夫婦の「愛」が冷めたあと、どんな関係を目指そうか。
パートナーとの「愛」が冷めたら?
今週の珈琲次郎さんの企画テーマは、なかなかシビアだ。
しかし、夫婦ならだれもが直面する。
見て見ぬふりはできない問題。
「愛」は、3年で冷めるとよく言われる。
わたしはそれを、ひしひしと感じる。
付き合いたての頃、頭のてっぺんから足の先までツヤツヤに輝いていた「恋」するわたし。
あの日のわたしは、もういない。
夫のことは、好きだ。愛している。
でも、間違いなくあの頃よりも、冷めている。
子どもができてからは、尚更だ。
夫を「第一優先」できなくなってしまったことが、いちばん大きい壁かもしれない。
・「親友になればいい」とおもっていた。
愛が冷めた後の夫婦は、どんな関係を目指せばいいのか。
わたしは「親友になればいい」と考えていた。
わたしと夫は同い年だ。
性格や趣味も、わりと重なる。
長男と長女なので、なんとなく家族での立ち位置にも理解がある。
お互いの両親が、あまり干渉してこないタイプの家なのも、似ている。
長くいっしょにいればいるほどに、親しい「友」のように感じてくる。
まとう雰囲気、おなじ価値観。
なんでも言い合える。
いっしょにバカみたいなこともして、笑ったり、時に泣いたり。
わたしたちは、「親友」。
そのことがとても居心地よくて、ずっとこのままでいたいとおもっていた。
でも、子どもができて、変わった。
価値観の「ズレ」が生まれ始めた。
価値観が急激に変わったのは、わたしだ。
子育てに向き合って、あらゆることへの意識も態度も変わった。
夫も変わったが、差は歴然だ。
そしてその「ズレ」が、なぜか妙に気にさわり始めた。
自分だけが、変わっていっている。
自分だけが、「変化」を迫られている。
そのことに、怒りのような、諦めのような、どうしようもない感情があふれ出してくる。
このままでは、まずい。
このままだと、夫と「夫婦」でいることに、疑問を抱いてしまう。
そんなのいやだ。
「夫婦」でいたい。
でも、「親友」のような関係を目指すなら、「夫婦」でいる必要ないじゃんか。
そんな思いが、心の底にふつふつと溜まった。
・わかりあうより、「応援し合う」。
ヒントをくれたのは、一田憲子さんのブログだ。
「夫婦」について考えたいとき、よく一田憲子さんのブログや書籍を読む。
『くらしのおへそ』や『大人になったら着たい服』の一田憲子さん。
ブログの中で、「夫婦」のあり方について数名にインタビューをし、聞いた「本音」を連載記事にまとめておられる。
愛が冷めた後の夫婦のあり方について、みんなどんなふうに思っているんだろう。
そんなことを考えながら、7人の方の「本音」を読んだ。
そのなかの、鈴木尚子さんの考え方に、電流がビビッと走った。
鈴木さんいわく。
愛が冷めたあとの夫婦のあり方は、「応援団」だという。
夫婦として、おなじ価値観でなくても、おなじ方を向いていなくてもいい。
ひとつ屋根のしたに、ふたつの価値観が並んでいていい。
夫婦には、それぞれのやりたいことがあって、考え方がある。
夫婦だからと言って、すべてを分かり合えなくてもいい。
鈴木尚子さんは、夫との関係の変化をこんなふうに語っている。
鈴木さんご夫妻は、ずっと価値観がおなじほうを向かなかったそうだ。
それについて悩まれることも多かったようだが、鈴木さんご自身の病気経験などから、「それぞれが、自分の人生を楽しむこと」を大切に思うようになったという。
一田さんも書いておられたが。
「夫婦」として長い年月をともにすると、つい相手に対して「全てわかってくれよ!」と、必要以上の期待をかけてしまう。
それは愛ゆえになのだが、しょせん、夫婦といえど「他人」である。
相手に自分の全てを理解してもらうなんて、絶対に無理なのだ。
だったら、期待しない。
相手「だけ」に、すべてを望まない。
それは、一見冷たい関係にも思えるが、実はすごく健全な距離感だ。
だって、一生パートナー「だけ」と過ごすわけではないのだから。
ほかにも、たくさんの「分かってくれる」人がいるのだから。
そのうえで、相手のやりたいことを「応援」する。
愛するひとががんばる姿、人生を楽しむ姿を、フィールドの外からそっと見守る。
ちがう場所から、「がんばれ~」と声援をおくる。
それが、鈴木尚子さんの言う、”夫婦で「応援しあう」関係”。
「親友」止まりだったわたしの「夫婦のあり方」に、ストンと落ち着く納得の答えがこれだった。
「夫婦は、互いの応援団」だったのか。
そんな夫婦に、わたしもなりたい。
・「応援団」でもあり、「親友」でもありたい。
それでも、わたしは欲張りなので、「親友」のような関係も捨てきれない。
だから、これからは「応援団」にもなれるし、「親友」にもなれる関係を目指していきたいとおもっている。
夫はもうすぐ、新しいことに挑戦する。
ずっと夫がしたかったことだ。
わたしはそれを、「応援」したい。
たとえ、自分が忙しくなっても。
夫のランニング習慣もそうだ。
夫が、仕事終わりにランニングをすることは、わたしの夕方の家事育児の負担を増やすことになる。
それでも、「応援」したいと心からおもう。
それはやっぱり「夫婦」だからだし、夫のことを「愛している」から。
そして、たまにはテレビでも見て笑いあったり、おなじ音楽を聴いて感想を言い合ったり、変なダンスを踊りあったりする、「親友」でもありたい。
夫となら、なれるはずだ。
あの頃の「愛」は冷めてしまっても、わたしたちはまだまだ、すばらしい関係を築いていける。
よかった。
なんだかこれからが、楽しみになる。
*
ちなみに。
記事のなかで紹介した一田憲子さんの連載企画『夫婦ってなあに?』は、書籍『ムカついても、やっぱり夫婦で生きていく』にまとめられている。
昔、べつの記事でもすこし紹介した、おすすめの一冊。
さまざまな「夫婦」のあり方が知りたければ、ぜひぜひ。