飛騨と忌部氏は関わるのか?
以前書いたが、
飛騨に阿波忌部の痕跡があるかネットで調べた。
と言うか、私が頼れるのはネットだけであるが。
その当時全く痕跡を発見出来なかった。
わざわざ千二百年前には乗鞍を『アワ山–阿波山』高天原があった場所として名付けたと言う古代伝承が口伝て残り、
今も乗鞍連峰に『安房山』が残っているにも関わらずに、である。
今回しつこく探して、『断定出来ない程の僅かな残滓』程度の情報が出て来たので記しておきたい。
飛騨には阿波忌部の神社が無かったので、
阿波忌部だけではなく、忌部五部神まで広げて祭神として祀られる神社がないか探して見た。
因みに忌部五部神は、
(89)讃史-伝説と神社 【2.手置帆負命】 | さぬきの桃太郎
と言う所から抜粋すると、
・手置帆負命(タオキホオイ)
木の神、讃岐忌部(香川県)の祖。林業・建築業・武器製造業の神
・天日鷲命(アメノヒワシ)
阿波忌部(徳島県)の祖。紡績業・製紙業の神
・櫛明玉命(クシアカルタマ)
出雲忌部(島根県)の祖。装飾・美術の神
・彦狭知命(ヒコサシリ) 土の神
紀伊忌部(和歌山県)の祖。林業・建築業・武器製造業の神
・天目一箇命(アメノマヒトツ)
筑紫(福岡県)・伊勢(三重県)忌部の祖。金属鉱業の神
これだけいる。
これだけ広げてやっとで引っかかった。
①飛騨水無神社に末社として祀られている中に
大山衹・綿津見・水戸・木工・金工 社
大山衹神・綿津見神・速秋津比売神・手置帆負神・彦比狭知神・天目一箇神
末社ということは、昔はあったが廃社となり水無神社に神様を持って来たものと思われる。
木工社
『手置帆負神・讃岐(香川県)忌部』
『彦比狭知神・紀伊(和歌山県)忌部』
金工社
『天目一箇神・筑紫(福岡県)、伊勢(三重県)忌部』
② 飛騨 白山神社
(住所は岐阜県飛騨市神岡町大笠)
現在の祭神では無く、古い記録では、
飛太國風土記に大里村名義は或紀伊國各草郡大笠持人事やありて、
祀神は手置帆負神鎮座とし、
それから神代記に即ち此紀伊國忌部遠祖手置帆負神定為作笠者とあるによりて此の村も上代故ありてその神を祀りしに村名となしたると云う。又高原旧事録には此の大笠神の神体は桂の木にて作りてある故村民は家を造るに桂を用いず。
『日本書紀』には、手置帆負命は作笠者(かさぬい)、彦狭知命は作盾者(たてぬい)とあり、共に役割が異なる専門技術者であったとみられる。
昔は『手置帆負神・讃岐(香川県)忌部祖神』が祀られていた。
③ 大津神社
(住所は飛騨市神岡町)
摂社として、
(摂社とは、本社に付属し、その祭神と縁の深い神を祭った社。格式は末社より上位。)
・墨縄神社 彦狭知大神・手置帆負大神・飛騨匠御霊
が祀られている。
(注・墨縄は『すみなわ』と読む)
『創建は不明ですが、延喜式神名帳に飛騨国八社の一つとして記されている式内社であり、文徳実録・日本三代実録に「平安時代初期には祭祀が行なわれていた」とされる式外社でもあります。』
これまた不思議と言うか、面白い話で、
この墨縄神社、諏訪に独立してちゃんと社があり、
しかも諏訪大社というメジャー神社のすぐ近くに鎮座しているのだが、そっちの神社は、
『祭神不明』である。
(大工やとび職の神様が祀られているらしい、とは言われている)
‥‥‥‥‥‥忌部の痕跡を消そうとしてないか?。
まあ良い、そういう訳で、飛騨と忌部氏は、
木工関係での繋がりがかろうじて見える。
木工としては全国的に有名な、
『飛騨の匠(ひだのたくみ)』と、
天皇家の神事の為の道具作成の木工部門である『讃岐忌部・紀伊忌部』が関係していると推測出来る。
それで調べると、
飛騨では古来より税として、山の木材と飛騨の匠を供出していた事が分かる。
(木材は川を使って運び出したとの事、この部分重要)
そして、
東大寺建立(745年から開始)の際には、
木工集団の『猪名部』氏の猪名部百世が棟梁となり、
飛騨匠の益田縄手が副棟梁となったという記録があった。
(益田縄手はのちに棟梁になる)
猪名部(いなべ)って忌部(いんべ)の関係か?
猪名部氏の住んでいる所は、
北伊勢の『いなべ』という地名であるが、そこは漢字で員弁(いんべん)と書く。
忌部の関係であると言う確定した証拠はネット上では見つけられなかったが、忌部との関係を推定する意見は存在した。
また、阿波古代史研究によれば、
阿波國の古名と言われる『イの國』関連の地名は『猪〜』と書いて『イの〜』と書かれるとあり、
『猪名部』は『イの名を持つ部』と読めるかもしれない。
猪名部氏が日本に入って来た時代
『日本書紀』巻第十の応神天皇紀、応神天皇31年9月の条にて、
新羅の王から日本に送られた優れた工匠が、猪名部氏の先祖と紹介されているとの事。
飛騨護国神社の横に「飛騨匠神社」があり、
(飛騨匠は元は国分寺に祀られていたが分けられた)
『御祭神は木匠祖神の猪名部眞根大人、飛騨匠累代神璽、手置帆負神、彦挟知神を祀る。』
とあった。
Wikiを調べると、
猪名部眞根は雄略天皇の時代の工匠であり(日本書紀・巻第十四)
ここでは猪名部眞根が使っている大工の技を、『墨縄』と表しているとの事。
と言う事は、もしかすれば大津神社での墨縄神社から猪名部眞根の名は消されているかも知れない。
筑紫(福岡県)・伊勢(三重県)忌部の祖。金属鉱業の神である
「天目一箇命(アメノマヒトツ)」
については、神社は水無神社の末社・金工社にしか発見出来なかったが、
*神名* 天目一箇神 | かむながらのみち ~天地悠久~
によれば
『多度大社を中心とした北伊勢、さらに尾張や美濃、飛騨にといった辺りに伝わる「一目連(いちもくれん)」という神と同神とされます。』
とある。
しかしその『一目連』が祀ってある神社も飛騨にない。
飛騨には鉱山が多くあったので、
『金工の飛騨匠』がいてもおかしくない筈、
彼等が祀るのは天目一箇神になる筈なのだが‥‥‥‥‥‥。
飛騨と天目一箇神を粘り強く探すと、
飛騨には『山城鴨族』の痕跡がありその関係を示唆すると言う情報が出た。
鴨族?、賀茂氏?、加茂氏?
確かに美濃国には『美濃加茂』と言う地名がある。
調べると飛騨神岡町には『おかも』と言う地名があり『加茂若宮神社』があり、
賀茂氏と忌部氏の関係を調べると、『賀茂氏は忌部の中の忌部である』と言う話が出て来た。
これに関しては少々混乱して来たので考察を先延ばしにさせていただきたい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?