ポジティブシンキングは幸福への近道?(2024年のデルタ126)
幸福だと思い込めば幸福になれる
形から入れば幸福になる
こういうのに賛同する人っているんだね
幸福には必要条件と十分条件がある
例えば児童虐待が日常の子供にとってそれは普通な事であり、本人はとりわけ不幸だとは思っていない。それが『普通』なのだ
だが、外部から見ればその子は不幸な子であり、救出されればその子自身も児童虐待が当たり前の毎日は『不幸』だったと気付く
比較される幸不幸と、自分の思い込む幸不幸と二種類がある訳だ
ただ、この自己心情論での幸福の多くは脳内麻薬によって決まる
前に説明したかもしれないが
ドーパミン文明とオキシトシン文明の話だ
ドーパミンは一時的な快楽を、オキシトシンは幸福感を感じる脳内麻薬だ
オキシトシンの分泌を望むなら他者との接触が有効だ
だが、それは脳内麻薬が作り出す幻影に過ぎない
ならば、外面的な幸不幸感が幸不幸を決めるのか?
しかしこれもNOである。他人からどれ程幸福に見えようと本人が不幸であると感じているのならそれは不幸だろう
だから、幸福とは何なのかという哲学的命題に入っていく訳である
例えば、エンゲル係数100%の場合。食う事以外にお金を使えない。この事は不幸であると、多くの場合思うだろうし、多くの場合外面的にも不幸だと言われるだろう
この一例でも分かるように、幸福には必要条件があるのだ
エンゲル係数何%以下が幸福になる為の必須条件だなんてのは、統計によっても出る筈だ
ちなみに金さえあれば幸福だという人もいるが、幸福感は年収600万を超えると下がっていく事が統計で出ている
しかし、600万までは幸福感は上がるのだ
かなりの研究結果も出ている中で、幸福感が人によって感じ方が違う物だという単純な論は、最新の科学の実験結果により多くの場合否定される訳だ
ならば、必要条件が揃えば幸福になるのか?
これも必ずしもイエスとは言えない。必要条件はそろっても本人が幸福と思える条件を満たしていなければ幸福にはなれない。これが十分条件の方だ
十分条件を本人以外が満たす事は難しいが、必要条件は政治的な手法で満たす事が出来る。これを無視して幸福論を語るのはナンセンスだし、幸福は人それぞれと幸福感を本人尺度だけで満たすものだというのも今やナンセンスな訳だ
最上記のような事を語ってる人がいたので筆を取った次第だ
前にも言ったが、心理学っていうのは脳科学と切り離せない所へもうきてるんだよ。って事を語っておきたい
皮膚接触はオキシトシンが出て幸せを感じられる
という事を付け加える
全てが脳の見せる幻想ならば、幸福感を意図的に作る事も可能だ
科学は、もうそんな領域に届こうとしている