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【創作長編小説】天風の剣 第133話
第九章 海の王
― 第133話 思いの扉 ―
アマリアは、自分の意識の中を歩き続ける。
目覚めの鍵となる、オニキスの獅子を探して。
道なき道の途中、いくつもの扉があった。建物ではなく、ただ扉だけが唐突にある。それは、見た目もばらばらで、不規則に点在していた。ある場所では空中に浮かぶ乳白色の階段の上で金色に輝いており、ある場所では暗く薄気味悪い沼の前に、亡霊のように建っている。
不思議なことに、扉の近くに来ると、いつの間にか手の中に鍵が握られていた。そして扉の前から遠ざかると、握られていたはずの鍵が、こつ然と消える。鍵は、見た目も風合いも、ひとつひとつがどれも違っていて、それぞれの扉に合った鍵のようだった。
アマリアは、いくつかの扉を開けてみた。扉の向こうには、懐かしい光景が広がっていた。
これは、思いの扉、思いの鍵なんだわ。
美しい扉の先には、よい思い出が詰まっていた。扉の向こうに、実際にアマリアが見た映像や、その思いを象徴する物や人のイメージ、香りやぬくもりなどが情報として伝わってくる。反対に、不気味な扉、嫌な感じのする扉からは、怖い思い、思い出したくもない苦い体験、冷たい空気、不快な感覚が伝わってきた。
扉がなにを意味するのか、なんとなくわかってくると、扉を開けるのをやめ、歩き続けることにした。
獅子が、身を隠す場所。それはきっと、私が目を背け続け、絶対に訪れたくないと思う場所――。
暗いほう、険しいほうへ進んでいく。足の裏は、いばらや尖った石に傷つき、血だらけになっていた。
ひときわ暗い森があった。原始林といった様相の、誰かが立ち入ることを拒絶する森――。
のたうつ大蛇のような木の根を超え、アマリアは深緑色のシダの海を分け入って進む。
ここは、獅子にとって、きっと居心地のよい場所に違いない。
突然、アマリアの手のひらの中、ずっしりと重い感触。鍵が現れたのだ。
近くに扉があるんだ……!
鍵は、赤黒く、重みがあるのにぐにゃりとして、そして脈動していた。まるで、臓器を思わせるような――。
悲鳴を上げ、鍵を振り落としたい衝動に駆られたが、アマリアはかぶりを振って鍵を握りしめた。血のような液体が、手のひらから染み出す。
アマリアは、顔を上げた。きっと近くに、獅子もいるはず――。
いた……!
赤と黒に乱暴に塗られた扉の前に、四枚の翼を持つ漆黒の獅子がいた。
ここは、私の中の攻撃的な部分を表す場所……!
獅子は座ったままうなり声を立て、アマリアを睨み続ける。
「出ていきなさい!」
アマリアは、獅子に向かって叫んだ。
巨大な獅子は、咆哮を上げた。アマリアの長い髪がなびき、シダの葉が揺れる。
アマリアは、攻撃呪文を唱えようとした。しかし、アマリアの口から呪文が放たれることはなかった。
アマリアの目に映る獅子の金の瞳が、どこか寂しく、悲しげに見えたのだ。
アマリアは、歩み寄る。鋭い爪のついたたくましい四肢、獲物を切り裂く大きな牙を持つ獅子のもとへ。
アマリアの心の中に住み着き続けた獅子の中で、変化が起きていたのかもしれない。
また、アマリアの中でも、外部からの侵入者である獅子に対抗する力が芽生えたのかもしれない。
獅子は、アマリアの意識を支配するオニキスの力の象徴。アマリアと四天王の獅子、異質なもの同士が、人の心という不思議な空間の中、双方に影響を及ぼし合ったのかもしれない。
アマリアは、獅子の足に左手で触れた。
「四天王という存在になりながら、これ以上なにを求めているの……?」
アマリアは、獅子の瞳を見上げる。
「あなたは欲しいものを手に入れた。それでも、まだ足りないの?」
獅子は、簡単にアマリアを引き裂くことができただろう。一飲みにすることもできただろう。破壊と攻撃の扉の前で、獅子はじっとアマリアを見下ろす。
「あなたの平安は、すぐそばにあるのに。それはただ、あなたがあなたを認めること――」
バサッ……!
