贔屓について(2024年のデルタ6)

贔屓について
「どうしました?突然」
んん-ケダモノから「天界が僕を身贔屓してる」ってクレーム入ったんだ。で、天界かな?は「身贔屓するよ」って言って、公平公正を旨としてきた僕にはちょっとカルチャーショックだったんだよね
「ほうほう」
で、贔屓について少し考えてみたんだよね

辞書で引くと
「贔屓」=気に入った人を特に引き立てること。後援すること。また、引き立てる人。
「依怙贔屓」=自分の気に入った人や関係者にかたよって目をかけたり、味方したりすること

まあ、依怙贔屓の方は不公正にって意味が入るみたい

実際、悪い人といい人を同列に扱うのもおかしいし、寝ずに公務をこなしてくれた天使とかはやっぱり憎からず思うんだよ

「贔屓にする」だと、飲食店やコンビニを思い浮かべる人も多いと思うんだな

依怙贔屓は良くないかもしれないけど、「贔屓する」は実は自分の人生も豊かにしてくれるんじゃないかと思って、筆を執る事にした

公正、公平を旨とすると、ともすれば贔屓は悪い意味でつかわれる
でも、自分にとって(僕の場合公的な事も多いけど)良い人を、贔屓するのはいいんじゃないかと思ってね

これを機に贔屓について色んな人が考えてみてくれればいいかなと思った。やっぱりNOTEやってても、贔屓したい人はいるしな

「ん、主は個人的な感覚が弱いですから、折角ですので学ばれるといいと思いますよ」
だね、三次元でもまだまだ学べる事は多いね
勿論、公務や法的な事で依怙贔屓するのは論外だけどね

やっぱり、友達や家族とかは贔屓と言えば贔屓してるじゃん
だから、贔屓を悪い意味だけじゃなく、いい意味でも捉えなおしてみると面白いと思うんだ

「ですね」
「ちゃんと贔屓しようよ」って言葉がきた
「ふふ。主もちゃんと贔屓しましょうね。私とか」
ふふふ
「ふふふ」
以上贔屓の説明でした。今日は安息日なのでここまでで
「はい。ゆっくりお休みください」

全ての人と物に感謝を
「アーメン」

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