今回はメンバーのモチベーションを高めるに関して考えたいと思う。
皆さんはカルヴァンを知っているだろうか?
詳しくは以下に記すとして、彼は予定説を説いた。
自分が天国に行くか?地獄に行くか?もうすでに決まっている。
しかし、懸命に生きる(天職を全うすれば)天国に行くに違いない!
もし従業員へ、このような考え方を持ってもらうことができれば
モチベーションにつながるのでは?と思った。
プロテスタント(特にカルヴァン派)が資本主義企業にマッチしている理由について考えてみる
統計的に比較してみると、カトリック信徒は手工業にとどまる一方、プロテスタントは工場労働に流入する傾向にあることが分かる。これはプロテスタント、特にカルヴァン派(カルヴィニズム)信徒が資本主義的な企業にうまく適合していることを示唆している。
その理由は合理的禁欲にある。禁欲と資本主義は対置されがちだが、決してそうではない。
ちなみに理由と言ったが、それが決定的な原因であると言うつもりはない。あくまでひとつの要因にすぎない。プロテスタンティズムを資本主義の原因と考えるのはバカバカしいにもほどがある。
予定説 → 救われているかものすごく不安 → 天職で救いを確信
合理的禁欲がなぜ必要だったのか。これはカルヴィニズムの特徴的な教えである予定説と密接に関わっている。
予定説は、現世に生を受ける以前にすでに神によって誰が救われ、誰が救われないかがあらかじめ定められているとするものだ。これは教会によっても、祈りによっても変えることはできない事実とみなされた。
ただ、よっぽどの狂信者でない限り、こんな教説を「神が望むなら喜んで!」と真に受けるようなひとはいない。普通の信徒であれば、「自分は本当に救われているのだろうか?」とものすごい不安に襲われたに違いない。
そこでどうしたか?純粋な信仰ではなく、天職(職業労働)を通じて救いの確信を求めたのだ。
天職の合理性が資本主義のあり方にフィットした
なぜ労働だったのかというと、人間は神によって自らの意志を実現せんと地上へ送られた存在であり、労働は神の栄光を増すために最適な営みだと考えられたからだ。つまり信徒にとって、天職による労働は神の意志を実現するための手段にほかならなかったわけだ。
カルヴァン派信徒は自ら生活に計画性と組織性を取り入れ、生活を禁欲的なものとして、これを徹底的に合理化した。天職の観念からもたらされた合理性が資本主義の企業の形態にうまくマッチしたのだ。
得られた財産を投資につぎ込んだ → 投下資本が形成された
で、これと資本主義経済にどんな関係があるのか?それは労働から得られる財産に対する彼らの態度を見ると分かる。
彼らが労働を行ったのは、豊かな生活を送るためではなく、あくまで神の意志を実現するためだ。そのため彼らは、財産の利用をできるだけ節約すると同時に、「財産を得ることは悪いことだ」とする慣習を打ち破り、財産の獲得を新たな観点から積極的に肯定したのだ。
財産が貯まるとどうなるか?答えは明らかだ。神の意志を一層実現させようと、財産を資本として投下するように促されるほかなかった。これが原初的な資本形成のプロセスにおいて天職と合理的禁欲の観点が果たした役割なのだ。
この信仰がモチベーションにつながるかは?疑問が残るところだが、少なくても合理的に判断できる環境がモチベーションを上げる要因ではないことは確かだと感じた。