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OES探偵クラブ第3話


プロローグ

ようやく9月になったが秋というにはほど遠い。8月から続いていた暑さは幾分和らいだが、30度を超える日が続いている。今年はもうしばらく日傘が手放せなさそうだ。

家の中の温度計は32度。熱中症になるのと、病院に入院して涼むのとどっちが安上がりなのだろう。そんな不穏なことを考えてしまうぐらい、今年は電気代が2~4割ほど上昇している。電気料金の明細書をみるたびに懐が痛む。
電気代節約とおして思いついたのが、早朝出社だ。いつもより1時間早く出社することにした。電気代を節約するには会社で涼むのが一番だ。
多少早起きはしなければならないが、子どもや夫もいないので、自分さえ頑張って準備を整えられればいつでも出かけられる。独身生活の気楽さだ。

まだ太陽が昇り切っていない時間なので、外を歩いてもじりじりと照り返しを受けることもなく、通勤ラッシュも避けることができた。
そして会社に行けば快適な空調が待っている。涼しく過ごせる会社は、夏の間は天国のような場所だ。

そんな電気代問題で懐を痛めている私、皆川小巻は、株式会社OESの経営企画部で働く派遣社員だ。先輩派遣社員で、私にとっての第2の母で、旧知の友のような存在でもある、杉本清美さんは、私のデスクの隣に並んでいる。私の向かいの席は、経営企画部社員で入社5年目の織田優斗君。清美さんの目の前で織田君の隣の席に座っているのは、私と清美さんと織田君の直属の上司の佐藤哲晴課長。
そして島のトップには、砂田健吾部長がいる。総務部の部長も兼任している。
経営企画部は5人体制で動いている。

経営企画部では、毎週月曜日の朝9時から定例ミーティングを行っている。全社的なプロジェクトの確認、進捗状況、課題の洗い出しなどを行う。
定例ミーティングの資料作りは私の仕事で、木曜日までに資料を作成し、モデレーターの佐藤課長にチェックしてもらうことになっている。

「来週月曜日の定例ミーティングにあげる議題や課題がある方は、ご連絡ください。また自分の担当課題についてもあわせて進捗報告をお願いします。木曜日15時までに皆川までメールでご回答ください」

経営企画部のメンバーにメールを送った。いつもの経営分析と、ベンチマーク企業の動向についての資料は集めた。みんなから返事が来たが、これといった新規課題はなさそうだった。前回資料を更新して、あとは佐藤課長レビューに回すだけと思って一息ついたところに、織田君が飛び込んできた。
「聞きました? 怪文書の話!」
織田君は、夏とはいえども、異常な量の汗を振りまきながら経営企画部に飛び込んできた。
「怪文書ってなんのこと?」
清美さんが、箱ティッシュを差し出しながら、織田君に聞いた。織田君はティッシュペーパーをわしづかみにして、顔や首から流れ落ちる汗を拭った。

「ネット見てください。これ」
織田君はあるサイトを開き指をさした。エレベーター保守に関する口コミサイトのようだった。そしてそこには次のような文面が書かれていた。

『OESにエレベーターの保守を頼んでいる者ですが、まだ使える消耗品を交換するように言われました。また、建物を建て替えてエレベーターも入れ替えたばかりだったのですが、今後故障する可能性があるということで修理が行われ、法外な値段を請求されました』この口コミに、次々とリプがあがっている。
『うちも同じです。最初に見積もりをとったら驚くような値段だったので、他社に再見積もりを依頼したところ、半分以下で済みました。OESは悪徳業者だと思います』

織田君は怒り心頭の様子で、
「見てください。我が社が不要な作業を行い、法外な値段を要求しているという噂が出回っているのです」
清美さんもあまりの醜聞に息をのむ。
「ほんとだ……。信じられない」
織田君は憤懣やるかたないという様子で、
「これは、エレベーター保守業界について取り上げたサイトです。しかも、この件で、出版社やテレビ局からわが社に取材依頼が来ているというのです。どうせ悪いようにしか報道されないさ」

織田君の言う通りなら、マスコミにあることないこと報道されて、会社が窮地に立たされることは間違いない。
皆でサイトの信ぴょう性について議論していたところに、砂田部長がやってきた。
「部長これ見てください!」
織田がサイトを映し出したパソコンを差し出した。
「うん。その件で、今役員会が開かれたところだ。わが経営企画部と情報システム部と、そのサイトにのっている年間保守点検部とで協力し合い、情報を発信している犯人が誰か突き止めてほしいとのことだ」

