神の見えざる手
神の見えざる手
私がアダムスミスの神の見えざる手を知ったのは、経済の勉強をしていた時です。
その時はまだよくわからなく、キャッチーなフレーズ【神の見えざる手】とアダムスミスの名前を覚えただけでしたが、いろいろ物事を考えていくと、今現在も多くの影響を及ぼしていると感じております。
まずは神の見えざる手の説明をいたします。
神の見えざる手の考え方を提唱
「見えざる手」とは、アダム・スミスが自身の著作で用いた言葉(概念)です。具体的には、市場経済においてそれぞれが自己利益を追求すれば、見えざる手に導かれて社会全体で適切な資源配分をできるため、社会の繁栄と調和につながるという考え方を指します。
つまり、アダム・スミスによると、個人が自分の利益を追求して利己的に行動しても結果として経済はうまく回るということです。その後、見えざる手の概念は、市場メカニズムに任せておけばよいという「自由放任主義(レッセフェール)」の考え方にもつながりました。
なお、見えざる手という言葉は、アダム・スミスの著作(道徳感情論と国富論)でそれぞれ1度しか登場しません。また、アダム・スミスの言葉として有名な「神の見えざる手」という言葉はどこにも記されていない点に注意が必要です。
分業の重要性を指摘
アダム・スミスは、分業の重要性を指摘したことでも知られています。分業とは生産過程における作業を分担して、異なる労働者がそれぞれ専門的に従事することです。
アダム・スミスの考えでは、パンを製造する際に1人が全工程を担当するよりも、小麦を作る人・製粉する人・パンを焼き上げる人など担当者を分けた方が効率的ということになります。
売上が大きければ大きいほど分業をしやすくなるため、アダム・スミスは自由貿易で市場を拡大させる必要性も説くようになりました。
アダム・スミスは市場メカニズムを優先していたため、小さな政府の基盤を構築したといわれています。小さな政府とは、政府の経済活動への介入を極力減らし、市場原理に基づく自由競争を進めた方が経済成長につながるという概念です。
現代でも、政府支出の規模や国民負担の度合いに注目し、ある国が小さな政府に該当するのか、小さな政府を目指すべきかなどの議論が交わされることはあります。
なお、小さな政府の対義語といえるのが「大きな政府」です。財務支出を増やしながら政府が経済活動に積極的に介入し、所得格差などを縮めようとする概念を一般的に大きな政府と呼びます。
まず重要なのが、市場メカニズムに任せておけばいいのか?という問題です。
非常に私は道具主義的な考えだと思っております。
*道具主義
「科学理論の役割は、結果の予測をすることなんだから、予測と結果に整合性さえあれば、理論は何でもいい」
市場メカニズムをよく考えると
商品をつくる→安く売る→いっぱい売れる!
商品をつくる→高く売る→そんなに売れない!
→→このブラッシュアップを繰り返し、価格が適正化になっていく・・・・
一見当たり前のようで、何を言っているんだ!と思われる方もいるかもしれませんが
例
・コロナになった世界を考えると!
〇外食産業など全くお客さんが来なくなり、政府の補助金を出してくれないとテナント料金が払えない。
〇旅行業界などは、渡航できず働く従業員などは給料が発生するが、仕事がない。
・地震災害が発生した場合
〇政府の支援なしでは、住む場所も生活も儘ならない。
このような場合は、大きな政府を期待するのではないでしょうか?
これはアダムスミス(自由主義)が悪いのではなく、その時の状況によるものが大きいと思います。
自分としてどちらの軸足でいるかはきちんと考えなければいけないでしょう。
また本日、管理者研修でブルウィップ効果ということを教えていただきました。
ブルウィップ効果とは、サプライチェーンの川下の需要変動が川上にいくほど増幅していく需要変動現象のこと。
川下のごくわずかな需要変動が拡大しながら川上へ伝わっていく様子が、ムチを鳴らしているように見えるためブルウィップ効果(鞭効果、Bullwhip Effect)として世の中に広まった。つまり、供給側では欠品や過剰在庫を恐れるために、実需の変動に対して過剰に反応し、上流に伝搬するにつれて変動が増幅され過剰在庫や欠品が発生する現象を指している
どちらもメリット、デメリットがあることからどちらともいえませんが
世の中の状況によるものが大きいのではないでしょうか?
コロナ時などは、小さな政府でいいと思う人は少ないのではないでしょうか?
また世界恐慌の時、アメリカはニューディール政策で大きな政府を選択いたしましたが
勿論メリットとデメリットがあると思います。
私が感じるところは、市場原理に任せればいいということでいいのですか?
人間が合理的判断しかしないのであれば非常にいいと思うのですが
行動心理学など考えると、経済も戦争も合理的にすべて判断しているとは到底思えません
私の結論としては、合理的に判断できる状況においてはアダムスミスの理論は通用する場合があるが、秩序が整っていない情勢の場合は、この機能は有効にならないのではないか?と思いました