"教えすぎ"が引き起こす影響
2024.11.20 水
吉原健作 cocotakusuzuP.P/SKILLS POWER PLANT
談:為末大
今日は、「オーバーコーチング」というものについて いただいたので、それについて考えていきたいと思います。
僕のあんまり知らなかった単語なんですけど、要するにコーチングをしすぎることの弊害なんじゃないの話なんじゃないかと思って、その前提でお話ししていきたいと思います。
我が家には、家訓が1つだけあります。
私の代から決めた家訓なんですけど、それは与えすぎて奪わぬようにというのが我が家の家訓です。
教育が陥る1番厄介なプロセスだと思うんです。で特に私みたいに競技の経験があったり、若干人に何か教えるのが好きな人間は、 ついついよかれと思って…これポイントです!
自分ではいいと思って相手に深く関わりすぎてしまい、結果として相手から「1番重要な何か」を奪ってしまうことがあるというものを戒めるための言葉です。
じゃあ、奪うのは何か?というと
自分が競技をしてるんだ、自分が自分の人生を生きてるんだという感覚を奪ってしまうということです。
技術も、筋力も全部後天的に与えることはできるんですけど、この感覚は帰り1番後から与えにくい。もっと言えば、1番の実は才能なんじゃないかと思う位です。その人がこんなことをしてみたいと思いついたり、それを継続する気持ちだったり。これが1番後からは提供しがたいんです。
何を見てもわっと好奇心が湧いてくるような…この感覚と、それから自分はこうなってみたいってものを継続するときの気持ちです。
これらが1番教えるのが難しいにも関わらず、オーバーコーチングってのは、これをその本人から奪ってしまうことがあり、それが厄介ですねというお話です。
オーバーコーチングって、結局なんですか?っていうと、教えすぎることだよね!っていう風に、なんとなく理解されてると思うんですけど、私はこの事例がとっても理解しやすいかなと思って、お話してみたいなと思います。
私がブラインド👀の方のボルダリングの練習会場に行ったことがあって、ブラインドの方(盲目の方)に対して指示を出すってわけなんですね。
こっちにありますよとか、そうそう、そっちじゃなくて…とかって色々話をしていったら、終わった後に、「いやヨシハラさん、 それじゃあなたが登らせていて、本人が登ったわけじゃないと思いますよ」っていうのを言われたんです。
その後に、コーチの方がやってるのをよく見ていると、登ってるのはブラインドの方
それを後ろから、ボルダリングなんで、いろんなこう石がついてて、それに対してアドバイスをするんですけど何を言ってるかっていうと、
「右手の こっち側の角度のこのぐらいの距離に、こんな形の…握る場所ってなんていうのかわかんないけど、それがありますよ」というんです。
つまり、何が、客観的に見てありますよっていうことを言うわけですけれども、コーチの方は、たったの一度も「ほら、もうちょっと手を伸ばして、それを掴んで」という風には言わないんですね。
つまり、そこに石はあるんだけれども、その石をどんな風に掴むかは選手に委ねられていると。
私はこれがおそらくコーチングのとっても示唆的なところだなと思ったんです。
ぜひ皆さんも、ブラインドの方がやってるスポーツを見ると、「コーチングとは何か」ってのは本当によくわかるので、ぜひ体験してほしいなと思います。
別の観点で言うと、 例えば私が昔ブラインドのランナーの方にアドバイスした時に、「もう少しまっすぐな方がいいですね」って言った時に、「まっすぐってどこですか?」って言われたことがあって、無意識に私、まっすぐって…
見えてる👀自分の見てる方向をまっすぐって言ってるんですけど、当然、ブラインドの方にとってみると、私にとっての方向と全体にとって私がどっち向いてるかって、この2つの 観点がありますから、まあ、そんなことも、なんか勝手に思い込みでやってたなっ…てのは気づかされたことありました。
オーバーコーチングですけども、要するにどういうことかって言うとですね、【 本人が何かをしようとしていることを邪魔しない】っていうのが本質だと思うんです。
それどういうことかっていうと例えば、スタートダッシュをしたり、プレイをピッチングしたり、キックをしたりして、こんなふうに蹴ってみたいと思いながら蹴ってるとして、
結果としてちょっと右にずれたとか、スタートダッシュしてたら、なんか体が浮いた感じがした時に、
「なんで浮いたんだろう?次はもっと腕を振った方がいいのかな?」とこの感覚、この感情になるこのプロセス自体がスポーツで1番楽しいところなんです。
これを奪っちゃいけないということです。
でも、時々コーチングになりますよね。
選手がやってみて、なんでだろう?と思ってる時になんでかを言ってしまうコーチ…
これがいわゆるオーバーコーチングです。
起きた出来事から、それをどう捉えて、どう反省するか、そして次に学びに変えるか!は選手の持ち物なんです。ここに手を突っ込んじゃいけない!
