大槻ケンヂ氏の連載を読んだことから始まる自分語り
※特定の層の人や音楽やグループを非難する意図はありません。念の為。
大槻ケンヂ氏の連載「今のことしか書かないで」第2回を読みました。
「結局これなんだよなー」と思いました。まる。
個人的に、あたらしい音楽や新進気鋭のアーティスト、バンドがバズる度に、インターネットのロック界隈では「これはロックなのか?ポップスなのか?」という議論が巻き起こっていた印象があります。
私がゴリゴリのロキノン系だった10代の頃、同じジャンルの音楽を愛するクラスタの皆さんは、程度の差こそあれ、特定の雑誌によく掲載されているバンドの音楽をこよなく愛するあまり、流行りの音楽(彼らの言葉で言う「JPOP」)を唾棄する風潮が強くありました。中には日々強い口調で「JPOP」を非難する人がいたり、「打ち込みで歌ってたらロックじゃないけど自分で演奏して歌ってるならロック」とかいうよく分からない自分基準でジャンル分けする猛者もいました。
しかしながらロックかロックじゃないかというのは判断が難しいというか。
かつて椎名林檎氏は「ロックであるとかないとか言ってるアンタが一番ロックじゃねえんだよ」という名言を残しましたし、「2人組音楽ユニット」と表現されがちなポルノグラフィティは3人だった頃から「自分たちはロックバンドだ」と主張しているし、かと思えばこっちでモーモールルギャバンは「僕達はJPOPをやってます」とパンイチで叫んでいる。
当時アイドルとしては珍しくロックフェスへ出演したPerfumeも随分話題になりましたし、ももいろクローバーZもロックかロックじゃないかの議論になっていた記憶があります。
ロックかロックでないかというのは、世の中によくある、「いち個人が基準を決められるもんじゃないけど自分で判断してね」というフワッとした線引きを求められるもののひとつなのでしょう。
その中で、自分の好きなバンドが「ロックである」と主張し流行りの音楽を非難する人たちの中には、ある種の選民思想って言ったらアレですけど、「誰にも理解されない音楽が好きな自分」までワンパッケージで愛していた印象です。(それが悪いってことじゃないです)(私もそうだったし)
当時の我々にとって「流行りのポップスではなく、ロックが好き」というのはアイデンティティの根幹に関わる問題だった訳で、それが日夜何がロックで何がロックじゃないのかの議論に繋がると思うんですけども。
少なくとも当時の我々が、各々の好きなバンドがライブでチェキ売り始めたら「そんなのロックじゃない!」とか言って深夜にツイート連投してたんでしょうけど、文中にあるように、
結局こういうことなんですよね。
深夜にTwitterで「チェキなんてロックじゃない!」って大騒ぎしたって、好きなバンドのメンバーのチェキとかあったら買っちゃう生き物なんですよ我々って。
私「永遠に藤井風聴いてる」だの「Vaundyめっちゃいい」だの「紫今って良くね?」だの言ってるんですけど、10代の頃「一生ギターロックしか聴かねえ」とか思ってた私が今の私を見たら憤りのあまり血管切れて死にそうだなとか思う今日この頃。
ずっと好きな音楽があるのはもちろんいいことですし、私にもずっと好きな音楽がありますが、「ロックだろうとアイドルだろうと好きなら好きでいいじゃない」と思えるようになったので、私ったら大人になったなー。という自分語りでした。まる。
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