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うっかりと北陸を愛する娘になっちゃった(前篇)ーどうして富山に来たか

皆様こんばんは。富山在住の台湾娘りんです。

今週も記事読んでいただき、ありがとうございました!

2019年3月から富山に来て、今年で一年になりました。

この一年間によく人に「何故富山に来たの?」と聞かれるので、

今週は富山に来た理由を書きたいと思います!

結論から言うと、富山に来た理由は?

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はい。また適当な答え出しましたよね...

でも本当にたまたまです!

「富山に来る前に一年間福井にいました。」

人に富山に来るきっかけを話す時、いつもその文章を冒頭説明として使っています。
確かに福井に行かなかったら、今は富山にいないでしょう。

中学校を卒業し、高大一貫が選べられる外国語専門学校に入学しました。
そこで、英語を専門で、日本語を副専攻で勉強していました。
そして、大学四年生の時にやっと学校にちょっと飽きちゃって、
交換留学を決意しました。(よく7年間も耐えられてたと自分も驚きました。)

交換留学とは1年間や半年間に協定校で勉強して、
その期間で習得した単位は基本的に母校の単位と交換できます。

留学先を決めるとき、主にこの3つのポイントを重視しました。

①留学生別科がない:留学生の必修科目がないか少ないこと。

②履修制限がない:どの学科の授業でも自由に履修できること。

③単位制限がない:週に何時間の授業を取ってもいいこと。

3つの条件を絞った結果は
千葉大学・山形大学・新潟大学・福井大学・高知県立大学
でした。

ディズニーマニアとして、千葉大学に即決しました。←3つの条件とは?
しかし、両学校のスケジュール問題で千葉大学の入学は半年後になりましたから、やむを得ずミッキーとバイバイしました。(涙)
(そうは言っても留学期間に2回もミッキー会いに行きました💖)

最後に福井大学を選びました。
どれも行ったことがなかったので、まずグーグル先生に聞きました。
結局ネット情報によるとどれも田舎だそうで...
そこでグーグルマップを開いて、駅からの距離を調べると、
福井大学は駅から一番近い選択肢でした。(徒歩3分)
ちょっと失礼ですが、
つまり田舎の中で一番田舎っぽくないところを選びました。
(何この田舎選手権)

けどよ、昔福井の田舎って口癖のように言っていましたが、
その福井が今でも私の実家のような存在です。

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福井県 東尋坊 2018.04.29

「日本に残るか?」「台湾に戻るか?」「それともハワイに行くか!?」

殆どの留学生と違って、私は福大に行ったのは大学四年生でした。
残りの卒業所要単位は福大で取れましたので、母校に戻る必要はありませんでした。
つまり、卒業寸前で就職のことも考え始めました。
それは2018年の11月頃の時でした。(2019年3月に卒業予定)
(そうですね、台湾では就活期間特に決まってません。そこはまた今度の記事で紹介しようかな!)

特に「必ず人生一度でもいいから海外で仕事したい」と憧れていませんが、
日本で新卒のほうが採用されやすいと聞いたことあるので、

台湾にはいつでも戻れるが、日本に残るのは今しかない!

と思って、日本での就活を本格に始めました。

しかし、子供の頃から「将来にやりたい仕事」とか「私の夢」等の作文が
苦手なので、正直その時は未来に対してまだぼんやりしていました。
ただこの3つのポイントだけは頭の中でなんとか整理できていました。

①中国語・英語・日本語が使える仕事に就きたい:せっかく勉強してきたからね~(むしろ自分は言葉しかできない)

②人と接触したい、人の笑顔を見たい:学生時代に高雄展覧館(MICE業界)とパソナ台湾(人材紹介サービス)で2つのインターンシップをしました。パソナ台湾にいたとき、様々な人と接触して、仕事してすごく楽しかったです。

