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OES探偵クラブ

#創作大賞2023


第1話 OES探偵クラブ集結!

小説家は推理もできる? 同僚の依頼人がやってきた

私の名前は皆川小巻(みながわこまき)。エレベーターメンテナンスを行う株式会社OESの経営企画部で働く派遣社員だ。
この会社で働き始めてから、今年で丸5年目を迎える。
30歳といってもまだまだ女性を捨ててはいない。
小食でお酒も飲まないのに、ぽっちゃり体型が気になるお年頃だ。
おそらく母の遺伝なのだろうと思い聞いてみたが、「少しふっくらしていた方が女性らしくていいと思うけど。ダイエットしてギスギスに痩せているよりはよっぽど魅力的よ」と言われて、話はおしまいになった。
小学校を卒業して以来、髪の毛を伸ばしたことがないのは、少しでも体重を軽く見せたいという、私なりの努力なのだが、このことは私だけの秘密だ。

そんな私は、東京都足立区北千住の実家で、父、母、大学生の弟の4人で暮らしをしている。
派遣社員で自立している人も大勢いるが、家賃、水道光熱費、通信費、食費など最低限必要な出費を計算したら、お小遣いや趣味や貯蓄に回せる部分はほとんどないことが分かった。
それに比べて、実家暮らしは最高だ。母に生活費として給料の半分を差し出せば、家賃は不要、食事と飲み物付き、洗濯や掃除もしてもらえる。残りのお金は貯金や趣味で使いたい放題だ。こんな幸せなことはない。
実は正社員になれる就職先もあったのだが、給料が安くなることは承知の上で、あえて派遣社員を選んだ、それにはちゃんとした理由がある。小説を書くために、残業をせずに定時で上がりたいから。時間とお金を天秤にかけて、私は時間をとった。
今年こそは新人賞をとってみせる、と思い続けて早8年目。小説家になり、いずれは派遣社員生活から卒業してみせる。

ところが、OESで勤める派遣社員が集まってランチをしていたとき、なぜ派遣社員を選んだのかひとりずつ話そうということになってしまった。私は小説家志望で推理小説を書くためと話したところ、『推理小説の小説家』イコール『謎解きが得意な探偵みたいな人』と思われてしまったらしく、噂に尾ひれがついて、『会社の事件を解決する派遣社員探偵』という、実績のない怪しい肩書がつけられてしまった。
実際に怪事件に出くわしたこともなければ、それを解決した経験もないが、面倒なのでそのまま放置していたら、いつの間にか社内に広まってしまった。偽の肩書だけがピカピカ光る。嘘をついたわけではないのだが、結果的に嘘をついたようになってしまった。そして、その明りから目を背けて暮らしている。

そんなちょっとこじらせている私の、良き先輩であり、第2の母であり、旧知の友のような存在なのが、同じく経営企画部で働く派遣社員仲間の杉本清美(すぎもときよみ)さんだ。
彼女は御年50歳。
一人息子はすでに社会人になっていて、去年夫とも離婚したばかりだ。
離婚の財産分与でもらった品川にあるマンションで、悠々自適な生活を送っている。
趣味は、お遍路で、毎年恒例で四十八か所巡りをしているという。
「45歳過ぎたら足腰鍛えなきゃだめよ」というのが彼女の口癖で、毎日マラソンを5キロ走ってから出勤してくる。
やせ型なのは毎日の運動の成果なのかもしれない。あやかりたいが、早起きして運動するという習慣は、一長一短では身に付きそうもなかった。
清美さんは長身でお肌の艶も良く、とても50歳には見えない美貌の持ち主だ。
一方で、「もう男はこりごり」というのが彼女の2番目の口癖だ。

経営企画部のメンバーは、ほかに、砂田健吾(すなだけんご)部長を筆頭に、小巻と清美の直属の上司にあたる佐藤哲晴(さとうてつはる)課長と、小巻と同じく入社5年目の社員、織田優斗(おだゆうと)君がいる。
経営企画部といえば、CEO直下で、会社の心臓部にあたる重要な役割を果たす部署だが、平常時はルーティン業務が多い。派遣社員と一緒に社員も定時に上がれることがある。
そういうときは、砂田部長のおごりで、みんなで美味しいものを食べに行ったり、お酒を飲みに行ったりすることもしばしばだ。
そんなアットホームな雰囲気のなか、今日も平穏に仕事をしている小巻のもとに、とうとう現れてしまったのだ。『会社の事件を解決する派遣社員探偵』に初めての依頼人が。

ミルクティー泥棒を追え

依頼人は総務部の羽田恵梨香さん。29歳独身だ。
同じ派遣社員で、フロアも同じで、年齢も近く仲が良い。業務上でも話をする機会が多い。
いつも場を和ませながら颯爽と仕事をこなす素敵な女性だが、今日はいつもと違って、神妙な面持ちでやってきた。
「ちょっと今話してもいい? 相談があるのだけど」
そう言うと、この場ではなんだからと、小会議室に連れて行かれた。
「小巻に相談があるんだけど、私のミルクティーが毎日盗まれるの」
「えっと。ミルクティー?」
「そうなの。毎朝買ってきて冷蔵庫に入れているのに、お昼休みに飲もうとすると無くなってしまっていて」
「はあ」
「最初は名前を書いてないから、間違えて飲んじゃったのかなと思って。それからは名前を書くようにしたのだけど、それでも盗まれてしまう。もう1か月近く続いている。グスッ」
彼女は涙ながらに訴えた。
「それはご愁傷様。1か月も立て続けに飲み物が盗まれるなんてひどい話だね。」
「でしょ? 私、かわいそうだよね。派遣社員で、ただでさえ少ないお給料からやりくりして買ってきているのに。『ありがとう』って言われても許せない!」
恵梨香さんの怒りがエスカレートしていくのを、小巻はなだめながら、
「それで犯人に心当たりはないの?」
「冷蔵庫は給湯室の中にあって、死角になっている場所なんだよね。しかも隣に喫煙室もあるし。あの近辺は人の出入りが多くって」
「確かに。人の出入りが多くて候補を絞り込みづらいね。あと、冷蔵庫の中には、アイスコーヒーやアイス緑茶やミネラルウォーターみたいに、会社が用意してくれて、自由に飲んでいい飲みものも入っているし」
「そうなの。そういう飲み物を取りに行く人もいるから、結局、ほぼ全員があの給湯室に出入りしている感じでしょ?」
「それはなかなかの難問だね。ずっと冷蔵庫の前に張り付いているわけにもいかないし」
「それで私調べてみたの」
「何を?」
「何時ごろ盗られているのか知りたくて、お昼休みに入る前に一度ゴミの回収があるから、その前のタイミングを狙って給湯室のゴミ箱を見てみたの」
「それでどうだった?」
「ゴミで捨てられていた! つまり、犯人は11時のゴミの回収がくる前に盗んでいるみたい。私がお昼休みになってミルクティーがないことに気づいても、すでに証拠が隠滅されちゃっているわけよね。
でね、今日は11時前に証拠品を回収して、このビニール袋にいれて保管してあるの。ここから指紋ってとれる?」
「ちょっとそういうのはやっていないけど……」
苦笑いする私に、恵梨香さんはビニール袋に入ったペットボトルを差し出した。
「どうかこれで犯人を捕まえてください。よろしくお願いします」
かわいそうだし何とかしてあげたい気持ちはやまやまなんだけど、私、きっと探偵の素質ないと思う……。と思いつつ、結局引き受けてしまった。はあ、我ながら煮え切らない性格。
「了解! でも見つからないかもしれないから、あまり期待しないで待っていてね」
「ありがとう。絶対に犯人見つけてね、小巻!」
期待のこもった、潤んだ目。見つからなかったではすまされそうにもない。
「じゃあ、ペットボトル預かるね」

