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太田光には「救われない」
太田光が「救い」だった。
爆笑問題と出会ったのは1997年。中学1年の時。
書籍・日本原論だった。
90年代の爆笑問題の時事ネタが詰まっていた。当時としても危ないギリギリの内容で、特に印象的だったのは阪神大震災ネタ。被災者にカップラーメンのCM「Are You Hungry?」を見せるという、、、読んだとき、初めて芸人のネタで声を上げて笑った。悲しい災害も、事件も、事故も——笑い飛ばしていいんだ。大袈裟だが視界が開けた気がした。
「こんなに面白い人がいるんだ」と素直に思った。何度も何度も読み返して笑った。
今これやったら活動休止だろうね。良いか悪いかは置いといて、そんなギリギリの笑いが、僕には救いだった。
初めて芸人さんの、、、と書いたが、斜めに構えて芸人を論評する生意気な中学生だったわけじゃない。小学生から中学生の1年か2年生くらいまで、我が家ではテレビの視聴時間が厳しく管理されていた。確か小学校6年生までは1週間で1時間、中学に上がっても1時間〜2時間くらいだった気がする。特段、教育熱心というわけでも毒親でもなかったが、なぜかテレビ時間だけ厳しかった。
学校で話題になっていた『ボキャブラ天国』や『ごっつええ感じ』、『HEY!HEY!HEY!』には全くついていけなかった。(これらの番組が同時期にやってたものなのかも分からない)
貴重な1時間は幽遊白書やスラムダンク、忍空といったアニメに使っていたので芸人のことは全く知らないままだった。
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免疫がない状態で出会った日本言論。文化、カルチャーといっていいのからは分からないが「お笑い」と「本」のファーストコンタクトだった。
ラジオ
テレビがあまり見れなかった時代、流行りの情報源はラジオだった。二段ベットの下で眠る兄が毎日ラジオをつけていた。最初はカウントダウン50という音楽番組だった気がする。
爆笑問題がラジオをやっている。兄から教えてもらい、親父の古いラジカセをもらった。火曜深夜1時。ラジカセをベッドに持ち込み貪るように聞いた。大抵は2時くらいまで聞いて寝落ちしてたと思うけど。
中学2年くらいだったかな。爆笑問題のラジオでとあるコーナーが放送されたんだ。
「太田はこれを読んだ」
太田が読んだ本を紹介するというただそれだけのコーナー。出会いが書籍だったし、大好きな太田が好きな本ならきっと面白いに違いない。全部メモをとるつもりでベッドにペンとノートを持ち込んだ。
一冊目。確か「まずはこのへんから言っとくかな」という太田の入りからだったと思う。
恩田陸「Q&A」
これからあなたに幾つかの質問をします。
ここで話したことが外に出ることはありません――。
2002年2月11日(祝)午後2時過ぎ、都内郊外の大型商業施設において重大死傷事故発生。死者69名、負傷者116名。未だ事故原因を特定できず――。次々に招喚される大量の被害者、目撃者。しかし食い違う証言。店内のビデオに写っていたものは?
立ちこめた謎の臭いは? ぬいぐるみを引きながら歩いてた少女の姿は? はたして、これは事件なのか、それとも単なる事故か? 謎が謎を呼ぶ恩田陸ワールドの真骨頂!
