精神疾患と死にたい
私が死にたいと口にすると
「死んだらダメだよ」
「死なないで」
と言われる。
めっちゃありがたい、ありがたいのだが
例えば全身癌に侵されてもう良くなる見込みはなくて
毎日モルヒネを入れられてそれでも全身痛くて
毎日ベッドの上で受け続ける苦痛に耐えきれず
「もうラクになりたい」
と訴える患者にも
みんなは同じことを言うだろうか?
事故で全身火傷を負って、痛み止めも効かなくて、
爛れた皮膚が痛くて辛くて、見ているだけで痛々しくて、
そんな人が言う
「もう死にたい」
はきっとみんな許すでしょ?
同じなのだが……
確かに私の痛みは目に見えない
他人に伝わりにくい
心が苦しくて、苦し過ぎて身体まで痛くなって
喉の奥と背中が苦しい、呼吸も苦しくて、脳が痛くて、辛くて辛くて
希望も持てなくて、寛解する見込みも見えなくて
それを私は4年間味わい続けている
ラクになりたいよ、もう辛いのも痛いのも嫌だよ
なんで毎日拷問のような痛みを勝手に受け続けるこの脳から、この体から解放されるのを望んではいけないの?
なんでいつ治るかもわからない
これからも辛いことが沢山起きるであろうこの人生を
終わらせたいと願ってはいけないの?
なんで死ぬなんて言っちゃダメなの
なんで死ぬなんて考えちゃダメなの
なんで死んだらダメなの?
これを聞いてもみんな正確な答えは出せない
「死んじゃダメだから」
「死んでいい命なんてない」
「死なないで欲しいから」
「そんなこと考えちゃダメだ」
それは私のこの痛みに対する答えにはなっていない
でも、でもさ、
実は私は、それでも死なないでと言ってくれるのは嬉しかったりする
正確には
「君が死んだら私は悲しい」
「私はこれからも君と一緒にいたいよ」
とかが、とてもとても嬉しかったりする
私が死んだら悲しいんだ、これからも一緒にいたいと思ってくれてるんだ
私は君にとって少なからず価値があって
君にとって生きてて欲しい程には大切なんだと
その言葉はただの
「死んじゃダメだから死んじゃダメ」
とは全く違う
「私のエゴだけど私は君とこれからもいたいからどうか生きててよ」
という願いで、私への思いだ。
それを聞くと、まぁ苦しみが治ることはないんだけど
それでも救われる部分はある。
私の苦しみをわかって欲しい
私は死んで解放されたいくらいには今辛いんだ
それを理解した上で
それでも私のエゴだけど生きててほしい
と言われるなら、苦しくても生きている価値はあるんだなと思える。
私は生きていても良いんだなと思える。
今日も私は苦しくて苦しくて死にたい
生きてる意味も希望も見出せない。
それでも君が私と生きたいと思ってくれるなら
私がいなくなったら悲しいと言ってくれるなら
私はこの痛みにもう少し耐えようかなと思えるよ。
これを読んでる君が死んだら私は悲しいよ
だからどうか、私のエゴだけど、君も死なないでいてほしい
一緒に、この地獄で、生きて欲しい