恵梨香さんが席に戻ったあと、小巻は、ガラス張りの会議室で立ち上がり、清美さんに向かって手招きした。そして、今の話の一部始終を伝えた。
「頼まれたら断れない性格。小巻らしいわ(笑)」
「そうなのです。自分でも嫌になるのだけど、困っている人から頼まれると、任せてって言っちゃうの。ハハハ」
「仕方ないから、私も手伝ってあげる。それでその空のペットボトルはどんな感じだったの?」
私は手に持っていたペットボトルが入ったビニール袋を、清美さんに差し出した。
「これです。飲み口に口紅はついていないし、よく見たけど口紅をふき取った跡も残ってなさそうだから、犯人は男性だと思う」
「たしかに男性の可能性が高そうだね。でもこの会社の7割は男性だから、それだけで対象を絞るのは難しそうだけど。ほかにヒントはある?」
「時間がたっているのだけど、ビニール袋からうっすらっとタバコの匂いしませんか?」
清美さんはビニール袋の匂いを嗅いで大きく頷く。
「うん、匂いする。恵梨香さんってタバコ吸わないよね?」
「おそらく。喫煙する人って洋服や髪の毛にもタバコの匂いが染みついているじゃないですが。でも恵梨香さんからタバコの匂いがしたことはないので、喫煙者じゃないですね」
「じゃあ、この匂いは犯人のものというわけだね。最近喫煙者も減ってきたし、だいぶ犯人を絞り込めそうだね?」
「はい。あと、このフロアの人だと思うんですよね。わざわざエレベーターに乗って、他のフロアの冷蔵庫開けないと思う」
「確かに。このフロアにいるのは、経理部、総務部、人事部、あと我々がいる経営企画部。この中で喫煙している男性を見つければ終わりじゃない?」
「意外と簡単に犯人が見つかりそうで良かったです! 私、給湯室やトイレに行く機会があったら、ついでに喫煙室にいる人をチェックしてみます。清美さんもついでのときに見てくれませんか?」
「オッケー。任せといて!」
ふう、とりあえずのめどはたった。
1週間以内に、簡単に犯人は見つけられるだろう。

ところが、1週間後。
「まだ犯人見つからなさそう?」
「そうなの……、ごめんね」
早期解決を予想していたのだが、犯人らしき人物は現れなかった。
私と清美さんの2人で交代で見張りをしていたものの、給湯室で長居している人はいなかった。もしかして喫煙所でミルクティーを飲んでいるのかとも思ったが、喫煙所では会社から支給されるアイスコーヒーを飲んでいる人ばかりだった。
あと1週間調査してまた報告すると恵梨香さんに伝えた。
そして、私たちの偵察ごっこは続いた。
交代で喫煙所や給湯室をのぞきに行ったが、いつの間にか冷蔵庫のミルクティーがなくなり、給湯室のゴミ箱に捨てられていた。

どうもこのまま犯人が捕まらなさそうな気もする。
そこで、冷蔵庫に貼り紙をしてはどうかというアイデアがでた。
『・冷蔵庫の中のアイスコーヒーやアイス緑茶が残り1本になったら、横の段ボールからもう1本出して冷やしておいてください。
・冷蔵庫の中に名前が書かれていな食べ物が入っています。1週間以上入っているものは、衛生上廃棄することにしたので、ご注意ください。
・冷蔵庫の中の私物を間違えて飲んでいる人がいます。会社の備品はアイスコーヒーとアイス緑茶だけです。それ以外のほかの人の飲み物を間違えて飲まないように注意してください。』
恵梨香さんが総務部の課長から承諾を受け、冷蔵庫に注意書きを張らせてもらった。
この貼り紙で、少しでも犯人にプレッシャーを与えられて、この事件が自然に収束するといいのだが。淡い期待を持った。
毎日のことで面倒かもしれないが、羽田さんには、飲み物になるべく目立つように名前を書いてもらうように頼んだ。これで事件が解決しますように。

