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寂しい

思い込みと寂しさ
 

 寂しい。心の中にそれが巣食う。寂しくて寂しくて堪らない。狭い部屋の大部分を占めるベッドに寝転がる訳でもなく、ベッドの足元辺りに腰掛けている。寝転がっても良かった。けれど、その動作を行う事がなんでか出来なくて、したら何かがダメになりそうで。出来なかった。渇く喉にお風呂前に水分を摂ったきりな事を思い出す。寝転がる事も出来ない状況で歩いて水分を摂るなんてそんな事出来る訳がない。…いや、本当は出来るのかもしれない。そう、思い込んでるだけかもしれない。思い込みの恐怖、怪物。「強迫観念」と言われたらそれまでな感情を持て余している。
 手に持ったスマホに目を向ける。充電は、69%。まだ保ちそうだ。つけたヘッドフォンからは人がおすすめしてくれた音楽が控えめな音量で流れている。こんな状況だが、メロディーは歌詞はしっかりと頭に入ってくる。ドストライクな音楽は、寂しさを少し紛らわしてくれる。このまま音楽の世界に入り込んでしまおう。そうすればきっと。耳にもっと集中を向ける。スマホからは目を逸して見たくない物を遮断する様に瞼を閉じる。自然と身体が音楽に合わせて揺れる。…いい感じだ。もう少し大丈夫になったら、寝転がってそのまま寝よう。充電は起きてからすればいい。大丈夫だ。呼吸をする。

 あぁ、無理だ。自動再生にしておいたからか、流れ出す次の曲。それは、とても甘くてかわいくて……今一番聞きたくない曲。キラキラとした音楽は好きだ。かわいくて電波系の曲にアイドルソング、はたまた金平糖の様な曲、ホラー混じりのまで。全て私の好きな物で愛している物。でも、…でも、今は、今だけは。咄嗟にヘッドフォンをベッドに放り投げる。かしゃん、と軽い音がして、仄かに聞いていた音楽が漏れ出す。耐えられない寂しさに再び襲われる感覚に正気を失いそうだ。それでも、防衛反応の様にスマホで音を切る。一番キラキラで甘いところで漏れるのをやめた姿に、心からほっとした。追い詰められている。そんな事は分かっている。音楽に逃げたところで苦しむのが先になっただけだ。こんなの、こんなのは、ただの現実逃避だ。甘さとは程遠い辛くて苦い感情が支配する。息を吐いてなんとか逃げようとする。
 涙が出て来る。感情がようやく追いついた証だ。大泣きという程ではない。しとしと童女の様に静かに泣く。太宰治の「グッドバイ」にこんな女が出て来たな、なんて限界な思考で思う。ベッドの他に大部分を占める本棚に救いを見出そうか?この巣食った寂しさも紛れるかもしれない。巣食った思いを救って欲しい、音楽がダメならと自分が愛してやまない物に再び頼ろうとする。大丈夫だ。私は活字中毒なのだから、文字さえ読めば。…結果的に叶わぬ望みだった。そうだ。私は、私は動けなかった。思い込みの恐怖、怪物に足を掬われている。足枷を、嵌められている。頭を抱える。僅かな嗚咽が豆電球の部屋に響く。
 
 そこそこ泣いて真っ赤になっているであろう目を優しめに擦る。垂れた鼻水に、副鼻腔炎故に常備してあるティッシュを辛うじて動く手で取って対処をする。ちーんと情けない音が嗚咽の次に響く。その後に鼻をすする。泣いたお陰か、かなり頭がクリアになってきた。もう一度だけ、スマホの画面を見る。通知が来ていた。
 
「さっきはごめん。良くなかったね。…おやすみ。また朝話そう。」

 さっき、酷い喧嘩…というより、半ば別れ話になっていた"恋人“からのメッセージ。頭が理解した瞬間にスマホを地面に落とした。文字だけとはいえ、ほとんど暴言を吐かれて人格否定されて、挙げ句の果てに寂しがり屋な私が嫌とまで言ってきた相手からのメッセージとは思えない。いや、彼はそういうところがあった。言い過ぎてしまう癖が。多分、思ってもいない事を言ってしまう、子どもみたいなところがあるのだろう。…私が言えた事じゃないが。落としたスマホからまた目を逸らす。だいぶクリアになった頭が、いつもの癖だと囁く。しかし、だからといって、今回のを許していいものか。限度というものがあるのではないか。寂しさに流されてはいけない。無意識に肌を引っ掻く。けじめの様に、心を決める様に。
 耐え難い寂しさは、思い込みの恐怖と同じ様に怪物だ。どんな状況でも…こんな状況になろうが、支配してくる抗い難くてどうしようもない怪物。どんな怪物もどんな怪異も敵わない。…というより、怪物も怪異も寂しさにあらゆる事をして来る。人を愛すし構って欲しさに荒らすし怒りに世界を滅亡させてくる。例外はあれど、大体はそんな理由ではないか。それなのに、たかが人間が勝てるとは到底思えない。私が特別寂しがり屋なのは分かっている。が、大体の人間は勝てないから愛を育むし結婚をするのだろう。あぁ、分かっている。深呼吸をする。だから、こうして立ち向かう事にした。怪物に勝てなくても、出来る事をする。今一番するべき事。

 もう一度、鼻をティッシュでかむ。引っ掻いた腕は薄っすらと跡が残っているだけだ。けじめをつける準備が出来た自分の為に、ゆっくりと肌を撫でる。大丈夫だ。思い込みの恐怖を振り払って、地面に落としたスマホを拾う。58%まで減っているのを確認して、充電器を挿す。動く様になった身体でベッドに寝転がる。ダメになんか、ならなかった。何処か晴れやかな気分で、良くないであろうが、笑みを浮かべれば、通知から彼とのメッセージ画面に飛ぶ。そして、こう打つ。

「こっちこそごめん。…でも、もう無理。さようなら。」

 スマホを閉じる。しっかりブロックして、友だちから消せば、心の底から安心した。まだ心には寂しさという怪物が居る。でも、思い込みの恐怖を振り払って倒したのだから、きっと大丈夫。今一番するべき事はした。深呼吸をする。ゆっくり瞼を閉じる。逃げる為ではなく、立ち向かう為に今は眠ろう。…彼が話そうとした朝を彼なしで迎える。ふふ、なんて楽しみだろう。それじゃあ、おやすみなさい。良い夢が見れます様に。

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