翌日。学校終わりに地元の本屋に向かうが取り扱いがなく、自転車で30分ほど行ったパルコ地下の書店でようやく買うことができた。
インタビュー形式で物語が進んでいく、当時の僕から見るとかなり変わった作風だった。事件のネタバラシ、ではなく、事件が周囲の人に与えた影響やトラウマに焦点を当てたようなストーリー。いつかまたこの本の紹介もしたいが、「Q&A」から今に至るまで、ほぼ全ての単行本を買い読んでいる唯一の作家が恩田陸となった。
中学時代の僕は捻くれていた。まともに部活もせず、勉強もしない。漫画やアニメ、音楽にだけやたら詳しい。クラスのお調子者を下に見る。
嫌なやつだ。
太田光も高校時代は友達がおらず、誰とも会話をしない学生だったそうだ。
それでもあんな明るい場所に立てる。
太田光は救いだった。
太田光が影響を受けたものは全部見よう。読もう。
自分が救われるにはそれしかない。本当にそう思った。
ダウンタウン、伊集院光、くりいむしちゅー、村上春樹、宮部みゆき
爆笑問題を経て、多くの芸人に触れるようになった。高校になるとテレビの条件は緩和、といかほぼ無くなり、いくら見ても怒られることはなくなった。TSUTAYAでDVDを借りることも覚えたので、ごっつええ感じのコントにもすっかりハマった。こんな面白いテレビがやってたのか。
ラジオも爆笑問題から伊集院光、極楽とんぼ、雨上がり決死隊を聴くようになった。大学時代は爆笑問題の裏番組、くりいむしちゅーのオールナイトニッポンがお気に入りだった。
小説も1ヶ月に一冊くらいは読んでたかな。恩田陸以外では村上春樹、宮部みゆき、柳美里とか。有名な人ばかりだけど。
村上春樹以外は女性作家が多かったかもしれない。理由は分からない。
多感な時代、皆様と同じく映画や音楽、サブカルチャー的なものにも目覚めて、単館映画を見はじめた。エヴァも確か高校生くらいかな。初めてみたの。今考えるとちょっと遅いのかも。テレビ禁止するのは教育上よくないのではないか。厨二病が高校生でくるぞ。
太田光から離れた
無邪気に爆笑問題を追いかけていた中学は良かった。へんに物を覚えた高校から大学時代。爆笑問題があまり好きではなくなった。嫌いになったわけじゃないけど、好きじゃなかった。
遅れてきた厨二病なのか、単に勉強ができない言い訳なのか、すっかり物事を斜めに見る癖がついてしまった。漫画やアニメの舞台背景を理解できないやつはアホ。ハリウッドとかバカが見るものだろ。みたいな脳みそになっていた。
だけど、爆笑問題は今も昔もあくまで「大衆」に向かっていた。
斜に構えた見方を徹底的に否定して、ヒットしているもの、そしてそれを楽しむ人を肯定していたように思う。そもそもチャップリンや黒沢、サザンが好きな人だしね。
太田上田で(だからこれは結構最近の話)テレビ関係者の「テレビの今後」みたいな話をすごく嫌ってたのを思い出す。
「そもそもテレビなんて疲れたサラリーマンが帰ってビール飲みながら、またバカなことやってるなって思ってもらえたらいい。そんな高尚のものじゃない(意訳)」
https://youtu.be/eruD2nr_SSc?si=lkVqL-Iziez-p56K
「笑わせていると笑われているは違う」なんて言うけど、太田にとってはどっちでもいいのかもしれない。笑ってくれれば。
当時の僕はとにかく笑われたくないし、舐められたくない。太田光の言葉は僕には届かなくなっていた。いや、痛かったから遠ざけていたのかもしれない。
時はたち、私も大人になりました。
30も後半になり家族も持った。ピクサー大好きだし、マーベルも大好き。大人になりました。
日本言論からはや28年。もう30年近く経つのか。
2023年。太田光は「笑って人類」という小説を書き下ろした。
“マスターズ和平会議”はテロ国家共同体ティグロ代表・ブルタウにより破壊された。会議に遅刻し、世界に恥を晒したピースランド首相・富士見はマスコミから糾弾され、デモ隊から生卵をぶつけられ、支持率は地に落ちた。しかし彼は会議を再開するべく、フロンティア合衆国の大統領代理・アンに想いを込めた手紙を送る。富士見を取り巻く桜を始めとした個性のキツイ秘書たちと、アンと彼女を支える国務長官・ダイアナは、武器ではなく「言葉の力」で、どんな国のどんな立場の人間も置き去りにせず、世界を一つにしようとする。しかし、両親をテロで亡くしたアンには、ある秘密があった――。
あらすじをご覧ください。なんとも大衆に向けの本だ。
主人公の富士見は総理だが、親の七光で総理大臣まで上り詰めた小市民。短気で口が悪く、頭もよくない。
しかし、そんな富士見が世界の危機に立ちむかう。SFでありコメディあり、コントのようでもある。
感情の起伏が、物語の起伏が激しい。読む人が読めばわかるではなく、万人が楽しめる小説。登場人物は多いが、一番はじめに肩書きや人となりが簡単にまとめれているので、混乱したら戻ればいい。すぐ誰がどのポジションの人なのか理解できる。
徹頭徹尾。エンターテイメントのど真ん中。
こざかしい理屈も小難しい考察もいらない。そんな一冊だ。
私も年をとりさまざまなエンタメに触れてしまった。大衆エンタメの良さに気づいてきたし、むしろ今はそれしか見ないし聞かない。けど、やっぱり「俺わかってる感」も好きなんだよな。フランス人が書いたような。村上春樹の言葉に隠された社会性とか。
太田さんの言葉は今の僕を救いません。爆笑問題は初期衝動で、もうそんな年じゃないから。
大人になりました。
笑って人類。面白かったです。