ミルクティーは失恋の味

貼り紙をしてから1週間たったが、やはりミルクティー泥棒は毎日のように現れた。
私は、羽田さんと清美さんと3人でランチをしながら、作戦会議を練ることにした。
そこで出てきたに内容をまとてみた。
「まず、貼り紙をしたり、飲み物に名前を書いたりしても盗まれるということは、犯人はわざと恵梨香さんの飲み物を狙っているということになりますよね。ということは、犯人は恵梨香さんに対して恨みや悪意を持った人かもしれません。
何か思い当たる節はありませんか?」
恵梨香さんからは、会社では当たり障りなくみんなと接しているので、特に恨みを買うような覚えはないということだった。
このままでは犯人がつまらない。痺れを切らしが私は突飛な提案をしてみた。
「そうだ! 飲み物の中身をすり替えてみるというのはどうですか?」
私の突飛な提案に、恵梨香さんと清美さんはぽかんとしている。
「ミルクティーに塩を混ぜてみたらどうでしょうか?」
「ミルクティーに塩? どうやって入れるの? キャップ一回あけたら、開けたことがばれちゃいそうだけど」
「それは注射針ですよ。注射器を使って、ラベルの隙間から針を刺して、少し中身を取り出す。そして今度は濃い塩水を注入すれば混入は完了。ラベルの下の小さい穴なんて気づかれないと思うんです。特に犯人はほかの人に見つからないように、かなり短時間でミルクティーを飲んでいると思うので、ラベルの間から刺した注射針の跡なんて気が付かないと思います」
清美さんは大きくうなずいて、恵梨香さんに同意を求めた。
「うん。それいいかもしれない! 恵梨香さんどう?」
「私、ここ1か月ずっと飲み物盗まれ続けて、怒りの限界まできています。やられたらやり返せじゃないですけど、塩入のミルクティーで反撃に出るの、大賛成です!」
「じゃあ注射器の用意をしなくちゃね。あれってどういうところで売っているのかな? AAmazonとか?」
「それなら、うちの父が糖尿病で、家に注射器たくさんあるからそれ持ってくるよ」
「清美さん、ありがとう~~!!」
3人は、これで犯人が捕まるだろうと確信した。
そして、食後に頼んだドリンクで、犯人捕獲の前祝いに乾杯をした。
これで犯人は捕まるだろう。それにしても一体犯人は誰なのだろうか……。

翌週、清美さんから注射器を受け取り、家でミルクティーにたっぷりの塩を混入させて、会社の冷蔵庫にしのばせた。
「とびきり塩辛くしておいたから、すぐ気づくはず」
いよいよだ。
緊張感が高まっていく。

するとその日の午前中、恵梨香さんの斜め向かいに座っている女性が、マイボトルの飲み物を、ぶっと吐き出し、「何これ~!!」と突然悲鳴のような大声をあげた。
その女性は羽田さんと同じ総務部の、瀬尾田玲子さんだった。

『見つけた!』
3人は心の中でガッツポーズした。
そうか。ペットボトルに口紅がついていなかったのも、給湯室に長居する人がいなかったのも、ミルクティーをマイボトルに詰め替えて持ち去っていたからなのか。ミルクティーの空のペットボトルがタバコの匂いがしたのは、たまに、缶コーヒーの中に吸い殻を捨てる人がいて、それと一緒にゴミ箱に捨てられていたものと推測された。

私は瀬尾田さんに声をかけた。
「瀬尾田さん、少し話があるので、あちらの会議室まで来ていただけますか?」
ほかの人たちがいる前で犯人を特定することはしのびなかった。
それに、なぜ羽田さんに悪意のある行動を繰り返していたのか、理由も聞きたかった。

会議室には、小巻、清美さん、恵梨香さん、そして瀬尾田さんが集まりテーブルを囲んだ。
「今日集まってもらったのは、ここ1か月ほど、恵梨香さんのミルクティーが盗まれていた事件を解決するためです。これについて瀬尾田さんから何か意見はありますか?」
すると、あまりにあっけなく、悪びれるでもなく、瀬小田さんは自分の犯行であることを認めた。
「私がやりました」
「これ窃盗という犯罪だってこと理解していますか?」
「理解しています」
「このまま上司に報告しても良いのですが。その前に、なぜこのような行為を繰り返したのか、理由を知りたいのですが、よかったら話してもらえますか?」
瀬尾田さんは少し考え込み、真正面に座っている羽田さんを睨みつけて言った。
「あなたが私の彼氏を奪ったからよ。総務課課長の樋渡聡は、私と婚約していたの。それなのに、陰でこそこそと羽田さんと2人で会っていた。あなたが私から樋渡を奪ったのよ。
婚約者に比べればミルクティーなんて安いものじゃない。こっちこそ、あなたがやったこと、会社に広めてもいいのだけど」
完全に意表を突かれた答えに、私と清美さんは会議室の空気が凍り付くのを感じた。
そして、恵梨香さんが重い口を開いた。
「言いにくいのですが、実は私も、この会社に入社してすぐに樋渡から食事に誘われて、付き合い始めました。かれこれ7年目になります。私も彼と結婚の約束をしていて、近々お互いの両親に挨拶をするはずでした」
瀬尾田は目を見開き、恵梨香さんを見た。そして胸の奥にたまった空気を吐き出すように笑い出した。
「何それ。じゃあ、私も羽田さんも、樋渡から二股をかけられていたってこと? 許せない」
恵梨香さんも怒りで体を震わせながら言った。
「私も許せない。私と瀬尾田さん2人に結婚をちらつかせて二股をかけた罪は重いわ」
これが真実だなんて、まったく想像していなかった。
すでにミルクティー泥棒はなりを潜めて、二股をかけていた樋渡課長への恨みに焦点は移っていた。

私はちょっと考えて、事情が事情なだけに、一応、瀬小田さんと恵梨香さんの了承を得て、樋渡課長の直属の上司に話すのがいいだろうと思った。
そして、経営企画室の部長で総務部部長も兼任している砂田部長にその場にきてもらい、恵梨香さんと瀬尾田さんからここまでの経緯を話してもらった。
私と清美さんは席を外した方がいいのではないかと思ったのだが、恵梨香さんから最後まで見届けてほしいとの要望で、会議室の隅に椅子を並べ、見届け人の役目を果たしていた。
「なるほど。樋渡課長は2人に結婚をちらつかせて二股をかけていたわけだね。それは会社としても問題視しないといけない話だと思う。
ところで、2人とも金銭的な被害はなかったかい?」
金銭的な被害とは、例えばお金を貸していたとか、そういうことか。
瀬尾田さんは顔を歪めながら、
「私は樋渡の両親がやっている商売がうまくいかなくて、借金をしていて、自分も援助しているのだけどどうしてもお金が足りない。将来結婚すれば義理の両親になるわけだから、できる金額でいいから助けてほしいと言われました。それで50万円ほど融通しました。結婚するなら返ってこなくてもいいと思っていたのに、本気で信じていたのに」
恵梨香さんは瀬尾田さんの話を聞きながら、涙を浮かべていた。
「私も同じように言われました。ただ、私は実家に仕送りをしているので、余分なお金がほとんどなかったので、10万円だけ貸しました。彼への気持ちはすっかり冷めたので、手切れ金だと思うようにします。返ってきてもこなくても、どちらでも構いません」
最後は、絞り出すような声だった。
隣を見ると、清美さんがもらい泣きしていた。

