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吊るしてかざると、見えてくるもの。

「私は私に日記を書いていることを、ひみつにしている」

古賀及子さんは、そう言った。
それで、すべてがつながった。


好きなエッセイスト・古賀及子さん。
先日、「北欧、暮らしの道具店」の動画にご出演されていた。

ご登場されたのは「うんともすんとも日和」という動画シリーズ。
主婦、女優、作家などを主人公にした、ショートドキュメンタリーだ。

「主人公の”光と陰”の両方に目を向け、その人となりの視点を覗かせてもらう」

「うんともすんとも日和」では、主人公のいい面ばかりではなく、どうにもならない悩みまで、裏も表も語ってくれる。

前述の動画も、古賀さんの暮らしや考え方を垣間見ることができて、とてもよかった。




古賀及子さんのことは、「北欧くらしの道具店」の連載『5秒日記』で知った。
そこから、書籍『ちょっと踊ったりすぐにかけだす』を購入。
じっくり味わって、読んでいる。

古賀さんが書くのは、日記のようなエッセイだ。
淡々とした記録にも見えるのに、あたたかい愛に触れられる。


子どもたちと過ごす何気ない生活を、すこし遠くから見せてもらう。

アイスを買ってきて、ご飯を食べて、ゲームして、寝ておわり。
それだけなのに。

飾らないその生活を見ていると、「懐かしさ」のようなものをかんじる。
「ていねいなくらし」ではないはずなのに、その生活にあこがれるのだ。


古賀及子さんって、どんなひとなんだろう。

文を読んで、知りたくなった。
あのふしぎな「距離感」は、どうやったらうまれるのだろう。

古賀さんが、「書くこと」についてどんな考えを持っているのか。
答えは、動画が教えてくれた。



動画のなかで、印象的だったことばがある。

「書くことによって、吊るして飾る」

古賀さんの書く日記からかんじる「距離感」。
その正体は、コレだとおもった。


でもやっぱり自分のことになると「何それ」とはなれなくて、最初はもうがっぷりよつにはなっちゃうんですよね。
でも、どこかのタイミングで「なんだそれ」にしていくってことだと思いますね


自分の日常を書いて、さらけだす。
それは、自分のなにかを削っている。
そんな感覚に陥りそうになるけれど、古賀さんはそこに入るんじゃなくて、ちょっと引いて「なにそれ?」と見ることができる。

自分の日常を俯瞰して、見つめることができるのからこそ、距離をとって書けるということか。


わたしはまだまだ、自分の感情に、どっぷり浸かりそうになることが多い。
目の前で起きたこと、すぐそばで感じたことは、温度は高いけど、不確かで脆い。

「そのときに感じたことは 、ちょっと疑った方がいい」と、古賀さんも動画で述べているように、すこしそこから離れてようやく、見えてくる姿があるのではないか。

吊るして飾ると、それがどういうことだったか、もっと深いところにある美しさみたいなものに、気がつくことができるなって。


この感覚を身につけないと、自分自分ばっかりになっちゃって、日記を楽しく続けられない。

あらためて、わたしと日記の付き合い方を、見つめさせられる動画となった。


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