【創作長編小説】天風の剣 第138話
第九章 海の王
― 第138話 愚かで、無様で ―
鉛色の空から、絶え間なく生み出される純白の結晶たち。
炎の剣を構えたシルガーと、人間の大きさの姿の四天王パールは、空中で向かい合う。
シルガーの瞳は、遮る雪ではなく、目の前の四天王パールを見据えていた。
「やれやれ。どうしても君は、僕を殺したいんだね」
ふう、とパールは肩をすくめ、ため息をつく。
パールの滑らかに輝く白い肌についた赤い色が乾き、いびつな鱗のようにこびりついている。
張り巡らせている、そう言ったな。
シルガーの握りしめた炎の剣は、変わらずパールに向け定まり続けている。シルガーは重心を落とし、一見、落ち着いてゆったりとした姿勢をとっているようにも見える。
雪空に浮かぶ、無駄のない、凛とした、静かな姿。
真冬の月のような銀の瞳。しかしその奥に、いつ爆発してもおかしくない、マグマのようなとてつもない大きなエネルギーを感じさせる。
その剣先は、パールの急所の足首ではなく、パールの眉間あたりを指していた。
炎の剣にも雪が舞い降りる。そして、触れた途端、たちまち消えていく。
「そういうの、隙がない構えっていうんだろうね。いつどのように斬りかかってくるか、わからないってやつ?」
パールは小首を傾けた。
「でも結局、君も相変わらず僕の急所を狙ってくるんだろうねえ」
白い息を漏らし、笑うパール。
シルガーは動かない。そのときは、まだ。
パールを射るように見つめながら、シルガーは考えていた。
鎧のように防御の壁を張り巡らせた、のではなく張り巡らせている、そう言っていた。ということは、途切れることもある、そういうことだな。
深読みしすぎ、言葉尻を勝手に解釈しているだけかもしれない。しかしそのときシルガーは、パールのその防御の術は完成しているのではなく、意識的に行い続けているのだ、そう判断した。
途切れさせてやる。
無謀だ、シルガーの本能は告げる。
この場でなくとも、たとえば、いつでもいいじゃないか、理性が説得にかかる。
四天王オニキスも、パールと敵対した立場のようだった。目の前で、オニキスはパールに深手を負わされていた。四天王同士、二体の次の衝突の際にでも、充分チャンスはあるじゃないか、理性はそう述べる。
空の窓が開いたあとでも、いいのではないか。
きっと、人間は負けるだろうと思った。
たとえシトリンが人間側で戦ったとしても、戦いの間に四聖は滅ぼされ、シトリンかオニキスのうちの一体、そしてパールを合わせた二体、または少なくともパール一体の君臨する魔の者の世界となるのは間違いないだろうと思えた。
パールと、新しい四天王たちの世界。
なにも、相手がパールでなくとも、たとえば新しい四天王、赤子の四天王を倒す、それで、自分が晴れて四天王になる、それでもいいじゃないか、シルガーの理性は、自分にとって有利な勝算を弾き出す。
雪が遮る。
氷の湖が、シルガーの心によぎる。
キアランは? シトリンは? 他の連中は?
風が通る。なにもない、氷の湖。
心の中で、胸に刺さった小枝。胸に響くかすかな、しかし確かな痛み。
四天王アンバー。あなたの最期を、私は――。
シルガーの瞳に、炎が宿る。あの日、あのとき目に焼き付けた炎――。
逆立つ銀の長い髪。
銀の髪が、雪が辿り着く前に、その場から消えていた。
ガッ!
まるで矢のような速さだった。シルガーは、パールの首筋、横一文字に斬りかかっていた。
「あれ? どうしたの? シルガー。僕の全身に、見えない鎧があるんだよ? それに、首を狙っても、意味ないってわかってるよね?」
炎の剣は、弾かれていた。しかし、シルガーは顔色一つ変えず、ふたたび炎の剣を振り下ろす。
ガッ! ガッ! ガッ!