婚約者が二股をかけた上に、お金をだまし取っていたのだ。突然明るみに出た真実が漫画のように非現実的すぎて、2人とも気持ちの整理がつかないようだった。
砂田部長は、2人の話にこう言った。
「今回は、2人とも大変辛い目にあったね。プライベートなこととは言え社内の話である以上、上司である私にも責任がある。辛い思いをさせてしまって、2人には大変申し訳ないことをした。
そして樋渡についてはもしかしたら警察沙汰になる可能性がある。このあと樋渡を呼んで、私が面談を行う。もし彼が結婚詐欺としてお金をだまし取っていたとしたら、警察に訴えますか?」
2人とも固まったままで、判断がつかない様子だった。
「そして、人事に関することを他人に漏らすのはご法度だが、君たちには話しても良いだろう。彼に対しては降格、減俸、左遷など、なるべく厳しい処罰を下す予定だ。また、もし警察沙汰になれば懲戒免職になる。もし警察に訴えない場合でも、君たちから借りたお金は、会社から返済させてもらい、会社は彼の給料から天引きで回収することになると思う。」
2人は後者の方法で構わないと言った。
「そして、これまでも会社のために一生懸命に働いてくれた羽田君と瀬尾田君は、もしよければこのまま会社に残ってくれないだろうか。君たちが働きやすい環境にするために、樋渡は別のフロアか子会社に左遷させるようにする。さらに君たちが顔を合わせるのも嫌だというなら、希望があれば部署異動の願いも叶えるつもりなので言ってほしい。
それで許してもらえないだろうか」
恵梨香さんはぽろぽろと涙を流しながら、大きく頷いた。瀬尾田さんは、絶対に泣くまいと、目をかっと見開いたまま、
「すべて砂田部長に話は預けます。樋渡の処分はどうぞよろしくお願いします」
砂田部長は恵梨香さんを見ながら
「羽田さんもいいですか?」
「はい。砂田部長よろしくお願いします」
「承知しました」

一通りの解決策が決まり、小会議室にいたメンバーはそれぞれ自分の席へと戻っていった。
代わりに、樋渡課長が砂田部長に呼ばれて、会議室に入っていく姿が見えた。

私と清美さんは、自分の席に戻る前に、少しだけ休憩室に立ち寄った。
「なんだが後味の悪い事件だったね」
「そうですね。まさか二股をかけて、それぞれの婚約者からお金をだまし取っていたなんて。ミルクティー泥棒どころか、もっと悪質な犯罪の犯人を引きずり出しちゃいましたね」
「でもさ、このままズルズルと騙され続けていたかもしれないと考えると、早めに真実が分かって、ある意味良かったかもしれないね」
「確かに。このままいったら、さらにお金を要求されていたかもしれないし」
「彼女たちもまだ若いわけだし、これからいくらでもやり直しはできると思う!」
「お、バツイチの清美さんが言うと、妙に説得感ありますね」
「それ言うか(笑)」
「あの、私から相談があるのですが、聞いてくれますか?」
「お金以外のことなら相談に乗るよ、言ってごらん」
「私、小説書いているせいか、こういう風に社内の人から、相談されることが多いんです。実際に今回探偵ごっこをしてみて、清美さんと2人でやったからうまく解決に導けたんじゃないかなと思ったのです。
それで相談というのが、私と『OES探偵クラブ』を発足してくれませんか?」
「ええー」
清美さんは体をのけぞらせて抵抗する姿勢を見せたが、私は畳みかけた。
「私、清美さんのこと、先輩としても、第2の母としても尊敬しています。そして、もちろん無二の相棒として心から頼りにしています。よろしくお願いします!」
清美は優し気な笑顔を浮かべながら頷いた。
「仕方ない。そこまで頼りにされたら、断るわけにはいかないね。
私の方も、息子が社会人になり巣立ってしまい、去年旦那とも別れて、これから何か楽しいことないかなと思っていたところだったの。
『OES探偵クラブ』いいじゃない。小巻ちゃんの願いを聞き届けようではないか」
「よっ。先輩!ありがとうございます」

こうして『OES探偵クラブ』は、小巻と清美の2名で発足した。

「調査に役立つように社内ネットワークも強化していきたいですね。恵梨香さんとか、経営企画部の織田優斗(おだゆうと)君など仲間に入れたいのですがどう思いますか?」
「そりゃ、優秀な人材がいたらぜひスカウトしたいね」

恵梨香さんは「役に立てるかどうか分からないけど、今回事件を解決してくれたお礼に」とクラブに参加してくれた。
織田君は、食べ物につられやすい性格を利用して、会社の近くのうな重をおごるということで、二つ返事でメンバーに加入してくれた。

『OES探偵クラブ』4人のメンバーで始動。社内の怪事件を解決します!