③なんか企画したい:人と接触したいと言ったら、すぐサービス業と思いましたが、ホテルやアパレルのようなサービス業とはちょっと違う気がする。

そこで、最初に絞った業界は「ブライダル業界」でした!
早速東京にある説明会をエントリーしました。
その説明会で結婚式の企画も体験し、すごく楽しかったです。

「やっぱりこの仕事は自分に向いてるちゃ」

だって②と③の要素は全部満たしましたし。

しかし、現役のウェディングプランナーにこの業界で外国語の必要性を聞くとやはり低かったです。リゾート地ではない限り、外国人顧客がそもそも少ないし、本当にいても多少日本語が通じる方がメインでした。
そこでウェディングプランナーを諦めました。

なぜかというと、自分の価値が感じられませんでしたから。

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東京都 2019.01.09

「日本に残ることにしたが、今からどこへ?」

ウェディングプランナーを諦めました後に、他に東京にある3つの面接も受けましたが、それでも全滅しました。
元々東京での暮らしはかなり抵抗感があり、でもその会社のためなら嫌でもそこで頑張ってみたいと思っていましたが、「まぁ面接落ちてたらそういう無理やりもせずに済むのは感謝かもしれないませんけどね。」
と自分を慰めながらベッドの上に涙がボロボロと落ちてきました。

「やっぱり悔しい」

自分は想像以上にメンタル強くなかったと気づきました。

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東京都 2019.01.23


「さてと、これからどうするか」

リクナビを開いても業種も地域も絞れないままやっぱり広すぎて、ただただスクロールし続けるだけ求人は内容全然頭に入ってませんでした。

福井に来たばかりに、自分は北陸で就職つもりは一切なかったですが、この一年間で過ごした日々を振り返ると、心境がいつの間にか変わりました。

いずれにしても日本は私の故郷ではないかぎり、
どこでも同じでしょう。

そんな時に、他の留学生友達に金大で開催する外国人留学生向けの「北陸3県・長野県合同就職相談会・企業研究会」に誘われました。

「運命のように」

その就職相談会・企業研究会に参加した企業は全部で28社で、殆どものづくりの会社でした。
しかも28社とは言っても時間制限のため一人は5ブースしか訪問できませんでした。
最後のチャンスは全会場で唯一ものづくりではない会社に訪問しました。
そこは今の勤務先の株式会社PCOのブースでした。

今朝セッションが始まる前に、携帯で株式会社PCOのホームページを調べると、「企画」「コンベンション」「通訳・翻訳」といういくつのキーワードが出ました。

「ここはありかも」

緊張を抑えながら(面接ではないのに)、ブースにいる社長と社員(先輩)の話を聞きながら、自分が高雄展覧館でのインターンシップもアピールしました。(面接ではないのに)
最後に、自分が用意した履歴書を社長さんに渡して、PCOでのインターンシップをリクエストしました。
社長もその場でリクエストを受けました。

二日間のインターンシップは初日に先輩が富山市を案内してくれました。二日目にプレゼンテーションのテーマが与えられ、準備時間は午前中で、午後に社員たちの前で発表します。

結局午後の発表の前に、お昼ご飯の時に社長に「もし林さんがよかったら、うち来てもいいですよ!」と聞かれました。

当時の自分はびっくりしすぎて、その場でうまく返事できませんでした。
だって、プレゼンテーションもまだしていないのに(笑)
オファーってこういう感じですかって頭の中でちょっとパニック状態でした。(笑)

プレゼンテーションが終わって、帰る際に先代に「じゃあ、林さんはいつから始まるの~」と聞かれました。

当時の自分はびっくりしすぎて、その場でうまく返事できませんでした。
だって、プレゼンテーション終わったばかりだもん(笑)
オファーってこういう感じですかって頭の中でまたパニック状態でした。(笑)

福井に帰ったら、オファー受けるかどうかかなり悩んでいました。

「この仕事は面白そうだなー」

「でもその会社は富山にあるぞー」

「でもその仕事自分に向いているそうだなー」

「でも富山は私にとって未知の世界だわー」

「でもその会社なら色々できそうだなー」

「でも富山で知人一人もいないぞー」

毎日こんな繰り返しでした。

そしてある日、なぜか悟りました。

住めば都。
好きな仕事なら、どこでもいいちゃ。

こうして、私は富山に来ちゃいました。

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富山市 自家ベランダ 2019.12.25

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