朽葉は、レッドスピネル様の呪縛が解けた、とも言っていたという。青藍より先に、四聖の力を我がものに、とも。
「せいらん……?」
「はい。きっと、新四天王……、シルガー様と……、戦っていた従者のことかと――」
血が流れ続けている。黒羽の顔色は蒼白で、目もうつろ、今にも意識を失いそうだった。
シトリンは、自分の腕を自分の爪で傷つけていた。白い肌に、深い赤の一文字の傷ができ、みるみる血があふれ出す。
「黒羽おねーちゃん、私の血を飲んで……!」
魔の者の血は、強い薬にも毒にもなる。特に、力の強い者からの血は、危険が大きい。シトリンは、紅をさすようにほんの少しだけ、黒羽の唇に自分の血を塗ってみる。
黒羽は苦しそうに大きく咳き込んでいた。黒羽には、シトリンの血が合わないようだった。
「ごめん、黒羽おねーちゃん、ごめん……!」
「とんでもございません……。シトリン様……。ありがとうございます……。本当に、申し訳、ありません――。修復可能な傷です。何日か、何週間か経てば、よくなりますから――」
黒羽は、瞳を閉じた。急所を破壊されない限り、死のような眠りの中、魔の者の傷は回復に向かう。他の魔の者や、獣によって急所を食い荒らされない限り、生き続ける。
「ごめん――。黒羽おねーちゃん」
ぽたり、シトリンの握りしめた拳に、涙が落ちる。
シルガーがいてくれたら、と思う。シルガーの血で、黒羽は回復していたから。
人間の魔法使いがいたら、と思う。きっと治療できるのに、と。
高次の存在がいたら――。たとえばカナフ。治療はしないとしても、きっとなにか助けてくれるに違いない、とシトリンは考える。
『壊れてないし、ちゃんと生きてるから大丈夫!』
以前、深く傷を負った翠と蒼井について、そう述べていたシトリン。しかし、今のシトリンは違った。
ごめん。痛いよね。苦しいよね。黒羽おねーちゃん。早く、治してあげたい――。
シトリンの、固く握りしめた小さな拳が震える。
魔法使いや、高次の存在だったら、きっと危険がないよう黒羽のエネルギーを隠してあげられるのに――。なにもできない自分を、シトリンは悔しく思う。
四天王なんて言いながら、こんなとき、なんにもできないんだ――。
黒羽の冷たくなった頬に、そっと手のひらを当て、それからシトリンは空を見上げる。
ごめん。黒羽おねーちゃん、シルガーのほうへ行くね……!
一刻も早く四聖たちのほうへ向かわねばならない、しかしその前に、シルガーに加勢しなければ、シトリンはシルガーの波動を感じるほうへと飛び立った。
花紺青が白銀のもとへ駆けつけると、赤朽葉同様、黒裂丸の姿は消えていた。
「白銀さん……! 大丈夫ですかっ?」
「ああ。なんとか、な……」
もう少し戦闘が長引けば、わしの命はなかっただろう、白銀は正直に打ち明けた。
「やつは……、黒裂丸は、主の死を悟りその死を悼み、青藍などに仕えるつもりはない、この俺が四聖をすべてもらう、爺さん、勝負はいったんおあずけだ、と叫びながら、あっという間に駆けて行ってしまった。やつを止めることができず、申しわけない――」
白銀は、全身傷だらけで、苦しそうに肩で息をしていた。
「白銀さん。あなたは休んで。僕らに任せて、白銀さんはゆっくり力を回復させて――」
白銀は、木々の向こうに視線を向ける。
「黒羽を……」
白銀の心は、そのとき黒羽を見ていた。
「黒羽のところに行きたい。あいつの気配が弱弱しい。あいつは、かなりの傷を負っているようだ」
花紺青は、大きくうなずき、強く励ますよう白銀に笑顔を向ける。
「わかった。僕が連れて行ってあげる」
花紺青は白銀を背負うと、黒羽のほうへ駆け出した。
雪嵐が、冷たく肌を叩き続ける。
魔導師オリヴィアは、テオドルたちと共に、ノースストルム峡谷内、守護軍の結界の手前で襲撃に備えていた。
あれは……!
オリヴィアは、近づいてくる二つの気配を、誰よりも早く感知していた。
キアランと、翠――!
距離があり姿は見えないが、オリヴィアは彼らの無事を知り、明るく顔を輝かせた。
天風の剣、アステールも……!
戦闘前の緊張の中、オリヴィアは思わず口元に両手を当て、息をのむ。
オリヴィアの目には彼らの姿が、金色の光を放つ希望の朝日のように見えていた。
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