第2話 事故の陰に潜む本当の闇に『OES探偵クラブ』が挑む

お盆明けの初日はうなぎの日

今日は会社で定められた4日間のお盆休みが明け、久しぶりの出社だった。有給休暇を消化するために土日とつなげて長期連休にする人も多く、社内の人影はまばらだ。
そんな中で、経営企画部はみごとに全員そろって出社している。
やる気があるかどうかは別として、全員出社している理由は、この日は毎年恒例のお楽しみの行事があるからだ。
久しぶりに開いたパソコンにたまっているメールの返信や、手紙や書類の整理に追われながらも、みんなちらちらと時計を見ていた。

「昼休み。みんなでうなぎでもどうだい?」
きたー。待っていました!
砂田部長の言葉に、最初に反応したのは、経営企画部の若きホープ、織田君だった。待ての合図をされている犬のように、今すぐうなぎ屋さんに向かって走り出しそうだった。
「12時になってから会社出たらお店混みますよね。少しずらして11時45分になったら出ましょうか。今日は特に電話もならなさそうなので」
清美さんの言葉にみんながうなずく。

お盆明けは涼しくなるというのは、昔の人の言葉だったのだろうか。
最近の東京は、9月まで猛暑日が続くことも珍しくない。ビルの電光掲示板には「最高気温36度、晴れ」との予報が映し出されている。
お盆が過ぎても、涼しさはやってこない。
「こういう暑い日はうなぎに限りますね」
うなぎの老舗『うな月』に到着すると、織田君が生唾を飲み込みながら、ショーケースから目を離さずに言った。
「ちょっと早めに出たので、それほど並ばずに済みそうですね」
我々のグループは行列の前から2組目だ。うなぎ屋は回転が早いので、もう間もなく呼ばれるだろう。
「5名でお待ちの砂田様」
早速お店に入ると、中はエアコンがよく効いていた。毛穴中から出ていた汗が一瞬で冷えて、まるでプールから上がったばかりのようで寒気を感じるほどだが、あっという間に涼しい環境に体が順応した。
「そういえば、うちの会社の、点検整備部の1人が、エレベーターの縦穴内に落ちて、両足骨折したらしいですよ」
織田君が声を潜めて言う。
「えっ、大ごとじゃない! いつ事故起きたの?」
「お盆休みの前日で、8月12日らしいです」
「お休み前に事故なんて気の毒ですね」
「両足の骨折だから、経過次第では、現場復帰は難しいかもね」
会社で起きた不慮の事故についてひそひそと話し合うメンバーたちに、砂田は、
「あまり会社の内情を、社外の人がいるところで話すのは良くないと思う。だが、わが社始まって以来の事故になる。ショックは大きいな」
佐藤課長もうなずきながら、
「そうですね。無事故が売りみたいなものでしたから。1年目の研修も2か月かけてしっかり行われ、それ以外にも毎年研修を行い、安全管理にはかなり気を付けていたと思います。ほんとに残念な事故が起きてしまいました」
私にとっては寝耳に水で、まったく情報がなかった。みんな休んでいた間に情報をどうやって収集したのやら。
「事故にあった方は、なんていう人だったんですか?」
織田君が教えてくれた。
「小笠原廉人さんという、点検整備部の主任をしていた人です。点検整備部でのキャリアも7年目で、安全管理には定評があった人なのですが……」

不慮の事故という避けられないものもあるが、この話をしていると、会社批判をしているような気がしてきて、皆が黙り込んだ。ちょうどその暗い雰囲気を打ち消すような絶妙なタイミングで、熱々のうな重が5つやってきた。
「お待たせしました」
それまでの暗い雰囲気を、一蹴する力がうなぎにはあるらしい。蓋をとらなくてもわかる。この中には、キラキラ光るタレがたっぷりかかったうなぎと、たっぷりの汁がしみ込んだご飯が待ち受けているのだ。みんなダッシュで蓋を取り、「いただきます」の号令とともに一斉にかきこんだ。
ふうう、うまい。匂いだけけでもすでに美味しそうだったが、やはり食べてみないと分からない。絶妙の焼き加減のふっくらしたうなぎに、甘さがやや強めのこってりとしたタレがごはんにもしみて、このタレだけで何杯でもご飯が食べられそうだった。
エアコンで冷えた体はどこへやら。うな重を食べると、ふたたび汗とやる気がもりもり出てきた。
「はあ、うまかった~」
織田君が一番に食べ終えた。それに続き、佐藤課長、砂田部長、私、そして清美さんが、寸分違わず食べ終えた。
「ご馳走様でした!」
と砂田部長にお礼を言い、一同店を出た。

713号室で待つ重症患者のもとへ

お盆休み明けの1日目は、うな月で砂田部長からうな重をごちそうしてもらうのが、経営企画部の恒例行事となっていた。今年も恒例行事が無事に終了した。
みんなは、先に店を出て、店先で砂田部長が出てくるのを待っていた。
ところが、待てど暮らせど出てこない。
すると砂田部長がのれんをかき分けて顔を出し、私と清美さんに向かって手招きしている。
「皆川さんと杉本さん。ちょっときてくれないか」
私と清美さんが呼ばれた。
「実は、さきほど話していた、点検中に骨折をした小笠原廉人さん。うな月の息子さんらしいんだ。それで、今回の事故の件で、話を聞いてもらいたいのだそうだ。
申し訳ないが、2人は残って話を聞いてきてくれないだろうか? なお、これは業務だから急がなくていいので、仕事としてきっちり対応してもらいたい」
そう言うと、2人を残し、砂田部長と佐藤課長と織田君は会社に戻っていった。