四枚の翼を羽ばたかせ、獅子は飛び立つ。アマリアは、追いかけるようにして叫ぶ。
「私の心の暗い場所の、どこに隠れても無駄よ! 私は、勇気を持って自分の心を見つめられる……! だって、どんなときも私は私を信じているから……!」
空の見えない森の向こうへ、獅子は消えた。
手のひらの中で、脈動し続ける鍵の重みを感じる。自分の中にも、恐ろしく凶暴な部分が存在している証拠なのだろうとアマリアは思う。
赤と黒の扉が、圧倒的な存在感を持ってアマリアの前に立ちはだかる。
扉の真ん中に、唇が現れた。それは、自分自身の唇のようだった。
木々の枝が、ざわざわと揺れる。扉の唇が、呪いの言葉を紡ぎ始める。
『両親を、親族の皆を殺された。復讐せよ。血には血で贖わせよ』
扉の唇から、大量の赤黒い液体があふれ出す。
『挑むのだ。そして、同じことをせよ。喜びを持って血肉を食らえ。己の身が砕け散ろうと、一矢報いるのだ』
アマリアは、扉に背を向ける。
『空の扉など、使命など関係ない。ただ私怨に生き、私怨に死ぬのだ――』
血まみれになり、笑いながら四天王パールに挑み続ける自分の姿が見えたような気がした。
アマリアは、駆け出す。枝葉の合間からかすかに光が差すところまで来ると、アマリアの手のひらから、鍵が消えた。肩を震わせながら、なにもない手のひらを見つめた。
涙がこぼれ落ちる。息が整わない。
ここは心の中。涙も、足の裏の無数の傷も、実際にあるわけではない。しかし、痛みを感じ続け、胸元に手を当てずにはいられないほど胸が苦しかった。
それでも、とアマリアは思う。
どんなに恐ろしく醜い一面があったとしても、それでも……。
キアランの笑顔が、皆の笑顔があたたかな日差しのようにアマリアを包む。
私は、私を信じ、私が私を認める――!
太くうねった木の根を超える。土踏まずに感じる、少し湿ってひんやりとした木肌。
森を抜けると、風が出迎えてくれた。
アマリアは、両腕で自分自身を抱きしめた。そして、強く思う。はっきりと、揺るがない心で叫ぶ。
「私は、私だから――!」
空が言葉を受け入れ、日差しが祝福し、思いは天高く昇っていく、そんな気がした。
魔法使いとしてではなく、アマリアという一人の人間としての、魔法の言葉――。
そのときだった。
光。まぶたが開く。
アマリアの目に、世界が映る。それは、自分の目で見る感覚。匂いを、温度を、音を――、すべての感覚がはっきりと蘇っていた。
日差しの感じから、朝だろうと思った。手に、滑らかで冷たい感触。岩場のようだ。洞窟というほどではないが、大きな岩陰の下に横たわっている。ゆっくりと、上体を起こす。
「なぜだ」
目の前で、驚きの表情を浮かべるオニキス。
アマリアは、目覚めていた。
獅子を倒すことはできなかった。しかし、意識を支配し続けた獅子を、自分の力で追放したのだ。アマリアの心に、獅子はもういない。
「どうやって、人間ごときが私の術を……!」
アマリア自身も驚きつつ、オニキスを見つめる。そして、立ち上がり、毅然とした態度で言い切った。
「それは、人間だから。人間だから、できたのよ」
四天王オニキスと対峙する。非常に危険な状態に変わりなかった。むしろ、眠り続けているより、危険度ははるかに増していた。
殺されてしまうだろう、そうアマリアは思った。今、それとも次の瞬間? アマリアは、凛と姿勢を正しつつも、恐怖の瞬間を思い描く。
空気が変わった。オニキスの、眉がかすかに動く。なにか、異変に気付いたのだ。
オニキスが気付いたその少しあと、アマリアも異変の正体を知る。
物音はなかった。ただ、強烈な圧迫感がやってきていた。
「やあ。いよいよ、今日だね。空の祭りだ。とても強く興味深い気配を感じたから、ちょっと立ち寄ってみたよ」
美しく響く、耳心地のよい男性の声。アマリアにとって、決して忘れられない声――。
「初めましてだね? 四天王」
朝の日差しに金の髪を輝かせ、人の姿をした四天王パールが立っていた。
「レディ。君のことはちゃんと覚えているよ。君は、ずいぶんと四天王に縁があるんだね」
パールは、オニキスの肩越しから、アマリアへ微笑みかけた。
◆小説家になろう様、pixiv様、アルファポリス様、ツギクル様掲載作品◆