吊るしてかざると、見えてくるもの。
古賀及子さんは、そう言った。
それで、すべてがつながった。
好きなエッセイスト・古賀及子さん。
先日、「北欧、暮らしの道具店」の動画にご出演されていた。
ご登場されたのは「うんともすんとも日和」という動画シリーズ。
主婦、女優、作家などを主人公にした、ショートドキュメンタリーだ。
「主人公の”光と陰”の両方に目を向け、その人となりの視点を覗かせてもらう」
「うんともすんとも日和」では、主人公のいい面ばかりではなく、どうにもならない悩みまで、裏も表も語ってくれる。
前述の動画も、古賀さんの暮らしや考え方を垣間見ることができて、とてもよかった。
古賀及子さんのことは、「北欧くらしの道具店」の連載『5秒日記』で知った。
そこから、書籍『ちょっと踊ったりすぐにかけだす』を購入。
じっくり味わって、読んでいる。
古賀さんが書くのは、日記のようなエッセイだ。
淡々とした記録にも見えるのに、あたたかい愛に触れられる。
子どもたちと過ごす何気ない生活を、すこし遠くから見せてもらう。
アイスを買ってきて、ご飯を食べて、ゲームして、寝ておわり。
それだけなのに。
飾らないその生活を見ていると、「懐かしさ」のようなものをかんじる。
「ていねいなくらし」ではないはずなのに、その生活にあこがれるのだ。
古賀及子さんって、どんなひとなんだろう。
文を読んで、知りたくなった。
あのふしぎな「距離感」は、どうやったらうまれるのだろう。
古賀さんが、「書くこと」についてどんな考えを持っているのか。
答えは、動画が教えてくれた。
*
動画のなかで、印象的だったことばがある。
「書くことによって、吊るして飾る」
古賀さんの書く日記からかんじる「距離感」。
その正体は、コレだとおもった。
自分の日常を書いて、さらけだす。
それは、自分のなにかを削っている。
そんな感覚に陥りそうになるけれど、古賀さんはそこに入るんじゃなくて、ちょっと引いて「なにそれ?」と見ることができる。
自分の日常を俯瞰して、見つめることができるのからこそ、距離をとって書けるということか。
わたしはまだまだ、自分の感情に、どっぷり浸かりそうになることが多い。
目の前で起きたこと、すぐそばで感じたことは、温度は高いけど、不確かで脆い。
「そのときに感じたことは 、ちょっと疑った方がいい」と、古賀さんも動画で述べているように、すこしそこから離れてようやく、見えてくる姿があるのではないか。
この感覚を身につけないと、自分自分ばっかりになっちゃって、日記を楽しく続けられない。
あらためて、わたしと日記の付き合い方を、見つめさせられる動画となった。