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【創作長編小説】星の見える町、化け物添えて 第26話

第26話 いつかは、風に

 不気味な咆哮と、空気を切り裂くような音。
 幽玄と紫月しづきの前に、人面のついた大きなバッタと、回転しながら飛行する二つの頭を持つ蛇が迫る。

 速度も同じ。どちらを先に倒すべきか、迷わせるためか。

 どちらでもいい、切り伏せるのみ、と幽玄は思う。
 速度を上げ並走するように飛んでくる二体の化け物は、刀を構えた幽玄の手前で、大きく二手に分かれた。
 
 やはりどちらも紫月様に狙いを……! 紫月様の両脇、もしくは背後から攻撃するつもりか!

 刀を持つ幽玄より、武器も持たずとりあえず逃げ回るだけの紫月に照準を合わせるのは、ごく自然なことだった。

「静かなる大気よ、渦を巻き、我らを守る壁となれ……!」

 紫月が呪文を叫び、しなやかな両腕を勢いよく振り上げた。たちまち風が生まれ、紫月と幽玄のほうへと流れてくる。風は、紫月と幽玄を中心として竜巻のようにぐるぐると渦を巻き、流れ続ける空気の壁となる。

 バンッ!

 人面バッタと回転する蛇は、左右両脇から挟み撃ちを狙ったが、突如現れた空気の壁に音を立てて激突し、大きく弾かれる。

 オオオオオ……!

 人面のバッタが低く吠える。人の声のようでもあり、獣の声のようでもあった。空気の壁に当たって大きく後退させられた人面バッタの、硬い鞘翅さやばねの下の、薄いセロファンのようなはねがかすかに歪む。しかし、多少のふらつきと速度の低下がありつつも、ふたたび空気の壁をめがけて突進しようとしていた。
 幽玄は、飛んだ。高く、高く。紫月によって作られた、渦巻き流れ続ける空気の壁の上部から飛び出し、刀を下向きに構え直し、今度は急降下する。
 幽玄が狙うは、人面のバッタ。

「三匹目!」

 硬い外皮を、貫く刀。人面のバッタから、翅をこすり合わせるような音と、うめき声が漏れた。
 幽玄は刀を引き抜く。地面へと落下していくバッタを目にすることなく、幽玄は回転する蛇の気配のほうへと急ぐ。
 唐突に紫月を囲む空気の壁が、消えた。
 紫月の頭上から、蛇が今にも飛び掛かろうとしていた。
 幽玄が空気の壁の上部から外へ出たように、回転する蛇は、上部から中へ侵入したに違いなかった。空気の壁が消失したのは、紫月自身が術を解除したのだろう。

「紫月様!」

 幽玄の刀が、真一文字に振るわれた。飛ぶ、蛇の首。しかし、蛇にはもう一つの頭があった。残ったほうの顔が、幽玄へと牙をむく。

「四匹目!」

 光が弧を描く。幽玄の刀だった。
 真一文字に大きく振り払われた刀は、蛇のもう一つの頭が幽玄を嚙み砕こうとする寸前に、逆方向へ流れるような軌跡を描き、残っていたほうの蛇の首を捉えていたのだ。勢いのまま、蛇の首が飛ぶ。

「邪心により創られしものたちよ、永遠の循環の中へ……!」

 紫月の「循環の呪文」が唱えられた。大地に伏した人面バッタ、双頭の回転蛇から、黒いもやが立ち昇る。二体の化け物たちの輪郭はゆっくりと消え失せ、代わりにお札のような紙切れが残った。

「紫月様――」

 疲れ切って今にも倒れそうな紫月の華奢な体を、幽玄が支える。

「無事終わりました、ね――」

「ええ」

 風が吹く。幽玄の銀の長い髪が揺れる。
 不気味な筆文字が描かれた四枚のお札たちも、揺れていた。土の上身を震わせるようにしていたその四枚の小さなお札は、やがて風に乗り、宙に舞い上がり、どこかへ飛んで行く。

 大いなる源へ、還っていく。

 銀の瞳は、四つの魂なき存在たちの行方を、静かに見送っていた。
 
 紫月様たちと共にいるのも、私が歩む長い道のりも、きっとうたかたの夢。いつかは、還る。私も。
 
 いつか、自分も行くのだろうと思った。
 魂ある者たちの旅路とは違う、あの者たちと同じところへ。

 きっと、風の向こうへ行くのではない。風になるのだ。

 銀の髪が、踊る。幽玄は、流れる風そのままにしていた。



 うっそうとした暗い森。まるで唸り声のような音の風に、枝葉が揺れる。

「おや。全滅。しかも、思ったより早い」

 せっかく作ったのに、と青年は残念に思う。

「たくさん供物が捧げられると思ったのに。残念です」

 ため息。青年は、日の光も差さないような、暗いお堂の中に一人いた。
 青年の前には、自分の首を抱えている形の、グロテスクな座像。

「まだ、時期的には早い――。でも、鏡ゆかりや幽玄が離れている今なら、自由に動けるだろうと思ったのですが……」

 青年は、四体の化け物が倒されたことを感知していた。独り言のように、青年は呟き続ける。

 傘の使い手には無理だろう。きっと、紫月と幽玄のしわざだ。

 ふう、ともう一度物憂げに息を吐く。そのとき、座像の下の円形の鏡が、光った。

夕闇ゆうやみよ」

 低い声が、地の底から届けられるかのように響く。座像の下の鏡の中から聞こえてくるようだった。

「父上……!」

 青年の糸のような目が、ぱっと大きく見開かれた。その顔に広がるのは――、深い畏敬と、喜び。

「夕闇よ……。焦ることはない。そのとき――、時が満ちるそのときを、待て……。それですべてが報われ、すべてが変わるのだ――」

 父上と呼ばれた存在の、姿はない。声だけが、お堂の中にこだまする。

「父上……! あたたかきお言葉、誠にありがとうございます……!」

 青年はその場で膝をつき、深く頭を下げた。
 架夜子の次兄、青年の名は、夕闇といった。

◆小説家になろう様掲載作品◆

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