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努力してるつもりで、大切な問題から逃げていた


これまで私は、仕事に対して真摯に向き合ってきたつもりでした。
退社したあとも、休みの日も仕事のことを考えるくらい、仕事が自分の人生の全てだったんです。


ただ、仕事場でコミュニケーションを取ることが、あまり得意ではありませんでした。

なので仕事に黙々と取り組み、時間をかけて周りから信頼を得ていくことが、私にとって唯一の人間関係構築の術でした。


以前のnoteにも書きましたが、
私は人からの評価に飢えていました。誰かに認めてもらいたくて仕事をする、でもそう簡単には認められない。

それに認められたところで、また次の承認欲求が顔を出します。欲深く、キリがありません。


そんなとき、要領のいい同僚を見ると、すごくモヤモヤしていました。そうしてその人が評価されているのを見て、なんで...と腹が立ちました。


媚を売ったり、人の成果を横取りしてまで、私は評価されたくない!
...なんて、本当の気持ちだかどうだかわからないことで、そのときは心が支配されてたんですよね。





そうしていつからか、自分のキャリアに限界を感じるようになりました。

上司も人間ですから、部下の全てを見ることはできないし、多少の部下の好みも見え隠れする。
自然なことですよね、私も可愛く思う後輩とちょっと苦手な後輩がいたりしますしね。

でも当時自分のやっていることは誰かが見てくれていて、いつか必ず報われるときが来ると信じていた私は、

積極的にコミュニケーションをとって、見えるところで成果を出した人が評価されやすいのかもしれない...と気づいたとき、足元からガラガラと崩れていく感覚を味わいました。



そうして、出世したい一心で仕事に没頭していた日々から距離を置いたとき、
要領のいい人も、そうでない人も、みんな努力しているんだよな、と思う瞬間がありました。

誰かが必死に残業しているのを見たとき。
ミスを全くしない人に気づいたとき。
厳しい場面で矢面に立つ人を見たとき。


私は自分のことを恥じました。
あまりにも周りが見えていませんでした。

私は苦手なコミュニケーション能力を克服することから理由をつけて逃げ、
他の方法で認められようと、これが自分のスタイルだとして努力してきました。
自分のスタイル以外はずるいやり方だ、なんて偏った見方をして。


もちろん成果を横取りしたり、誰かの評判をあえて下げたりする人は、称賛されるべきではないと思います。


でもみんな、何かしらの努力をしている。
自分だけが頑張っているのではない、それに自分の努力の形が、必ずしも正しいわけではないんだ、と気づきました。


自分の嫌なところや苦手なところに向き合うのって、本当にしんどいですよね。私はできれば回避したいです。

でも私は今でも、仕事をするなら評価はされたい。(出世を諦めきれていません)

人間である上司に評価されるために、社会で生き抜くために相応の努力は必要で、それならやはりコミュニケーション能力は必須。避けて通れません。

ただ苦手なことに100%力を注ぐととても消耗してしまいますよね。

なので自分を追い込まないことを第一に、ハキハキ挨拶するとか、できたら一言雑談するとか。
今はすごくハードルを下げつつ、ほんのちょっと頑張る生活を送っています。


もっと早く気づけばよかったな...という後悔のなかで、
今まで逃げてきた「自分の内面に向き合うこと」を頑張らないとな、と覚悟した出来事でした。

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