みんな突然の難題に固まっていた。

「あのう」
私は恐る恐る手を挙げた。
「こういう犯人捜しは警察や弁護士に頼んだ方がいいんじゃないでしょうか? 探せと言われても、我々素人は、どこから手を付けていいのかも分かりませんし」

砂田部長は困惑した表情で話す。
「言い忘れたが、この件についてはすでに顧問弁護士と話しが済んでいる。書き込みを見たところ、社内の事情に詳しい者しか知りえないようなことも書かれていて、もしかしたら社内の人間が犯人なのではないかと言うのだ」
「ひょっとして、顧問弁護士の先生が言うとことの社内の人間とは、このインターネットの口コミに出てくる年間保守点検部の誰かまたはその関係者ということですね」
清美さんが砂田部長に質問する。
「そうだ。だからこの部署に話を聞いてもらいたい。アポイントは私の方から入れておく。佐藤課長と皆川さん。織田君と杉本さんのペアで、年間保守点検部の部員40名全員から話を聞いてほしい」
「わかりました」
「私は役員とともにマスコミ対応をしなければならないので、立ち会えなくて申し訳ない。なるべく早く事情を聞いてきてほしい。頼んだ」

事情調査

「大変なことになっちゃいましたね」
さきほどまで大汗をかいて慌てていた織田君が、少し落ち着きを取り戻した様子で、清美さんに話かける。
「ネットに書かれていること、どうしても本当のこととは信じられないのよね。わが社は創業100年の歴史を持つ、プライム市場にも上場している優良な老舗企業だよ。長いお付き合いをしているお客様もたくさんいる。愛社精神のある人も強い。そんな会社であえて社名に傷をつけるようなことする人がいるのかしら」
「そうですよね。僕も自分の会社には誇りを持っています。他の部署の社員も全員が同じ気持ちだと信じてきました。でもそうなると、あのコメントを一体誰が書いたのか……」
「そうね。早速確かめなくてはね。『年間保守点検部』の部員を1人ずつ会議室に呼んで、手分けをして話聞かせてもらいましょう」
佐藤課長は大きく頷く。
「皆川、年間保守点検部の名簿持ってきてもらえるか?」
佐藤課長の指示はいつも的確でわかりやすい。
「はい。いまプリントアウトしてお持ちします」

年間保守点検部は全員で60名ほどいる、なかなかの大所帯だ。1人につき1時間話を聞くとして、部員全員から話を聞くだけで1週間はかかりそうだ。
佐藤課長はプリントアウトした名簿を見ながら、
「社内に今残っている人から順番に話を聞いていこう。私が年間保守点検部に行って、部長とヒアリングの順番をリストにしてくる」
佐藤課長は名簿をもって立ち上がり、3階へとおりていった。
清美さんはヒアリングに備えて戦闘態勢だ。
「小巻ちゃんは、小会議室を2か所、5日間抑えておいてほしい」
「了解です。小会議室は経営企画部がある5階のほうがいいですか? それとも年間保守点検部がある3階の会議室がいいですか?」
「同じ部署の人の目があったら話しづらくなるかもしれないから、5階で2部屋頼むわね」
「わかりました」
清美さんも立ち上がり、
「私は会議室にパソコンと筆記用具を用意しておきます。あと、今回のサイトへの書き込みもプリントアウトしておきます。
織田君はサイトを見ながら、質問事項をリストアップしてください」
「わかりました!」

残された3人はそれぞれの作業を始めた。

ーーーーーーー
【質問リスト】
・あなたはこのサイトの書き込みの内容に、思い当たることはありますか?
・あなたの身の回りで、このサイトの書き込みをしていると思い当たる人はいますか?
・年間保守点検部に恨みを持っていそうな人はいますか?
・以前お客様からクレームを受けたことはありますか?
ーーーーーーー

「こんな感じかな」
織田君はネットの書き込みを見ながら、ヒアリングの質問を考えた。あとはヒアリングをしながら、随時質問を追加していけばいいだろう。
それにしても、こんな書き込みを匿名でして、会社の評判を下げるようなことをするなんて、犯人はかなり狡猾な人間に違いない。