会計をしていた奥さんが、
「すみません、お仕事中なのに呼び止めてしまって。息子がどうしても皆川さんに話を聞いてもらいたいと言っていまして。今まだ病院に入院中なので、病院に行って話を聞いてもらえないでしょうか。
私が一緒に行ければいいのですが、今はまだお店の混雑のピークでして。」
「わかりました。」
小笠原さんのお母さんが書いたメモを持ち、うな月から徒歩20分ぐらいはなれば場所にある総合病院に到着した。
部屋番号は713号室のはず。
エレベーターで7階まであがり、ナースステーションでお見舞い者リストに名前を書き、713号室を探した。
そこは日当たりの良い1人部屋だった。
ベッドの周りには、飲み物や食べ物や雑誌が、所狭しと並べられていて、動かなくても手が届くように配慮されていた。
「はじめまして。経営企画部の皆川小巻です」
「同じく杉本清美です」
私たちが挨拶すると、小笠原さんは丁寧に布団から上半身を起こして挨拶をした。
「はじめまして。点検整備部の小笠原廉人と申します。皆川さん、杉本さん、お忙しいのに時間をさいていただき、ありがとうございます」
「それで、話というのは、いったいどのようなご用件でしょうか」
業務だからゆっくりでいいと言われたものの、長い休み明けで、やることはたくさんたまっていた。本音は、なるべく早めに切り上げて、会社に戻りたかった。
「それが、僕の骨折は、事故ではなく、実は事件なのではないかと思っているのです。もしかしたら、僕は命を狙われていたかもしれません」
「えっ!」
言葉を失った。
「それって、殺人未遂ということですか?」
「まあ、そういうことになります」
「それだったら、私たちに相談するより警察に相談された方がいいのではないかと思うのですが。警察にはまだ話していないのでしょうか?」
「はい」
「どうしてですか?」
「一緒に組んでいたのが、僕の直属の部下で、自分で言うのもなんですが、弟のように可愛がっていた奴なのです。それなのに、ちゃんとした証拠もないのに、彼を警察に売るような真似ができなくて」
「そうは言っても殺人未遂事件となると、私たちで解決できる問題ではないような気がするのですが……。困ったな」
「すみません」
小笠原さんはかなり真面目な性格と見えて、いちいち恐縮する。仕方がないので、事件の概要を聞こうそれで無理だったら、申し訳ないけど警察の力を借りることにしよう。
「とりあえず内容が分からないので、当時の状況と、なぜ部下があなたを殺そうとしたと思ったのかについて、もう少し詳しく話していただけますか?」
「まず、エレベーターの点検整備は危険な作業なので、原則として2人でペアを組んで行います。あの日は、私と部下の鮎川圭太の2人でペアを組んでいました。
途中で、近くの現場でエレベーターの誤作動が起きて緊急停止してしまったという連絡を受け、一番近くにいた僕たちに、現場に向かうように指示が入りました。
ただ、もう少しで作業が終わるところだったのと、長い間エレベーターを休止中にしておくわけにもいかなかったので、鮎川君に先に現場に行ってもらって、私が後から駆けつけることにしました。
それで、鮎川君が4階のエレベーター口から外に出ました。すると、突然点検中のエレベーターが動いて、バランスを崩した私が、エレベーターの縦穴内に落ちて両足を骨折してしまいました。打ち所が悪ければ死んでいたかもしれないと言われました。また、エレベーターと壁に挟まれて死んでしまう可能性もあったと言われました。これが事件のあらすじです」
「鮎川さんが外に出るときに、エレベーターを動かしてしまったということでしょうか?」
「いえ。そのとき4階建ての建物の一番上にエレベーターを停めて、作業をしていました。エレベーターを動かさなくても外に出られる位置にいたはずです。
それにエレベーターを動かすためには、私が持っている解除キーを使わないと、エレベーターは動かない仕組みになっているのです」
「そうすると、解除キーを持っていなかった鮎川さんには、エレベーターを動かすことは不可能だったのではないですか?」
「それが、彼も解除キーを持っていたんです。管理人室にある予備のキーがなくなっていたと聞きました」
「なぜ鮎川さんが予備のキーを持っていたと分かったんですか?」
「すみません。ここからは私の推測なのですが、管理人室から予備のキーがなくなっていたこと。そして、解除キーを回さないと動かないはずのエレベーターが動いたこと。その場所には鮎川しかいなかったこと。総合して考えると、彼が管理人室から予備の解除キーを持ち出し、エレベーターを動かしたと考えるのが自然なのではないかと思います」
「確かに、今の話は辻褄があいますね。そして、鮎川さんがかなり怪しくなってくる。本人には、解除キーのことや、エレベーターが動いたことについて、確認しましたか?」
「それが、私がすぐに入院して、手術を受けることになってしまって。いったん帰宅して、足の骨が付いたころに、またリハビリテーション病院に入院することになっています。職場復帰の目途が立っておらず、彼とはまだ会えていません」
「事故後に鮎川さんから連絡はありましたか?」
「いいえ、ありません」
「それは怪しいですね。一緒に現場にいた仲の良い先輩がけがをしたのに、電話の一本すら寄こさないというのは考えづらいですね」
「確かにさらに疑いが濃くなってきました。それで、皆川さんにお願いがあります。この話は鮎川君と面と向かって話さないと、真実が見えてこないような予感がします。その役を皆川さんと杉本さんにお願いできないでしょうか」
「私たちですか? 点検整備部の方との社内調整が必要になると思いますので、戻ったら上司に伝えてみます」
「お願いします。私の希望としては、彼が故意でやったわけではなく、あくまで事故だったということが知りたいのです」
「わかりました。でも、いざというときは警察に届ける可能性もありますので、そこは覚悟をお願いします」
「わかりました」
「ちなみに事件が無事に解決したら、皆さんにうな重をお礼にごちそうしますので」
織田君が張り切って事件に関与したがる姿が目に浮かんできた。

『OES探偵クラブ』が謎を解く

病院からの帰り道。いつもおしゃべりな私たちが、双方ともに無口だった。もしかしたら殺人未遂事件になるかもしれない事故を、私たちが事情を聞かなければいけないのだ。会社へ戻る足取りも重くなる。
「清美さん。私、今回の事件はかなり慎重に事を運んだ方がいいと思うのです」
「そうね。本当は、部長にも同席してもらいたいところだわね。もし鮎川さんが、私たちだけじゃないと真実が話せないというようなら、録音だけでも許可してもらった方がいいかもしれないね」
「そうしましょう」
2人は社内に戻ると、砂田部長を呼んで会議室にこもり、小笠原さんの話の内容を伝えた。砂田部長は腕組みをしながら、
「これは大変な事件に発展するかもしれないな。整備点検部の部長には、私から話しておこう。
あまりたくさんいると、鮎川君も本当のことを話しづらくなってしまうかもしれないので、君たち2人でまずは事情を聞いてもらった方がいいかもしれない。録音の件についても、鮎川君から事前に許可をとって録音するようにしよう」
「わかりました。まずは、小笠原さんが話してくれた事件の概要と、鮎川さんが話す事件の概要に食い違いがないか聞いてみます。あと、解除キーについてもきけたら聞いてみます」
「うん。よろしく頼むよ」

