伐られた木々や、住処を追われた生き物たちに想いを寄せて。ウソつきな自分と向き合う。
木を切り、山を切り崩して、大きな構造物をつくる準備段階の、とある空間。
谷あいは、ところどころ、山の地肌が見え、そこを鋼材で出来た架設桟橋なるものが、高さを変えながら、ぐるりと通っていきます。
鉄板で出来ている道は、真夏の太陽で熱せられ、触れれば、火傷しそうなくらい熱く、そこにただよう空氣は、どんよりとして、あまり動きがありません。
その灼熱の道から、抜け出し、昔からある、木々の生い茂る、斜面に面した車道に出ると、空氣が一変します。
気温もあきらかに低く、爽やかな空氣、時折心地よい風も吹いてきます。
こんなにも違うのです。
やっぱり、木々があるところは涼しく、氣持ちがいいのです。
『森林の枝や葉は日光を遮断し、森林内の温度が上昇するのを 防ぐとともに、根から吸い上げた水分を葉から大気中に蒸発させる、蒸散(じょうさん)という、気化熱によって森林内は涼しくなります。』
木々の効用は、他にもたくさんあります。
それでも、人間は、様々な理由で、木々を伐ります。
生き物たちを追い出し、山も削ったりします。
伐らないでって、言いたいです。
壊さないでって、言いたいです。
でも言えないのです。
だって、その伐採などの上に成り立っている、さまざまな便利さを、当然のごとく、享受している自分がいるのですから。
さらには、造る側、伐採する側から、お仕事を頂いてもいます。
でも、こんなに伐らないで、壊さないでって、思う自分も本当です。
矛盾していて、
行動の伴わない自分。
もやもやと、整理のつかない感情が、くすぶります。
大きい構造物を見たりすると、思い出す詩が、この時も、頭に浮かびます。
まど・みちおさんの
“あの橋をつくったのは”
りっぱな橋ができあがった
三年かかって、なん万人の人が働いて・・・
「あの橋をつくったのは私だ!」と
大臣がいった
大臣の部下のえらい役人がいった
設計した人がいった
・・・
と、つくったと思っている人々の羅列が続き、そして、最後はこう締めくくられます。
・・・
ほんとに橋をつくってる
自然の法則と材料たちと
ほんとに金を出している国民と
三年の時間だけは だまっていた
という詩。
橋を、今回の構造物に読み替えてみる。
まだまだ出来ていないけど。
言うことすら出来なくなっている存在がいることを思いながら。
自宅へ戻って、詩集、『人間のうた』を引っ張り出します。
ぱらぱらと目を通し、あとがき、まで、あらためて読み返してみました。
あとがき
(前略)
たくさんの紙を使ってこんな詩集を出すよりも、それだけの紙をもとの緑の木のままで自然にのこしておいた方が、たぶん幸せだったろうと思います。その木にとってはむろんのこと、私たち人間にとっても、地球自身にとっても・・・。
私はたしかにそう思うのですが、しかし本当にそう思う私なら、この本を出さなかったはずです。
出してしまってそう思うといっても、ウソをついている証拠にしかなりません。
(中略)
私はこんなにして、ウソつきの自分をあきらめないで、少しでも正直者になろうと思いながら、これからも詩を書きつづけていくことでしょう。
『ウソつきの自分をあきらめないで、少しでも正直者になろうと思いながら、、』
この言葉。
まどさんの真摯な姿勢とは、質も次元も違うと、一蹴されてしまいそうですが、
それでも、
ウソつきだけど、あきらめず、
少しでも、正直者に、
を、心に刻んで、、。
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