10年勤めた会社を辞めて独立した理由〜1
※画像は本文の内容と関係ありません
さよならは突然に
noteでもYouTubeでも何でも、SNSを利用する際に最も大切なことが「投稿を続けること」だと言われる。私は生来飽きっぽい方で、仕事でも勉強でも人間関係でも、じっくり粘り強く向き合うということが苦手だ。
少し面倒なことがあると、途端にやる気が失せ、途中で投げ出してしまう。
そんな私だが、noteを始めてからすぐに長期のブランクを空けてしまったのには別の理由がある。勤めていた会社を退職する、という人生の大きな節目に直面していたのだ。生活が激変する中でSNSからは遠のいていたが、退職して既に2ヶ月ほどが経った今、ようやく新しい記事を投稿する気になったので、再び時を刻んで行こうと思う。
京都の老舗呉服店に勤めて
少しだけ、私が勤めていた会社の話をしよう。
大学卒業後、初めての就職に失敗した私は、長らくアルバイト生活を送っていたが、20代の後半にようやっと就職したのが、京都で100年以上続く老舗の呉服店だった。
ちなみに私はいわゆる「京都人」ではない。他府県で生まれ育ち、父親は九州、母親は南紀の出身だ。地元に馴染めず家を離れたくて、大学に入る時に一人暮らしをさせてもらったのが、ここ京都だ。
親は公務員で取り立ててお金持ちという訳でもなかったので、呉服とか着物には全く縁の無い生活を送って来た。京都の大学に通っていても、それで和の生活に目覚めるという風なことは無かった。当然のごとく成人式もリクルートスーツで参列した。
それがどうした運命の巡り合わせか、京都のど真ん中で着物を作り、販売する仕事に就くことになった。自分でも強く志向した訳ではない。どこかに就職する必要はあったが、それが呉服屋である必要は無かった。ただ、私を面接した当時の社長の熱意と迫力に導かれるようにして、この道に入ることを決めたのだ。
当時も今も、自分に自信の無い私だが、2013年の晩秋、面接に訪れたのは江戸時代に建てられたという京町家。有名な「鰻の寝床」の最奥に通され、いかにも伝統を墨守する姿勢を誇示しているかのような佇まいの店に、自分の存在が全く似合わない気がして「これは受ける会社を間違えたかな…」と思い始めていた。
広い応接室で人事担当の社員と役員に肩通りの自己紹介を行い、会社の業務についても質疑応答した気がするが、全く記憶に残っていない。これは採用なのか不採用なのか、担当者の様子から手応えを掴みかねていると、不意に奥の扉が開き、社長が入室してきた。
おそらくその段取りは予定されておらず、担当の二人は戸惑っている様子だった。それには構わず、社長は上座の椅子に腰掛けるなり、私の目を見てこう言った。
「僕は0コンマ3秒で君が信頼に値する人物だと見抜いた。後は君のやる気次第。うちで働く気があるならすぐに来なさい。」
それだけだった。だが私にとってはそれだけで十分だった。そのまますぐに退席するはずはなく、何か二言三言は会話をした筈だが、思い出せない。担当社員から事務的な手続きの説明を受けて、その日は帰ったのだと思う。
そこから私の呉服屋社員としてのキャリアが始まった。
一般的な呉服店とは異なり、自社で白生地を仕入れて商品をデザインし、専門の職人に指示を出してオリジナル商品を作り、そのまま消費者に販売するという形態を取っていたため、着物を「作る」ことと「売る」ことについての両方を学ぶことが出来た。
着物が好きな方には良く分かってもらえると思うが、着物の世界はとにかく専門用語・古い言葉や概念が多く、新しく覚えなければならない知識が山ほどあり、それをある程度クリアしなければ業界の中で会話すらままならない。それはそれで大変な事ではあったが、自分が期待されていると思うと苦では無かった。
むしろ、これまで身近に存在しながら気づかずにいた世界について知ることは楽しく、私の内面を豊かにしてくれた。何よりもまず、何も無い自分を直感で受け入れ、期待し、雇用してくれる人に対して、自分も無条件に応えたかった。
生まれて初めて、生涯を捧げられる仕事、職場を見つけたと思った。自分はここに骨を埋めるのだと、その時は確かに思っていた。