会話をあきらめないことできっとほしい未来に繋がるはずです
いつの頃かわかりませんが、
多くの人が会話を諦めている
ように感じます
他人はどうでもいいですが、身内との
会話にもめんどくさがるという傾向が
あるような気がします
ちなみに会話が出来ないというのは
人間の成長においてデメリットばかり
を生むことになります
議論が出来ないというのは、自分の
意見の伝え方すらわからないという
ことになるのです
議論するというのはものすごく労力
のいることなんです
わからない相手にわかってもらうよう
に根気よく伝えるという作業はかなり
しんどいです
慶応の受験を手伝ったときに毎日
議論を繰り返すという作業が出来て
一つの信頼関係を生むという感覚
を得る事ができました
仕事でも私はなるべく本当のことを
納得してもらえるように話している
ので、それがかなり役にたちました
受験自体はおもう結果にはなりません
でしたが、私と娘にこれまでのわだかまり
を払拭できるための議論の時間だった
と思います
決して私生活がどうのという話をした
わけではないですが、自分がどういう
ことを考え自分の意見をどう伝えるか
ということをひたすら議論するわけ
です。
目的を互いに一つに絞り議論する
というのはまさに仕事と同じこと
です
そこでお互いの能力を認めあい
よりブラッシュアップするための
作業をし続けます
自分たちの思いをどう届けるか?
ということを真剣に話し合います
どの角度からどう見ているかも
丸見えにしていきます
こういった議論をするためには
知識の引き出しがなくてはできない
わけですね
私達は普段、スマホやパソコンを
つかって知らないことをすぐに知る
事ができる環境を手に入れることが
できました
そうして失ったことは探究心で
あったり、伝えることではないかな
と思います
簡単に知る、探せる術というのは
自分の能力を奪われているという
ことも自覚しなくてはならない
かも知れません
知りたいことを探す間に発見が
あり、更に興味がわくという流れを
失うので、何にも興味が持てない
という人が多くなるような気がします
多分、私は世の中でいう地頭がいい子
だったかもしれないんですが、残念
ながらそれを活かせる環境にいなかった
のだと思います
というのは私は知りたがりだし追求
したがりです
だからどうしてもしつこさが出る
わけですね
話も納得するまで聞きたいし、話したい
と思っています
ただ、私がその気持を炸裂させる
と必ず親に「あんたってしつこい」
と嫌われました
今でも自分の意見を主張すると
そういわれます
そういう家庭だったので私の長所が
子供時代はまったく活かせず苦しむ
ことになりました
エジソンも偉かったけど母もえらかった
という話を聞きますよね
エジソンは学校をクビにさせられた
んですが、お母さんは才能があるから
自分の好きなことをしていいと言って
能力を開花させたわけです
一般社会に染まらない子どもを尊重
するというのはなかなか勇気のいる
ことです
ただ、私は子供時代を通して大人に
なり一通り親のいうようなことを
こなしてみた結果、自分はしつこさが
長所で個人事業主にはむいていたんだ
な。と思います
この経験があったことでエジソンの
母までは流石に行きませんが、なるべく
子どもの個性を尊重できるような
柔軟な人間でありたいとも思いました
あなたはあなたでいいしそのままで
十分素晴らしい人間だ。
と親が必ず言ってあげるべきだと
思いましたし、それが成長のための
重要なビタミンだとも思います
私はこれを言われたかったのだと
思うから子どもにやってあげる
ようにしました
もちろん、ちゃんと子どもが
受け入れる事ができるタイミングで
です。
自己肯定感というのはただ認めれて
いる。根拠もなく自分が存在して
いることで幸せだと言ってくれる
人間がいると感じるだけです
私がこういった考えになれるように
なったのは、大人の言うこともきいて
自分のやりたいこともやってきた
という結果です
でも一つ大事なことにも気がつく
ことが出来たのは、個人で成長する
というのは限界があって、実は
大人になったら子どもが自分を
成長させてくれるものなんだと
ありがたく思えたことです
誰かのためというのは力を
何倍にもできるようになる
んですよね
誰でもですが、親になったら
子どもの為に頑張っています
ただ、なぜ今の社会はそれがうまく
いかないか?といえば、親が思い込み
で生きているからなのではないかな?
と思うんですよね
親の考えなんて人間なんだからぜったい
ではありません
親自体が自分の考えをいつも疑うくらい
でいなくてはなりません
で、あればきちんと子どもの意見を
取り入れるよう考えるという親自体も
視野を広げる姿勢になれます
昔は親がえらいという風潮だった
かも知れません
ただ、誰かも言っていたのですが
私が生きてきたのは昭和と平成、娘が
生きているのは平成と令和で時代が
違うわけです
だからその時代の考え方というのを
とり入れて親は発言しなくては子どもは
反発するし、話ができなくなります
価値観が違うのだから
男女でもですが、価値観が違う
という一言で合う合わないを
決めたりをすぐにしているように
思えます
すぐ価値観が同じなんて都合のいい
偶然なんてそんなにないです
でも会話しながら、共通点をみつけたり
相手の良さをしったり、悪さの中でも
どれだけの許容なのかをしっかりと
考えて合うか合わないかを判断する
べきだと思います
それをめんどくさがると結局自分の
ことも誰のこともわからなくなります
相手の話を聞きながら自分の意見を
言えるような会話ができるように
工夫してみるだけでも、きっと違う
景色に出会えると感じる今日このごろ