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自然ながらに生きる

植物はいつ花を咲かせればいいかを知っています。
年1回だけ咲く花もあれば、何回も咲く花もあります。

「自然ながら」とはそういうことです。

咲くべき時期でないのなら花は咲きませんが、
時期が来たら躊躇なく咲きます。
「この時期に咲きたい」と花が思っていたわけではありません。

ある一定の条件が満たされたら咲くことになっているので、
その条件が満たされた時に自然と開花します。

外部環境と開花は切り離すことができません。

人は人工的に花を咲かせる技術を見つけ、
開花季節でなくても花を咲かせて楽しむことを覚えました。

それはそれですばらしいことですが、
外部環境を人工的に変えることを重視しすぎたせいで、
環境との関係性に疎くなってしまいました。

人は自然の運行の流れの中で生きることを忘れ、
おのが欲望を満たすために生きることを覚えました。

自然と切り離された現代人は、
自然の中で見守られて生きる感覚を失っています。

現代の生活様式になったのは、
地球や人類の歴史から見ると、ごくごく最近の話です。
私たちのDNAにはもっと自然に生きる術がたくさん詰まっています。

そのDNAから見ると現代人の生き方はいびつです。
人工的な環境の中にいると、人も人工的な存在になります。

生き物は外部環境とのフィードバックの中で育まれていきます。
つまり環境も含めて”自分”なのです。

人工的な環境に囲まれているとはいえ、
それもまた宇宙を含めて”大自然”という環境の中での話です。

それが腑に落ちた時、あなたは
天と地の間にある霊止(ひと)として機能し始めます。
宇宙という母体の中で、自分のあるべき姿を感じ取ります。

(K.G.さまへのメッセージ)2300704


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お一人お一人違うメッセージとなります。


追記

環境も含めて”自分”。
これは日本人には馴染み深いですが、西洋化されていくにつれ、その感覚は薄れています。
今では、私たちはまわりから切り離された「個」となり、孤独死、おひとりさま、ひきこもり、シングルマザーなどの言葉が出てきました。
これらの言葉は良い意味では使われておらず、幸せな状態ではなく、何かが「欠けた」存在のように扱われます。

価値観は誰かが作り上げた一つのシステムです。
それに沿っていれば幸せな人生と思い込まされています。
そこから外れると異端視されるか、かわいそうだねと思われます。

が、実は何も考えずにそう思ってしまうほうが何か欠けているのではないか?
自分で考える力を失ってないか?

長いものに巻かれているほうが考えずに済むので楽です。
与えらたものの中で、何も疑問に思わず楽しく過ごせば良いのですから。

マトリックスの映画の青と赤のピル。
現状維持か、現状打破か?
あなたならどちらを選びますか?


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