コーチにできることは何かっていうと、何が起きていたかのフィードバックです。体が起きてたよ!
これオッケーです。
体が起きてたよ、だから腕をもっと振らなきゃいけないよ…これはもう踏み込んでるわけですね。
でも、当然これクリアなわけではない。
選手側がコーチにアドバイスを求めてくることもありますし、そういう時にはうん、腕をもうちょっとこう振った方が、体にドライブかかって浮かないよとかっていうのを言うこともあると思います。
でもやっぱ根本的な姿勢として、コーチっていうのは客観的な事実の伝達と、おっきなポイントは質問なんです。
つまり、やってみて…あれ?と首をかしげてる時に今のどういう感覚だった?とか、体が浮いてたと思います。なんで浮いたと思う?
「多分、自分がスタートの時にちょっと起きちゃったからだと思います。」
なんでそうなったと思う?、なんでですかね?
そういう時に、例えば一言腕をもうちょっと大きく振ってみたらどうかなとか、そんなやり取りでコーチングってのはなされていくわけです。
このプロセスをすっ飛ばして、いきなり腕をスタートの時に大きく振れって言ったら、なんで腕を振ることと、自分が今起きた出来事の違いか関係が、選手にはわかんないわけです。
もうちょっと言うと、自分の今の走りが良かったかどうかすらわかんなくなるわけです。
コーチがですね、オーバーコーチングをして、【オーバーコーチングの元に育てられた選手】っていうのは、とっても分かりやすい特徴があります。
それは何かっていうと、【自己評価ができない】
自分が今いいかどうかを、全て他者に決めてもらうという癖がついてます。
なぜならば、そういう環境で育ってるので。
こういう選手は大体試合で負けた時とか、転んだ時とか、うまくいった時、「最初に見るのがコーチの顔」なんです。そのコーチの顔が見てにっこりしてると、よかったんだ。
なんかしかめつらしてると、悪かったんだ。っていう評価軸を外部に求めるわけです。
でも、【自己成長していく選手】ってのはどういう選手かっていうと、プレーをした後に自分の側に目を向けて、今の感触どうだったんだろう。なんでそうだったんだろう。次はどうすればいいんだろう…っていう自問自答が始まるわけです。
ですから、このオーバーコーチングっていうものは、実は技術の習得っていう点ではこっちの方が早い時があります。人に何かを教えさせるにはこっちの方が早いので、これを使う人は多いですが、長期的な成長、
もう少し本質的なことを言うと、その本人がスポーツを楽しいと思う感覚を、オーバーコーチングがそれを奪ってしまうので、スポーツが一体自分にとって何だったのか!っていう意味すらなくなってしまうわけです。
だからとっても罪深いんですけど、厄介なことに意地悪な気持ちでオーバーコーチングしてる人はほとんどいなくて、ほとんどのオーバーコーチングする方は熱血で良かれと思ってやっている方が多い。
だけど、結果としては、長期的には誰もハッピーにならないというものなんですね。
比較的他国に比べて日本は、オーバーコーチングが多い国だと思います。
私はコーチングっていうのは、とにかく日本においては控えめ控えめ…になるというのがいいと思うんです。
また、それを繰り返すのがいいんじゃないかなという風に思ってます。
私の自分の人生の中で、1番コーチがうまかったんじゃないかと思ってるのは、私の母親なんです。
どういう感じだったかって言うとですね、 自分が何かをするわけでなもなく、それをずっとしているのを見ることもなく、若干自分自身もまた後ろで皿洗いとかしながらやってるわけです。
僕は一通りやって、ダメだなんとかだって言ってきて、難しいって一言言うと、母親がこっちを向いて、 いや、それは難しいんだよねって言うという。これが私は究極のコーチングなんじゃないかと思います。
何も言わないけども本人が諦めそうになるプロセスや、 答えが分からないっていうプロセス全部を、その人本人が楽しめるように仕向けていく。
だけど、その中にはやっぱりそこの横にいて観察してる!っていうのはとっても重要なことで、観察したからと言って、アドバイスをしなくてもいいし、 何もしなくてもいいわけです。
でも、とにかく観察をしていれば、長く見ているとその人が 自分で考えに行って悩みに行ってるのか、それとも何かちょっとヒントを求めてるのかってのはよくわかるようになる!
だから私は、結局コーチングの本質ってのは観察にあって、アウトプットするっていうことはその時々で色々あるけれども、
1番やっちゃいけないのは、相手がどんな状況かを観察せずに、ぱっと見たことを言ってしまったり、相手に介入してしまうっていうことなんじゃないかと思ってます。
私にとってみると、オーバーコーチングっていうのはそんなイメージかなと思います。