「なんとなく好き」、ただそれだけで。
月の始めは、調子がいい。
たしか先月もそうだった。
日記を書いていると、そういう気分の周期も把握できるので助かる。
気分がいい時は、家事もはかどる。
本来、家事は好きではない。
でも、調子がいい時は、掃除も料理もスラスラできて、「なんだか出来る妻みたいじゃん」とますます調子が前を向く。
それでも昨日は、一昨日出かけた疲れが残っていたので、昼頃には小休憩。
夫が子どもの相手をしてくれたので、わたしはソファーに寝そべって、動画を見た。
至福至福。
春休みらしいではないか。
こんな真っ昼間、家事の合間にピッタリなのは、やはり「暮らし」の動画たち。
以前、記事で紹介したお気に入り動画のひとつ、CAFICTさんの最新動画をぼうっと眺める。
コーヒーを淹れ、ささやかなおやつを食べ、家事をする姿が映し出されるだけの動画だが。
癒されるんだ、これが。
スッキリとした住まいや、洗練された道具たちが、手際よく使われているさまを見ていると、なぜか心が落ち着いてくる。
バックに流れるオシャレな音楽も好みだ。
GAFICTさんの動画で一息ついたら、今度は作り置きの動画を眺める。
お気に入りは、「食堂あさごはん」さん。
中井エリカさんという素敵な方が、お野菜をたっぷり使って作り置きをする動画シリーズ。
こういうお料理動画も、よく見るようになった。
家族の献立1週間、幼児食作り置き、夫婦の晩酌の動画も好きだ。
ただ、動画主の方には申し訳ないが。
わたしは、レシピを真似することはほぼない。
へえー、こういうのいいな。
おいしそうだな。
そんな取り止めのない感想を頭に浮かべながら、ぼーっと流し見するのが好きなのだ。
もちろん、レシピを参考に作れば、さぞ美味しいものができるんだろう。
やってみたい気持ちも、あるにはある。
でも、わたしが暮らしや料理の動画から得たいのは、ノウハウではない。
「やる気」だ。
家事へのモチベーションを上げて、前向きに家事に取り組みたいのだ。
だから、気分が上がってきたと思えたら、動画は途中でもスパッと止める。
いつまでも見ていたいが、時間もない。
なにより、せっかくモチベーションが上がったのだから、気分がのっているうちに、我が家の家事も片付けたい。
そんなふうに、使わせてもらっている。
じゃあ、料理動画ならどれでもいいかといえば、そうでもなく。
GAFICTさんも、「食堂あさごはん」さんも、漂う空気感が好きで見ている。
動画に映る日差しの具合や、使われているオシャレな音楽、語られすぎないさりげない言葉、静かで落ち着く主張しない雰囲気。
そういう、やりすぎていないところが気に入っている。
この、なんとなく漂う空気が好きというのは、noteの記事でもある。
この人の書く記事は、なんとなく雰囲気がいいなあ、というもの。
ためになるとか、役に立つとか。
そんな視点で選んでいるのではなく、ただなんとなく惹かれて読む記事を書く人たち。
わたしの憧れる人たちである。
おひとり挙げるとしたら、enacoさんだろうか。
enacoさんの書かれる記事は、なんとも澄んだ匂いがする。
静かで、おだやかで。
言葉と言葉の隙間から、儚さと風情が漂ってくる。
色でいうなら、淡いグレーの混じった黄色か、薄めのブルーやピンクかしら、なんて。
勝手に憧れ、ほわわと読んでいる。
わたしが「漂う空気感で選んでいる」の代表がenacoさんなのだ。
なんか、好き。
なんとなく好き。
そんなあいまいなのは、ダメだろうか。
この「なんとなく好き」に関することが、古賀史健さんの過去の記事に書いてあった。
enacoさんの記事も、GAFICTさんや「食堂あさごはん」さんの動画も、わたしにとっては「こういうのが好きなんだよ」のひとつ。
その感覚的な「こういうの」の正体は、やっぱりうまく言葉にできない。
どうしてenacoさんの記事や、GAFICTさんたちの動画に憧れるのか、自分でもよくわからない。
でもそれ、なんとなく心地いいから、じゃダメかなあって。
漂う空気を吸いたいから。
心がそれを求めているから。
漠然と好きで、気持ちが惹かれるから。
記事も動画も、きっと分析すれば、「こういうの」の正体が分かってスッキリする。
わたしも真似したり、取り入れたりできるんだろうけど。
なんだろう、知りたくない。
なんとなく好き、のままでいたい。
野暮なことせず、そのままにしときたい。
心が動く理由を、いつも明らかにしなくていいはずだ。
「なんとなく好き」という感覚を、そのまんま大事に持っておきたい。
そんな「なんとなく」を浴びたとき、わたしの心は元気になれるのだから。
明日からは、夫も忙しくなる。
わたしも、動画を眺める時間なんて、なくなるだろう。
それでもなるべく、ゆるりゆるりと。
今日から、4月。
始まりの月。