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嫌悪の居場所
一人の人間の独白もしくは告白
生まれつき、感情が欠落していた。あぁ、いや、「喜怒哀楽」は人並みにはあった。なんなら、共感能力の高さと感受性の強さで自分の事以外でも、笑えるし怒れるし泣けるし祝う事が出来る。模範的な「人間」だ。…だけども、どうにも「嫌悪」及びそれにまつわるあらゆる負の感情を持つ事が出来なかった。正確には、「嫌い」と思ってもそれが長続きしない。その「嫌い」も幼子が学んだばかりの言葉を使って、自分の感情を表すのと同じ感覚だ。要は、ラベリングが出来ない感情をそう「教わった」通りに"形容“している。だから、僕は本当の意味では「嫌悪」の感情を理解しているとは到底思えない。いついかなる時も、心に浮かぶは精々「怒り」とそれからくる「悲しみ」、ただそれだけだ。一瞬で「こいつ、嫌い」なんて事は出来ない。多少は「嫌」だとは思う。しかし、だからといって耐えられない程の「嫌悪」は抱けない。欠陥品だ。
この独白を聞いている人は、こう思うだろう。それはとても素晴らしい事だと。誰も、「人間」として当たり前の感情を持っていない事を短所だと思わない。僕の関わった人は、一部を除いて分かり合う事は出来なかった。…いや、本当は出来たのかもしれない。話し合えば、苦労くらいは分かってくれたのかもしれない。でも、「愛」や「幸福」ならまだしも、「嫌悪」だ。きっと、滾々と語ったとしても、心のどこかに「羨望」「羨ましさ」は消えないだろう。「人類皆嫌い!」な人から見れば、鼻で笑ってくれるくらいにはおかしな存在だと思われるかもしれないが。道徳はこう説く。「人を愛しましょう」「仲良くしましょう」。それを間違いだとは思わないが、人間関係においてそんなものが通用する時は果たしてどんな時だろうか?……言うまでもない、お互いに「仲良く出来る」余地のある人だけだ。性格や趣味。何でもいい、何か合うものがあって仲良く出来る人。それだけが「仲良くしましょう」に値する人間であり、普通はそんな人にだけ「愛」を注ぐものなのだ。この場合は、あらゆる愛を指す。「恋愛」だけでない、あらゆる「愛」だ。
恵まれた人、という言い回しは敵を回しそうだ。「嫌悪」の感情がある人は、それが「持つべきではない」感情に捉える人が多い。余程、自我が強い人ではない限り、それは普遍的な感覚だろう。流行りの物に「嫌悪感」を抱けば、こっそりと分かりにくいところでそれを吐露する。友達が陰口叩いてるのを聞いて、表に出さずに「嫌い」になる。「嫌悪」の感情は、基本的には隠される物であり、よっぽど踏まれたくない地雷がある場合のみはひっそりと抱き続ける物だろう。もちろん、これは「ない側」からの意見であり、正確な意見ではないのは分かっている。しかし、それでも「何が嫌いかより何が好きか」のセリフを度々見かけてるのを見れば、的外れとは言いにくいと思う。…早い話、人は「嫌い」より「好き」に興味があるのだ。羨ましい事に。お陰様で大人になっても「嫌悪」の感情は十分に持っていない。持てる見込みもない。どこまでも欠陥品だ。
ここまで「嫌悪」を羨ましがる理由が分からない人は居るだろう。「博愛主義者」だなんて、体のいい肩書きを名乗っているが、結局誰もを「愛する」事しか出来ないからだ。人間が「愛」を求めるなら、僕はそれに応えよう。どんなに苦しくても、辛くても「愛」の為に身を削ろう。行き過ぎた自己犠牲だろうが、自己欺瞞だろうが「愛している」故に切り捨てる事が出来ない。「嫌悪」の感情を「持っている」なら、途中で辞める事が出来る事を僕は出来ない。だって、嫌いじゃないのにその人と関係を絶つのは、…絶つのはあまりにも辛い。言うならば、人間であれば「誰でも好きな人」なのだ。「好きな人」と別れないといけない。場合によっては、「好きな人」から嫌われても、「好き」で居続けてしまう。どんなに酷く扱われても、酷くフラレてもずっとずっと「好き」。それが辛くない訳がない。しかも、その場合相手から向けられる感情は自分が持ってない、未知の感情。病むなと言う方が無理な話だ。
可哀想な子だと思われたい欲はある。欠陥品に少しでも視線が欲しい。当たり前に持っているはずの感情がない、可哀想な欠陥品。そう思ってくれれば、少なくとも「好きな人」の視界には入れる。あなた達に「僕」を刷り込ませる事が出来る。鼻で笑われるくらいがお似合いなおかしな存在としてでも認識されたら、あなた達の人生に「僕」を登場させる事が出来る。だから、独白という形であなた達に語っている。理解なんてしなくてもいいよ。これは「僕」という「人間」からの一方的な告白なのだから。嫌悪の居場所がない「人間」から嫌悪の居場所がある「人間」への告白。断れないでしょ?ね、もうあなた達は「僕」の物なんだからずっと一緒に居ようね。
「愛しているよ」