こうして、株式会社OESの命運は、経営企画部の4人に任されることになった。

織田×清水ペアによる調査

60名の半数を織田君と清美さんペアが担当することになった。
ヒアリングは基本的に45分行い、残った15分でヒアリング内容をまとめることにした。
ヒアリング1人目は入社1年目の折原君だった。現場経験は1度だけ。入社後部署異動して、年間保守点検部に来てからエレベーター点検技能研修を受講し、実地訓練を経て、最近先輩2人の現場に同行させてもらったところだ。
「あのお。折原壮介といいます。このような場所に呼ばれて、何の面談でしょうか?」
折原君はまだ自分が置かれた立場が分かっていない様子だった。目は握ったこぶしに落とし、かなり緊張した様子だ。
清美さんが優しく話しかける。
「当社に対してインタネット上で悪質な書き込みがあったのは知っていますか?今日はその事情を知っている人がいないか調査しています。インターネットには、年間保守点検部と名指しの記載があったため、折原さん部署の方全員を対象に、ヒアリングを行っています」
折原君は、呼ばれたのが自分だけではないと知り、少し安堵の表情を浮かべた。
「私はこの部署に異動になったばかりで、現場経験も1度切りです。お役に立てるかわかりませんが、知っていることは何でもお話させていただきます」
織田君は、書き込みをプリントアウトしたものを、折原君の目の前に差し出した。
「これがその悪質な書き込みになります。急がないでいいので、最後まで目を通してもらえますか?」
折原君はいかにも初見という感じで、最後まで読み終わるまでにかなり時間がかかった。
「確かに。これは私の部署に対する書き込みですね。しかも悪意にみちた嘘の書き込みですね。許せません」
織田君は怒りに肩を震わせていた。

織田君は早速質問の1から4までを折原君に尋ねた。が、予想通り見たことも聞いたこともないという答えだった。
ただ4番目のクレームに関しては、何か知っているようだが、言いづらそうにもじもじしていた。
「知っていることがあれば教えてもらえますか? このままマスコミに勝手に報道されてしまえば、わが社はお客様からの信頼を失ってしまう可能性もあるのです」
織田君の言葉にしばらく考えた様子だったが、遠慮がちに折原君が答え始めた。
「もしかしたら、的外れで、何の役にも立たない情報なのかもしれませんが……。飲み会のときに先輩たちが言っていたんです。私たちの部署は年に1回エレベーターのブレーキなどパーツの精密点検を行うのですが、みんなが担当したがらないお客様がいまして。作業が遅いとか、料金が高いとか、やたらと文句をつけてくるそうなのです」「そうなんですか。その方はどんな方ですか?」
「はい。かなり高齢の方で、ビルを何棟も所有しているらしいです」
「高齢者ですか。インターネットに投稿するとなると、若い人のイメージがあるけど、どうですかね。。いったん情報お預かりします。今日はありがとうございました」
清美さんは折原さんからはもう情報が出てこないと考えて、お礼を言って退室を促した。

「僕こんなんで犯人捜しできるのか疑問ですけど」
「年間保守点検部に怨恨があるのは間違いないのだから、誰かが情報を持っているに違いないわ。最後までがんばりましょう」
1人目から弱気になる織田君に、清美さんがはっぱをかける。
「とりあえず今の人も情報リストの中に入力しておきましょう」
「はーい」
「終わったら次の人呼びに行ってきますけど、いいですか?」
「大丈夫です」

