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結婚して、夫は変わったか。
結婚しても、夫は変わらない。
付き合うようになったあとは、結構変わった。
身なりに気を使うようになり、はつらつとした明るい表情になった。
それは、わたしだってそうだ。
夫という彼氏ができてから、スカートを履くことが増え、髪がツヤツヤになり、頬が紅潮して、「恋してるやろ」とよく言われた。
付き合ってからなら、わたしたちは変化した。
でも、「結婚」は?
「結婚」のラインをどこに引くかは、人それぞれかもしれない。
プロポーズなのか、婚約日なのか、結婚式なのか、同居が始まったときなのか。
ただ、うちの場合はそのどこを境目にしたとしても、そこから劇的に夫が「変わった」というようなことはない。
思い返せば、最初からずっと優しい。
付き合ったときから、わたしのことを大切にしてくれるし、性格は温厚なままだし、真面目だし、ちょっとお茶目なところも、学生の頃と同じままだ。
じわじわと、確実に、当然のように、変化はしているはずなんだけど。
それは、結婚したからではなくて、単に人間として歳をとって、成熟していった結果の変化のように見える。
夫も、わたしも、年相応に変化している。
具体的に言えば、白髪が増えたし、腹回りは太ったし、心は無邪気さよりも安定性を求めるようになった。
「結婚」で、変わったようには見えない夫。
では、わたしは?
わたしは、「変わった」とおもう。
結婚を機に、いろんな変化に追われた。
まず、苗字が変わった。
あらゆる書類を変更してまわり、LINEの名前を変え、会える人にはご挨拶に向かい、「夫の妻」という肩書きを得た。
当時はそれが、けっこうしんどかった。
夫は何も変化しないのに、どうしてわたしだけがこんなに、変化に追われなくてはならないのか。
不公平だ!とキレた。
それだけではない。
妻になったことで、わたしは勝手に自分に呪いもかけていた。
料理がうまくないといけない呪い。
慎ましい女性であらねばならない呪い。
夫のパンツを丁寧にたたんであげる呪い。
夫の子をうまねばならない呪い。
良き妻の呪いは、わたしを追い込み、苛立たせ、時々夫への攻撃になって飛んだ。
わたしばっかり「変わらされて」!
夫は変化なんて、求めていなかったのに。
しかし、しばらくすると、そんな呪いが本当は不要で、何ならわたしにはどのみち「良き妻」は務まらないらしい、分かってきた頃からは、収まるところにストンと感情が収まっていき、怒涛の変化は幕を閉じた。
数年後、今度は「良き母」の呪いをかけるターンが始まるのだが。
それもまた、今となっては呪いは去りつつある。
結婚してから、夫が冷たくなったとか。
結婚して手に入れた女には、もうエサをやらなくなるとか。
ネットの知識や、知人の話で得たあれらの情報は、一体どこまでが「一般的」なんだろう。
少なくとも、わたしの夫は、結婚後も「愛してる」と言ってくれるし、わたしがどんなに劣化していっても「かわいい」と声をかけてくれる。
どんなに適当なご飯を作っても「ありがとう」と言ってくれる。
こんなにできた人間がいるだろうか。
「結婚」を機に、夫が変わらなくてよかった、と心底安堵する。
これ以上、良い方に変わることなんてない。
今が最上だもの。
夫がそんなふうに変わらないでいてくれるから、わたしがどんなにグラグラと揺れて、変わり果ててしまっても、わたしたちは夫婦で居続けられている。
すべては、夫の「変わらなさ」のおかげなのだ。
ありがとう夫。
いつも、本当にありがとう。
と、ここまで書いて、夫だってきっと変わっているはずだよなあ、とも想像する。
わたしから見ると、大きな変化はないように思えるけど、そんなわけがない。
夫は、わたしに見えないところで、静かに変化を遂げているのだ。
だけど、わたしにはそれを言わないだけ。
それは優しさなのか、口べたなのか。
時々「言えよ!」と思うことも。
だから、わたしは想像する。
夫婦だからって、何もかも知っているわけじゃないんだと肝に銘じながら。
夫の見えない部分の変化を想像し、声をかけ、支え合って。
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珈琲次郎さんの「仲良し夫婦サークル」のテーマでした。
毎度よくこんなふうに「考えさせられる」テーマを思いつけるのか。
珈琲次郎さんの「夫婦」への多様な考え方に驚かされます。