新緑よりも好きなもの
今年の4月からnoteを使い始めて、あっという間に5月に入ってしまった。
前の記事で書いたように、私は日々の暮らしの中で目に留まる花々になるべく注意を向けたいと思っている。
が、5月は何と言っても新緑である。
この時期、よく晴れた日に新緑の森林に分け入って木々の葉の間から差し込む日の光に目を細めながら誰もいない小道を歩くことほど気持ちの良いことはない。
また、そうして眺める新緑の木々は圧倒的に美しい。日毎に高まる光を受けて生まれる複雑な陰影、青々と瑞々しい若葉の向こうみずな力強さ、成長の余地を十二分に残した線の細さ、視覚に訴える全てが生命の躍動に満ち溢れ、文字通り光り輝いている。この漲る命に対峙する高揚感たるや、満開のソメイヨシノなど比べ物にならない。
あまりに美しいものだから、新緑の葉っぱが美しいのか、葉っぱに反射する光が美しいのか、それを捉える私の目が美しいのか、美しいと感じる私の心が美しいのか、何が何だか分からなくなるくらいに目と心を奪われる。
だがしかし、近頃の私を惹きつけてやまないものが、新緑の前に訪れる一時期の植物の姿である。
木々が冬を越し、種によっては先に花が咲き、新芽が芽吹き、育ち、新しい葉を形成するその時、最も新しく成長してきた葉は未だ緑ではなく、赤いのだ。
落葉樹に限らず、南天のような常緑樹でも新たに生まれて来た葉は仄かに、赤い。
新緑の若葉にすらなる前の、言わば「葉っぱの赤ちゃん」なのだ。
毎年写真を撮り損ねるが、我が家のベランダに植わっている紅梅は、花が終わると一斉に真っ赤な新葉が生え始めるので、二度目のお花見のようで嬉しい気分になる。
この梅が私に葉っぱの赤ちゃんを知らせてくれた張本人なのだが、枯れたような墨色の幹の中に漲る生命の脈動が聴こえてくるようで、そして新たに何かが始まる、という予感に満ちた心地よい緊張をもたらしてくれるので、何なら花より楽しみにしている位なのだ。
あまり人に話したことのない嗜好だが、大して共感は求められないだろうと思う。
もし同じように感じたことのある人がいれば、嬉しい。
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