炎の剣が、オレンジの軌跡を描き続ける。シルガーは、力強く剣を振るう。
力強く。勢いよく。外すことなく、常に効果的な角度で。
大きく弾かれる。剣を握る手の痺れが、全身を走る。
それでも、振るい続けた。シルガーは、己の剣を。
弾かれるのも構わず、さらなる力を込めて斬りかかる。
風のような速さで。なめつくす炎のような勢いで。
炎の剣は、パールの全身を容赦なく打ち続けた。
きっと、普通の魔の者相手なら、それが鋼のような肉体の持ち主だったとしても、原形がわからないほどに粉砕されてしまっていたことだろう。
しかし、相手は四天王パールだった。
「……やけくそになっちゃったのかな。こういうとき、僕は、どうしたらいいのかな」
炎の剣の疾風に髪を躍らせ続けつつ、パールは、うーん、と少し困ったようにうなった。
氷のような鋭い銀の瞳が、パールを見据え続ける。
それは、冷たい剣の切っ先のようでもあり、雪を溶かしてしまう炎のようでもあった。
「パール! 私たちが相手をしてあげるっ!」
幼い女の子の叫び声が、雪を、風を、追いやってしまうような勢いで響き渡る。
パールは、幼い女の子――四天王シトリン――のほうを見ることもなく、シルガーを見つめたまま、美しく整った唇をかすかに歪ませ、ため息のように呟く。
「そうだ。とっておこう。大切に、したいから――」
ドッ――。
今まで、シルガーの苛烈な攻撃にも微動だにしなかったパールが、右腕を動かした。
ほんの少し、伸ばしただけだった。
その右腕は、シルガーの腹部を貫く。
ゴボッ。
シルガーは、吐血した。パールは満足げにうなずくと、シルガーの細身で筋肉質な腹から腕を引き抜く。
パールの手から、かすかな湯気と滴り落ちる赤。やはり、パールの手には臓器らしき一部が握られていた。
「そこ、急所じゃないよね? 急所じゃないと、いいんだけど。君は、疲れちゃうからもうこの辺にして、休んでおきな?」
少し心配そうに眉をひそめるパール。まるで、友の体調を案じるように――。
き、さ、ま――。
シルガーの口は、かすかにそう動いたようだった。そして、炎の剣を握りしめたまま、シルガーは落ちていく――。
「シルガー!」
シトリン、翠、蒼井の叫び声が聞こえる。
シルガーは、見上げ続けた。パールを。意識のある限り、見つめ続けよう、そう決めたかのように。
パールは、手にしたものを口に運ぶ。パールの唇は、新たな朱に彩られる。
「じゃあね。ばいばい。早く治してまた僕の前に現れてね。君は四天王並みに強いけど、四天王じゃなくて本当によかったよ。だって、こんなに素敵な味――。君は、いつも僕に感動をもたらしてくれるね」
パールは、満ち足りた笑みを浮かべていた。
乱れる自分の銀の長い髪が、視界を遮る。パールに向かって伸ばそうとも考えたが、どうしても力が湧かない。
本能が、生命維持のため、肉体回復の作業を優先させていた。今のシルガーには、本能の指令に抗う力がなかった。
化け物だが、生きているということに変わりはない。いつかは、なにかの拍子に必ず途切れる。壁が途切れる瞬間が、ほつれる箇所が出てくる。必ず。生き物ならば。そのときこそ――。
薄れていく意識の中、シルガーの脳裏に、キアランの姿が浮かぶ。
あいつも、私のように、いや、私以上にひたすら突き進むのだろうな。
ふっ、と、場違いにもシルガーは笑い声を漏らす。
愚かで、無様で、ばかげていて――。
雪。雪と共に、もうすぐ地上へ。
誇らしい気分だ――。
キアランは、笑ってくれるだろうか、それとも、怒るのだろうか? シルガーはとりとめもなく考える。
また泣くかもしれんな。あいつは、そういう――。
キアランの手には、天風の剣。
一瞬、シルガーのうつろな瞳に光が戻る。
天風の、剣――。
「待ちきれなくなって、僕のほうから君を迎えに行くかもしれないけどね」
遠くの世界から、聞こえるのはパールの声。
シルガーの意識は、暗闇に支配された。
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