私と清美さんは、会議室に2人きりになった。
「なんでこの案件私たちのところにきたのかな?」
「ひょっとして『OES探偵クラブ』発足の噂を聞いたのかなあ。でも私は誰にも話してないですよ」
「私も話してない。恵梨香さんもそういう情報を広めるようなことをしないと思うな」
「となれば犯人は1人、織田君ですね」
「うん」
「そうだ、この件に織田君も巻き込むのってどうですか?」
「確かに、鮎川君と年齢が近いし、同期かもしれないよね。男性同士だし、話しやすいかもしれない」
「織田君と鮎川君の世間話の合間に、私たちが必要なことを聞き出す感じでどうでしょうか?」
「そうしよう。そうと決まったら、織田君を呼びましょう」
清美さんは、ガラス越しに織田君に向かって手を振った。なんだかうれしそうに織田君が走ってきた。
「なんすか。『OES探偵クラブ』始動ですか!! 僕もいよいよメンバーとして参加させてもらえるのですか?」
「うん。喜べ。その通りだ」
「やった!」
「しかも、うまくいったら、うな明のうな重がご褒美だ」
「頑張ります!」
「ちなみに鮎川君とは面識はある?」
「実は俺、鮎川と同期入社なんですよ。LINEも交換していますよ」
「織田君顔が広そうだからね。織田君は場を和ませる役ね。その前に、今回の事故について、今わかっていることを伝えるね」
清美さんはさっき砂田部長に話したことを、もう一度繰り返して話した。
「なるほど。もしかしたら鮎川が殺人未遂事件を起こしたかもしれないんですね。
ヒョー。やばいやつだ」
「ちょっと。まじめに話聞かなかったら首だからね」
「わかってますよ。ただ、温和なやつだから、人に恨みを持つとか、危害を加えるとか、なんて信じられなくて」
「そうだよね。だけど『この人がやるとは思っていませんでした』っていう犯人も多いんじゃないかな」
そうだ、私たちの任務は、真実を明らかにすることだ。たとえ残酷な真実であっても。

いったんデスクに戻ろうと思ったタイミングで、砂田部長が戻ってきた。
「鮎川君が、今なら現場の予定がないので話せるらしい。すぐで悪いが、今から事情を聞いてもらってもいいかな?」
「いまからですか……」
「まあ仕方ない、やりますか」
「小巻ちゃんは勢いでできるところが若さだね。羨ましい」
「清美さん、私のこと、軽くディスってますか?」
砂田部長が2人の会話を遮り、録音用のテープレコーダーを手渡してきた。
「あー、それでだ。録音の許可はとってきたので、それで会話を録音してもらって構わない。あと、なんで織田がここにいるんだ?」
「私がここに呼びました。小巻ちゃんと2人だと不安で。織田君は鮎川君とは同期入社で仲がいいそうなんです」
「そうなのか?」
「はい。一応。俺、顔が広いので」
「うーん、いない方がいい気もするが、もうここまで事情を聞いてしまったことだし、同席を認めよう」
「ありがとうございます!」
織田君たら小躍りして、かわいい。頭の中はうな月のうな重のことでいっぱいだろう。
「あと30分したら鮎川君がこの会議室に来るから、準備しておいて」
「はい。わかりました」

真実はどこに

会議室は4人掛けになる。私と清美さんが入り口側に並んで座り、織田君には奥の席に座ってもらった。
これでリラックスして話をしてもらえるといいのだが。

しばらくして、会議室のドアをノックする音がした。振り向くと鮎川さんがいた。
私はドアを開ける役。清美さんはテープレコーダーの録音ボタンを押す役。
そして、織田君が早速声をかけてくれる。
「久しぶりに会うのが事故のことだなんて。お前も大変だったな」
「うん。ほんとに驚いたよ。両足骨折の重体だなんて」
「ちょっと自己紹介させてもらっていいですか? 私は経営企画部の皆川小巻です」
「同じく経営企画部の杉本清美です」
「初めまして。鮎川です」
「今回の事故がどうやって起きたのか、覚えている範囲で構いませんので、お話聞かせてもらっていいですか?」
鮎川さんは、織田君をじっと見ているが、助け船が出ないとわかると話し始めた。
「あの日は、僕と小笠原さんがペアを組んで、板橋にある現場に出ていたんです。エレベーターの定期検査だったのですが、ワイヤーロープが劣化していたり、そのほか備品が数点劣化していたので、交換すべきものをリストアップしていました。すると、電話がなり、近くの現場で、エレベーターが緊急停止をしてしまったので、応援要請が来ました。小笠原さんは、もう少しでこの現場は終わりそうだし、あまり長くエレベーターを休止中にしておくわけにはいかないので、僕に先に現場に向かうように言いました。ちょうど4階にエレベーターが停まっている状態で作業をしていたので、僕はエレベーターからそのまま降りました。すると、突然エレベーターが動き出し、バランスを崩した小笠原さんが落下してしまったのです」
鮎川さんの様子を見ていたが、特に嘘をついているようには感じなかった。
「エレベーターの点検中は、解除キーをささないとエレベーターが動かない仕組みになっていたと思います。解除キーはエレベーターの中にあり、そこには鮎川さん一人しかいなかった。なぜエレベーターが動いたのだと思いますか?」
「僕にもわかりません。突然動き出して、止める間もありませんでした」
「つまり、鮎川さんは、エレベーターが動き出したのは、何かの故障があったからと言いたいのでしょうか?」
鮎川さんは自分が疑われていると察知し、身を固くした。織田君の登場だ。
「お前は小笠原さんとも仲良くて、兄弟みたいだったもんな。こんなことが起きて心配しかないよな」
「そうです。僕は、小笠原さんによくしてもらっていた。だから、小笠原さんを残して、ほかの現場に行こうとした自分を責めました。そんなことをしなければ、小笠原さんが事故にあうこともなかったのに」
「ひとつ聞いてもいいですか?」
「どうぞ」
「ありがとうございます。小笠原さんが落下したとき、命綱みたいなロープはつけていなかったのでしょうか」
「エレベータの下の部分を作業するときは命綱を結ぶのが決まりになっていますが、あのときは、小笠原さんは、エレベーター上部のエアコンの点検をしていました。ですので、命綱はしませんでした」
「エレベーターの上部にいても、転落をするものなのでしょうか」
「立って作業していたときに、急降下しはじめたので、バランスを崩したのではないでしょうか」
「最後にお聞きしますが、管理人室にあった、予備の解除キーが無くなっていたという証言を得ています。これについて心辺りはありませんか?
もしそうなると、殺人未遂事件として、警察に通報しなければならなくなります。
ゆっくりと思い出してください」
「いいえ。身に覚えはありません。解除キーは小笠原さんが受け取っていただけで、僕はもらっていません」
「ここが重要なポイントになるので、しつこく聞いてしまいすみません。その話に間違いはないですか?警察に言えば、指紋採取や、エレベーター内のビデオ録画の検証なども行うと思います。
そのときになって犯人だと名乗り出ると、かなり心証が悪くなると思います。
ゆっくりでいいので、もう一度かんがえてもらえませんか?」
鮎川さんはぽたぽたと汗を流しながら、小刻みに震えていた。
「今本当のことを言って警察に行けば、刑は軽くなると思いますよ」

パワハラと骨折した重傷者。本当の被害者はどっち?

