『長嘯子全集』から見る小早川秀秋~稲葉正成との関係を中心に~(一)

小早川秀秋といえば、関ヶ原の戦いでの軍事行動、または豊臣秀吉の養子であったこと等の文脈で語られることが多い人物である。しかし、それ以外の彼自身の人物像はなかなか見えてこないように感じている。そこで、ここでは様々な視点から小早川秀秋という一人の人物について考えていきたい。

※あくまで筆者個人の解釈、見解です。拙いところも多いかと思いますが、ご了承ください。

『長嘯子全集』とは、安土桃山時代~江戸時代初期に活躍した歌人、木下長嘯子の作品を収録したものである。その中の「稲葉内匠につかはすことは」について考察していきたい。

(原文ママ、「つかはす」カ)
〇「稲葉内匠につはすことは」の解釈について(一)

 安土桃山時代から江戸時代初期を生きた木下長嘯子は豊臣秀吉の正室北政所の兄、木下家定の長男で、弟の一人には小早川家の養子となった小早川秀秋がいる。これより読み解いていく「稲葉内匠につかはすことは」は、かつて秀秋の家老を務めた稲葉正成に対して送ったものである。その中から、今回はその冒頭部分、秀秋と正成の親密さを述べている箇所について見ていきたい。

「稲葉の山の名高聞え、峯におふる松の、みさほもてつけて、枝さしふるまひおかしく、内匠なりける人、はやうは故中納言秀秋卿にものせられしを、あるか中にことなるおもひかはして、魚の水にあるとやらん、難波のことのよしあしつゝはかりも、こゝろへたてすうちたのみをかれしかは、」
(原文ママ、「つゆはかりも」カ)

【現代語訳】
 稲葉内匠(稲葉正成)に贈る言葉

稲葉の山の名は広く世に知られ、山の頂に生える世俗を超えた雅さを身につけた松の枝ぶりは見事である。内匠頭であった人(稲葉正成)は、もともとは亡き中納言秀秋卿(小早川秀秋)にお仕えしていたのを、とりわけ思いを通い合わせ、水魚の交わりとでもいうのであろうか、難波(大坂)のことのよしあしを少しも心を隔てることなくすっかり頼りにしておられたので、

【解釈】
冒頭の「稲葉の山の名高聞え、峯におふる松という表現について見ていきたい。この表現については、以下の和歌を基にしていると考えられる。

立ちわかれ いなばの山の 峰に生ふる まつとしきかば 今かへりこむ
                                                                                     (古今和歌集・三六五)

 この和歌の「いなば」は同音の「稲葉」、つまり稲葉正成自身もしくは大名となった稲葉家にかかっている。その後に長寿・不変の象徴である「松」を褒めたたえる「みさほもてつけ」、「おかし」という語を重ね、正成と稲葉家の変わらぬ繁栄を寿ぐ文となっている。また「故中納言秀秋卿」という表現について、小早川秀秋は木下長嘯子の実弟ではあるが、長嘯子よりも秀秋の方が上の官位であったこと、そして稲葉正成のかつての主君であったことを踏まえ、「中納言」という官位と「卿」という敬称を用いているものと考えられる。その後にある「ものす」という動詞について、この動詞は種々の動詞の代わりに用いられるもので、「候ふ」「仕る」等の主君に仕える意味を持つ語を直接的に使わず、あえて「ものす」という曖昧な表現を用いている点が注目される。この表現については、大名となった稲葉正成に対してかつて彼が秀秋の「家臣」であったことを直接的に書くことを長嘯子は遠慮したのではないかと筆者は推測している。さらに「魚の水にある」という日表現については、以下の故事を基にしているものと考えられる。

「孤之有孔明猶魚之有水也」           (『十八史略』東漢)
(孤の孔明有るは、猶魚の水有るが如きなり)

この故事は中国の三国時代、蜀の劉備が軍師であった諸葛孔明との親密な関係を述べたものであるが、長嘯子はこの「魚の水にある」という表現を用いることで、劉備が諸葛孔明を厚く信頼していたのと同じように、小早川秀秋が稲葉正成に対して厚い信頼を抱いていたことを強調しているのではないかと考えられる。またその前後にも親密さを表す語を多用しており、秀秋の兄であった長嘯子から見ても、秀秋と正成の関係はとても親密であったと考えることができるのではないだろうか。

【参考文献】
〇吉田幸一編『長嘯子全集』第二巻(和文集)(「近世文芸資料十二」)、古典文庫、一九七二年。
〇『日本古典文学全集 : 現代語訳』第六巻、河出書房、一九五五年。国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1661476 (参照二〇二三-〇六-二五)
〇国語漢文研究会編『十八史畧詳解』、湯川弘文社、一九五二年。 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2434407 (参照 2023-06-25)
〇鎌田正・米山寅太郎著『新漢語林』、大修館書店、二〇〇四年。
〇佐藤孝之・宮原一郎・天野清文著『近世史を学ぶための古文書「候文」入門』、吉川弘文館、二〇二三年。
〇土井忠生・森田武・長南実編訳『邦訳 日葡辞書』、岩波書店、一九八〇年。
〇松村明・山口明穂・和田利政編『旺文社古語辞典 第十版』、旺文社、二〇〇八年。
〇山田忠雄・他編『新明解国語辞典』第六版、三省堂、二〇〇七年。


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