次に来たのは中堅どころの元木さんという男性従業員だった。
「はじめまして。私は経営企画部の織田です」
「同じく杉本です」
元木はもどかしそうに口を挟む。
「ひょっとしたら今日の面談って、インターネットの怪文に関する事情聴取か何か?」
「はい! 実はそうなんです」
「やっぱりなあ、俺もあのネット見たのだけど、うちの部署を名指しにして文句言ってきて一体どんな奴なんだろうと思っていたところだよ」
「誰か書いた人に心当たりがありませんか? 当社に恨みを持っているお客様がいるなんて噂を耳にしたことはありませんか?」
「それはないけどさ。関係ないかもしれないけど、実は、去年うちの部署で新人さんが亡くなったんだ」
「えっ……。病気か何かですかね」
「いや違うんだ。本人がずっとうちの部署を希望していて、ようやく異動が決まり、現場に出るはじめての点検の日だったんだ。必ずつけるように指導していた安全ベルトがなぜかはずれていたんだ。それで転落して……。病院に行ったときには心肺停止状態で」
「それはお気の毒な事故です」
「本当だよ。ようやく現場に行けるとあんなに嬉しそうにしていたのに。最初で最後ってないよな」
「そうですね。そんな痛ましい事故があったんですね」
元木は『事故』という言葉に、ぴくっと反応した。
「織田君は、これを事故だと思うかい?」
「どういう意味ですか?」
「異動してはじめての現場だかたって、あれだけ研修を受けて安全ベルトをきちんとしないなんて、ちょっとあり得ないと思ったから」
「確かに言われてみるとそうですね。ご遺族の方はなんと」
「ご遺族の方は会社の責任を追及するとそれはお怒りだったのだが、こちらが誠心誠意謝罪して業務上の事故ということで多額の和解金も支払って、和解が成立したんだ。確か、まだ小さい娘さんもいたと思う。まあ、あれだけの和解金がもらえたのだから、受験や何やらにかかるお金は十分賄えそうだけど。おっと、話が脱線して申し訳ない。何を聞かれてたんだっけ?」
「インターネットであの怪文を書いた人に心当たりはありませんか?」
「それなら……、うちの会社を一番恨んでいるのはその娘さんかもしれないな。今は大きくなって中学生になった頃かもしれない。あれから10年経つからね。親父さんを失って、辛い思いをして、うちの会社のことを憎んでいるかもしれないね」
「おっしゃる通りですね。貴重なお話聞かせてもらってありがとうございました」
「いや。ほんとに気分悪くてね。早く犯人を捕まえてくれよな」
そういって元木は会議室から出て行った。

「清美さん、今の話どう思いますか?」
「うん。重要な手掛かりになるんじゃない? この件、佐藤課長と小巻ちゃんにも共有しておいた方がいいかもしれないわね。私、2人に今の話伝えてきます」
「それなら僕も行きますよ。いったん作戦会議をしましょう」
「ええ、そうね」
2人が隣の会議室を覗くと、ちょうど年間保守点検部の部長にヒアリングしているところだった。

佐藤課長×小巻ペアによる調査

隣の部屋には佐藤課長と私がいた。そして、年間保守点検部の津曲部長に対するヒアリングが行われていたところだった。相手が部長ということもあり、ヒアリングはもっぱら佐藤課長が担当した。

「それでこのインターネットの怪文について、何か心当たりはないでしょうか?」
「ほんとに腹立たしいよ。こんな事実無根のでっちあげが事実のように広まって、マスコミまで来るなんて。いい迷惑だよ。でも、こんなことをするのも手間がかかるんだろう? だから、うちの部署に恨みがないとやらないよな」
「はい。私もそう思います。誰か、年間保守点検部に恨みを持つような人物はいないでしょうか」
津曲部長はしばらく考え込んだ様子だった。
「いないこともない。ただし、その当人はもう亡くなっているんだ」
「亡くなっているんですか?」
「ああ。10年前にうちで起きた事故のことは知っているかな?」
「転落事故のことでしょうか」
「そうだ。亡くなった村田は仕事に対する情熱に溢れていて、なんとかうちの部署に異動できないかと、入社以来ずっと異動届を出し続けていたんだ」
「それで、ようやく異動が決まり、はじめての任務だったんた。ところが、つけたはずの安全ベルトが外れていた。そして、病院に着いた時には心肺停止の状態だった。
もちろん警察が現場検証に入り、事故なのか事件なのか数日がかりで調べたよ。
だが、結局は本人の安全ベルトの装着の仕方に誤りがあったということで、事件は片付けられてしまった。
村田は、異動になってから、誰よりも熱心に訓練に取り組んできたから、安全ベルトの装着ミスなんて基礎的なミスを起こすなんて、どうしても信じられないんだ。
私自身も、ほんとにあれは事故だったのかと今でも疑っている。
警察は安全ベルトも調べたが、備品に不具合はないという結論だった。
だが、どうしても気になってしまうんだ。もしかしたら、誰かのちょっとした遊び心でしたいたずらが、大事故につながった可能性があるのではないかと」
「そうでしたか。それほどやる気のある若者が最初の現場で亡くなってしまうなんて。しかも10年たっても部長自身まだ疑いを持っていたとは」
「俺は思うんだ、もし安全ベルトの脱着金具に小さな異物が入れてあったら。きちんとロックがかかっていない状態で下降するタイミングで体重がかかり、金具がはずれてしまうということもありうるのではないかと」
「社内に犯人がいるかもしれないと疑っているんですね」
「本当はこんなことは思いたくないのだが。村田の自己責任で幕引きされることがどうしても納得がいかなくて、この話を上層部にしたんだ。
でも事故ですんだのに、わざわざ社内から犯罪者を出すような真似をするなと言われてしまって。今まで黙ってきてしまった。自分の弱さを呪うよ。もしあのとき少しの勇気をもって警察に発言していれば、村田の遺族も真相にたどり着けたかもしれないのに」
「となれば、今回の事件も村田さんの遺族による仕業という可能性が浮上しますね」
「ああ。その可能性はあると思っている」

