『「空気」の研究』を読んで2
上記の文を第一話とすると、第二話は、
本では、第一話と二話との「人間像」の違いについて書かれていますが、私が言いたいのはそこではないので言及しません。
最初の話では、人は神の姿に似せて、最後の完成品として作られ、地上のすべての支配権を与えた、となっています。二つ目の話では、人は生存に助け手が必要で、さまざまな生物が作られた、とあります。
人が地上のすべての支配権を与えられたり、人のために生物が作られたり、どちらも人中心の物語となっています。神が人のためにこの世界を作りたもうた、という前提です。そもそも論として、彼らにとってはこの世界は人間のためのものという考えなのです。言い換えれば、彼らの所有物です。
その聖書にある血筋を継いでいると主張する(あるいはフリをしている)人たちにしてみれば、この世界は彼らのためのものなので、彼らが支配、統治するべきものとなります。私はそれに賛成はしませんが、聖書の流れから見ると、そう信じている人たちがいたとしても理解はできます。
自然と共存してきた日本人的な感覚から見ると、空恐ろしいです。
古事記を見るとたくさんの神が現れ、隠れます。一神がすべてを創造していません。イザナギとイザナミに始まり、たくさんの神が生まれます。
イザナギとイザナミのまぐわいで島は生まれたし、オオゲツヒメの体から穀物は生じましたが、神さまが人を作った(生んだ)記述はありません。
イザナギとイザナミが争った時、「1日1000人、人間を殺す」「1日1500人、人間を産ませる」と言っていますので、この時すでに人はいたようです。神の存在と関係なく、人は存在していたっぽいです。なので、神と人との間に契約はありません。
日本の神様は、いろんなエネルギーを神様という形で表していると私は思っています。だから神様は自然界の現れです。となると、自然こそが日本人にとっては神的な存在です。日本の自然環境は四季が彩られ、水が豊富で緑もたくさんあり、とても恵まれています。多神的、アニミズム的になって当然です。
砂漠であれば、大地と照りつける太陽、日夜の温度差など、天と地という構造が心に刻まれやすいですから、一神教となるのも自然環境的に理解できます。
神様を宇宙人としたとしても、古事記の宇宙人(神々)は自分たちの世界でいろいろもめたり、下界に降りて人間と交わっていったりと人間的です。
聖書の宇宙人(神)は、一人やってきて生き物を創造して、契約を結び、地上を支配させます。宇宙人という見方をするなら、2種類の宇宙人が地球に来たようです。そういう意味でも天津神、国津神というのは言えています。
いわゆる「陰謀学」を見ていくと、この世界を裏で誰が動かしてきたのかが見えてきます。「陰謀」と聞くと、怪しい、ガセネタだと思う人もいますが、そこはまた認知戦が行われていて、わざと怪しく盛り上げているところもあります。
彼らがなぜ優生思想を持ち、世界統一政府樹立を計画し、戦争をさせるのかが、上記文章を見ると見えてきます。
今の世界状況はこういうところを発端としているんだろうなと思うと、なんかすごいです。思想の違いといえばそれまでですが、世界観も価値観もまったく違ってきます。
今は上記の引用だけを見て書いているので、実際に聖書を読み返したら違う印象を持つかもしれませんが。
(つづく)