鮎川さんは、私の方をしっかりと見つめながら、腹を決めた様子で話し始めた。
「僕が解除キーの予備を盗み出し、作業中にもかかわらずエレベーターを動かしました」
「なんでそんなことを。会社の訓練でも習ったので、もちろん承知していると思いますが、
あなたは小笠原さんの命を危険にさらしたんです。もしかしたら死んでいたかもしれないんですよ。」
「わかっていてやりました」
「なぜそんなことを……」
「実は、小笠原さんから毎日のようにパワハラを受けていたからです。それで勢いでやってしまいました」
「パワハラってどんなことですか?」
「『何年この仕事やっているんだ。お前なんて素人と同じだ』とか、『あまりにひどいから上司へは、お前の評価は最低に丸をつけて出してやる』とか。僕が現場に5分前についたら、もっと早く到着していた小笠原さんに、何も言わずに突然殴られました」
背筋にひんやりとしたものを感じた。これが事実なら、間違いなくパワハラはあったに違いない。言葉によるパワハラ、暴力によるパワハラ。
「僕はだんだん会社に行くのが怖くなってしまい、休みがちになりました。仮病です。ほんとうはうつ病かもしれませんが、病院に行って確定診断されるのも怖くて、自宅に引きこもっていました。すると、何度も携帯に電話をかけてきたり、家まで押しかけてきたりするようになりました。僕は居留守を使って、家具の隅に隠れてブルブルと震えていました。情けない男ですが、これが真実です」
「鮎川さん。それは辛い目にあいましたね。もっと早く、こんな事件が起きる前に、コンプライアンス事業部に打ち明けてもらいたかったです。そして、同じ会社の社員として、あなたがこんな目にあっていたのに気づいてあげられなくてごめんなさい」
鮎川さんはいつの間にか号泣していた。その背中を織田君が、そっと優しく撫でていた。
「ただ、あなたが行ったことは犯罪です。あなたはエレベーター保守のプロです。何が起きるか、リスクも十分把握していたはずです。なので、故意による事故として、まずは私から上司に報告を上げて、その先は、警察に通報されるかもしれません」
鮎川さんが何度も何度もうなずいた。
そして、体に救った病巣を、体外にすべて吐き出すように、何度も嗚咽した。

鮎川さんを1人にしておくわけにはいけないので、織田君と2人で会議室に残ってもらうことにした。
私と清美さんは、砂田部長に顛末を報告しにいた。やっぱりという諦めと、そのような状況で社員を働かせていたことに対する後悔のようなものが見て取れた。
「以上が、今回のことの顛末です。パワハラによるうつで発作的に事件を起こしてしまったということでした」
砂田部長は深く息を吐き出し、
「ご苦労だった。よく真実を突き止めてくれたね」
とねぎらいの言葉も忘れなかった。

「部長、私たちも一度小笠原さんの病院を訪ねたいのですが。そして、彼にパワハラをしていた事実を確かめたいのですが」
「それはやめたほおうがいい。もしかしたら証拠隠滅を図るかもしれない。例えばスマホの通話履歴や、メールや、写真。その他パワハラの証拠につながるものがスマホの中に入っているかもしれないからね。
このことは上層部の会議にかけるが、おそらく点検整備部を通さず、いきなり警察に通報することになるだろう。申し訳ないが、しばらく守秘義務厳守で頼む」
「わかりました。私たちの仕事はここで終わりということでいいんですね」
「ああ、ありがとう」
「それと余計なことかもしれませんが、鮎川さんが自殺するのではないかという不安があります。念のため、彼を一時的に病院で保護してもらうことはできないでしょうか」
「わかった。それについてもこれから上層部で話し合い、早急に対応するようにしよう」

お盆明け初出勤日>うな重

私と清美さんは休憩室にいた。お盆明けの出勤初日からほとんどデスクに座っていなかったなとぼんやり考える。
初日から特別任務が命じられて、あまりにその任務が重かった。
そして、今日の仕事が明日倍になって増えているかと思うと、明日の出社が思いやられた。だが、今日一日を乗り切った私たちを褒めようではないか。
「ようやく今日一日が終わりましたね、清美さんお疲れさまでした」
「ああー! すっきりしない。問題解決しないで、上層部にボールをパスしただけな気がする」
「わかります。私は鮎川さんの精神状態が気になります。そこまで追い詰められていたとは。本当は、点検整備部の中でいじめがおきていたんじゃないでしょうか」
「いじめ?」
「はい。パワハラをする小笠原さんとそれに耐える鮎川さん。おそらく点検整備部の人だって、2人が帰社したときの雰囲気をみれば、何かおかしいことに気づくと思います。そして、パワハラは社内に戻ってからも続いていたのではないでしょうか。それなにに、だれも鮎川さんを助けようとしなかった。点検整備部の部長も、見て見ぬふりをして、小笠原さんと鮎川さんをペアとして組ませていた。部ぐるみでの集団いじめのような気がしてなりません」
「小巻ちゃんが言う通りかもしれない。きっと警察のメスが入り、会社でもコンプラ委員会が動き出すはず。その実働部隊のトップが砂田部長なら、きっとちゃんとした解答を導き出してくれるはずだと思うよ」
「そうですね。砂田部長は信頼のおける方ですし、お任せできると思います」
「今日はたまに一杯やってく?」
「そうですね。頭と体と使いすぎて、お昼に食べたうな重はすっかり消化してしまいました(笑)」
「こうやって、私たち『OES探偵クラブ』が、少しずつ会社の膿を出して、働きやすい会社にしていけたらいいね」



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