佐藤課長と私は、すっかり津曲部長の話に夢中になっていたが、会議室のガラスドアを見ると、織田君と清美さんが立っていた。
「2人ともどうしたの?」
「さっき元木さんからヒアリングしていたのですが、どうも10年前に新人さんが落下事故で亡くなっていたらしいのです」
「そうなんだってね。今津曲部長から詳細をお聞きしていたところよ」
「なんだすでに話を聞いていたんですね。僕たち情報共有しようと思ってきたのですが、その必要はありませんでしたね。これで失礼します」
「ちょっと待って。私たちも情報共有したいことがあるの」
そして、私は、織田君と清美さんに、村田さんの死の真相、警察による検証、そして津曲部長の推理などを離した。
「それじゃあまるで殺人事件じゃない!」
「証拠がないんですよ。警察が現場検証して事故と判断したので、それを覆すのは難しいの」
そこまで話して私はふとひらめいた。
「今回のインターネットの怪文って、本当の犯人に自首させるためのものだとは思いませんか?」
「どういうこと?」
「あの怪文は当社の特定の部門に対するクレームだけど、犯人なら、自分の罪を責められていると思うんじゃないかしら」
「確かに。そして、その犯人は、自分が殺した村田さんのご遺族かもしれない、と想像するかもしれないわね」
「となると、あのときバディーを組んでいた人が一番怪しいと思うんです。自分が用意した安全ベルトを手渡せば、村田さんは信頼してそれを使うと思うから。
津曲部長、村田さんの初現場でバディーを組んでいた人が誰だったか覚えていますか?」
「ああ、はっきりと覚えているよ。梶田君だ。彼は研修期間中に彼の育成担当をしてもらっていて、初現場も彼となら安心だろうということになったのだ。でもまさかあの梶田君が! でも動機がないんじゃないのか? 彼はとても親身に教えていた。その彼が村田君を殺そうとするなんて、考えられない」

地上8階からのダイビング

「ちょっと梶田さんを呼んでお話を聞いた方がいいんじゃないでしょうか」
と清美が提案した。
織田君と私で梶田さんを呼びに行くことにした。
ちょうど梶田さんはデスクで事務仕事に追われていた。
「すみません。経営企画部の皆川と申します。さきほど津曲部長からお話があったかもしれませんが、インターネットの怪文の件でみなさんからお話を伺っています。5階の会議室まで来ていただけないでしょうか?」
梶田の顔は青ざめ、明らかに様子がおかしかった。
目の前の画面にも、ほとんど何も入力されていない状態だった。
怪しいと私も織田君も思ったに違いない。
「ではお願いします」
なるべく早く5階に連れて行かなければ。

エレベーターホールで待っていると、ちょうど2基同時にエレベーターが到着し、3人が乗り込み5階のボタンを押して、閉めるのボタンを押した途端に梶田さんはエレベーターから飛び出した。そして、もう1基の止まっていたエレベーターに乗り急いで閉めるボタンを押した。
エレベーターはぐんぐん上昇している。
「とりあえず5階まで行って、みんなを連れて屋上階まで向かおう」
「了解」
私は5階につくとエレベーターから飛び出して、佐藤課長と清美さんと津曲部長を、有無を言わせずエレベーターに乗り込ませた。
そして織田君が状況を説明した。梶田さんの様子が明らかにおかしかったこと。突然エレベーターから飛び降り上階に向かっていってしまったこと。
「それはまずい状況かもしれないね。とりあえず急ごう」
最上階まではものの20秒でついた。
屋上は8階だった。
そして、鉄柵を乗り越えたところに梶田さんがいるのを見つけた。
「待って!」
走り出そうとする私を清美さんが引き止めた。
「あまり刺激しすぎない方がいいかもしれない」
織田君はレスキュー隊に連絡をして万が一飛び降りた場合に備えて準備をするように伝えている。手際がいい。

