在りて在りし事(2024年のデルタ137)
「在りて在りし事ってどういう境地?」
なんとも言えないなあ。境地だからね。説明するとなると長いかもしれない
「どういったものか説明するのは難しいですか?」
だねえ、
在りて在りし事に満足する
って『境地』だからねえ。言葉にする事は難しい。だけど、どういう道を辿ってそこに到達したかは説明できるよ?
「あ、じゃあ、それでお願いします」
20代の頃に『解脱』を試みて、比較的簡単に出来ちゃった。生まれてくる煩悩をひたすら消すだけだからね。そこまで難しくない
そこに辿り着いた時脳裏に「違う!」って言葉が響いたのさな
で、戻って考えて「確かに違うな。僕の道じゃない。煩悩に焼かれ続ける事こそが生きるって事だ」って考えたさな
「お釈迦様超えちゃった?」
んん-釈迦の悟りも昔は20代の高弟が辿り着いた境地だから、別にそれ程難しい境地じゃないさな。悟り、所謂『大悟』はある種の極点だから超える超えないの話じゃないさな
無我を超越し、煩悩に焼かれ続ける事を良しとした境地、僕は『我の境地』と名付けたね。煩悩を断ち切っていく事に比べれば大変な選択をした物だなと思うよ
「敢えて煩悩に焼かれ続ける?」
それが『生きる』という事だと僕は解釈したさな
それから、人のまま人を越えていく事にチャレンジし続けたさ
煩悩の一つ一つはいずれ極点に至り
素直な形へと進化を遂げる
「あー難しいです」
まあ、簡単な道のりじゃないさな。良き煩悩と悪しき煩悩を分け、良き煩悩を磨き続ける。仏教に言わせれば、良かれと思う事すら煩悩だからな
キリスト教との出会い。超高速思考の会得。ルシファーとの邂逅。時空の旅。メシアとしての仕事。覇王真王拳の開眼。それら全部が落ち着くところへ落ち着いた時に、初めて「在りて在りし事に満足する」という境地に辿り着いた
「在りて在りし者っていうのは神の自己紹介文ですよね」
ん、だね。ただ人間に到達できない領域は説明していない筈だから、僕もそこへ辿り着けはしたんだよね
『生きる』という果てにはそんな境地が待っている。まあ、中々辿り着けないだろうけどね。煩悩に焼かれ続けるという道を選んでも、その先には『在りて在りし事に満足する』という事が待っている。『大悟』と違ってそこから先もある境地なんだけどね。今日はこの辺で
「分りました。アーメン」
アーメン