「最後にほんとうのことを聞いてくれますか? あの日10年前、僕と村田君はバディーを組んで、この建物と同じ8階建てのエレベーターの点検に行きました。
そこでまずセオリー通りに安全ベルトをしようとしたのですが、村田君が初めてで舞い上がってしまって、うまくロックができなかったようで。
僕は本当は彼の安全を確かめる立場にあったのですが、つい彼なら大丈夫だという安心感のようなものがあって、そのまま作業に入ってしまったんです。
慌ててついてこようとした彼が、足を滑らせて落下口にはまり、安全ベルトがロックされていなかったため、そのまま8階の高さから転落してしまったのです。
すべてぼくのせいなんです」
梶田さんは嗚咽しながら、ふらふらと鉄柵を伝って、ビルの角に向かって歩いていく。津曲部長が大声で、梶田さんに向かって声をかける。
「それは君の責任ではない。残念ながら不運な事故だ。だからこっちに戻ってきてくれないか」
梶田さんは強風のためか、津曲部長の声が届いていない様子で、あぶなっかしい足取りで前に進んでいた。今にも落ちそうだった。
佐藤課長はそっと2メートルほど距離を縮めて、語り掛けた。
「君の責任ではないよ。警察の現場検証でも事故だと断定されている。君は責任感が強く、バディの死を自分のせいだと思っているかもしれないが、あれは不幸な事故なんだ。誰も君のことを責めていいない。もし、君が同じようにここから転落すれば、一番悲しむのは村田さんだと思う」
梶田さんは一瞬足を止めて、みんなに一礼をした。
「今までありがとうございました。そして、村田さんのお嬢さんへの伝言をお願いします。あなたのお父さんを殺してしまった人は、自分で命をたって償いをしますと」
津曲部長はさらに距離を縮めて叫んだ。
「君がもし死んだら、お嬢さんはどう思うだろう。今度は、お嬢さんが君を殺してしまったという十字架を背をって生きて行かなければならなくなるんじゃないか」
梶田さんは今度は津曲部長の声が聞こえたらしく、泣きながらその場にしゃがみこんだ。
「また村田さんの娘さんに、君のような辛い思いをさせたくなかったら、こっちに戻ってこい」
梶田さんは錯乱状態にあり、正常な理解ができていないようだ。
レスキュー、警察、来るの遅い!
「大丈夫です。彼女は私の死を喜んでくれます。そのために、あのようにインターネットに書き込みをしたんですから」
梶田さんはビルの角に立ち、両手を大きく広げて、飛び降りた。
ああ、間に合わなかった。
誰もがその場に座り込んでしまった。
悲しい事件を恨む思いが引き金となり、さらに悲しい事件が起きてしまった。

すると下の方から拡声器で何か声がする。
皆が鉄柵のところまでいくと、レスキュー隊が救助器具で無事に梶田さんを確保していた。
「新たな事件が生まれずにすんだ。それだけでもう十分だ」
津曲部長の声がみんなの声に静かに響き渡った。

エピローグ

以上の顛末が、佐藤課長から砂田部長に伝えられて、緊急の役員会が開かれた。
結局インターネットの書き込みを行ったのは、村田さんの中学生になる娘さんだったということも判明した。
バディを組んでいた人が、10年間後悔し、お父さんが亡くなったのと同じ8階から飛び降り自殺未遂を起こしたことを伝えると、泣き崩れた。
そして、すっきりしたような顔でこう言った。
「自殺未遂で済んでよかったです。でないと、私が一生後悔することになりますから」

「今回の事件は無事一見落着ということでいいですね」
織田君は砂田部長に詰め寄った。
「金一封はないとしてもうな月はありますよね、部長」
「ははは。ほんとうに織田君は遠慮がないな。まあそこが若くていいところなんだが。じゃあみんなでうな月で慰労会をしよう」
村田さんのお嬢さんはその後インターネットにあのような怪文を書いてしまったことを謝罪してきたという。梶田さんは軽い骨折はしたものの、すぐに出社して元の部署の戻れそうだということだ。
「今回もOES探偵クラブは大活躍でしたね」
みんなジュースやウーロン茶で乾杯した。

そういえばあの書き込みにリプしていた人がいたけど、あの人は放っておいて大丈夫なのだろうか……。
私はちょっとひっかかるものを感じながら、いったん幕引きとなった今回の事件を穏やかな気持ちで見送ることにした。
「また何か社内で事件が起きても、このメンバーがいれば立ち向かえる」





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